若い人から高齢者にも目を向けた社会づくりを(樋口 輝彦)
公開日:2019年2月 8日 13時54分
更新日:2023年5月31日 10時29分
シリーズ第9回 生き生きとした心豊かな長寿社会の構築をめざして
わが国がこれから超長寿社会を迎えるに当たり、長寿科学はどのような視点で進んでいくことが重要であるかについて考える、シリーズ「生き生きとした心豊かな長寿社会の構築をめざして」と題した各界のキーパーソンと祖父江逸郎 公益財団法人長寿科学振興財団理事長との対談の第9回は、樋口輝彦独立行政法人国立精神・神経医療研究センター理事長・総長をお招きしました。
高齢になってもできるだけ現役を貫ける社会づくりを
祖父江:わが国は急速に高齢化が進み、超高齢社会を迎えています。一方、少子化の問題も大きく、2008年頃から徐々に日本の人口は減少方向に進み、いずれは1億人を切るといわれています。人口が減少していく中で、高齢者の割合はますます増えていく。そのような中で高齢社会をどのように構築するかは日本の大きな課題となっています。樋口先生はこの高齢社会をどのようにみてらっしゃいますか。
樋口:日本の高齢社会を考えるときに、少子化の問題を避けて通ることはできません。今までは高齢者を若い世代がそれなりの人数で支えてきましたが、これだけ少子化が進むと支える力が非常に心許ない状況です。この現実を受け止め、私たちが何をすべきか早急に考える必要があります。
一方、長寿化が進み高齢期と呼ばれる時間が長くなりました。高齢といえども今の70歳の方は実年齢よりも体力的にも精神的にも10歳くらい若いです。65歳をもって高齢者としていますが、その必要はないのではないか。10年くらい年齢を先送りしてもいいのではないかと思います。定年も少しずつ延長してきていますが、まだ全体としては65歳定年というところには至っていません。生産性という観点から65歳で線を引いていますが、これを70歳に引き上げるだけでだいぶ違ってくるでしょう。
高齢になってもできるだけ現役を貫き、生きがいを持ち、役割を果たすような社会づくりが今後重要になると思います。
祖父江:セカンドライフのあり方ですね。いざ定年になると、身の処し方がわからず戸惑う方が多くいます。日本人は高齢になっても働きたいと意欲を持っている方が多いのですから、その方たちが活躍できる場をどんどんつくっていくべきです。その人に適した仕事や社会参加の機会を見出すということが重要だと思いますが、なかなか意識転換ができていませんね。今後はセカンドライフの入り口を企業やコミュニティや行政が一緒になって道筋を考えるべきだと思います。
急速な社会構造の変化から取り残される高齢者
祖父江:加齢に伴う生理的な変化は高齢者の抱える大きな問題の1つです。しかし、社会構造の変化が生物学的変化には耐えられないほどのスピードで進んでいます。そうした急速な変化に高齢者は対応できず取り残されようとしています。
今日も移動中に私たちの世代には理解できない言葉をたくさん見かけました。和製英語なのか略語なのか、今までにない言葉です。ニュース番組でアナウンサーの方が原稿を読むスピードも以前は400字詰め原稿用紙を1分~1分ちょっとでしたが、今はべらぼうに早くなりましたね。音声を補う文字(テロップ)の流れにも早くてついていかれません。すべてがスピードアップし、高齢者にとっては非常に負担です。
樋口:高齢者が活躍できる社会にするには、高齢者目線でもう一度社会構造を見直すことが重要になりますね。建物の構造や標識、エスカレーターの早さなど、高齢者への十分な配慮が必要になると思います。
祖父江:テレビ番組にしても、子供向け、障害者向けの番組はあっても、高齢者に目を向けた番組がありませんね。高齢者は層が厚く、その層はこれからもどんどん厚くなっていく。しかも購買力もかなりあり、経済効果も期待できます。にもかかわらず、高齢者番組がないのが不思議でなりません。
樋口:たしかにテレビも衛星放送BSが増えてチャンネルも多くなりましたから、高齢者専用チャンネルをつくってもいいでしょう。
祖父江:高齢者に目を向けた社会にしていくべきなのに誰もその声を上げない。高齢者には生理的機能の低下があり、視力、聴力、理解力も落ちてくるのにもかかわらず、若い人たちと同じように考えている人が多いのです。
アメリカの本になりますが、加齢に伴う肉体的変化の擬似体験をまとめた体験記があります。耳栓をしたり、視力を落とす眼鏡をしたり、重りやサポーターを付けて動きを悪くしたりして、高齢者の身体を擬似的に体験するのです。その身体が思い通りにならない苦痛といったら大変なものがあります。
医療の世界においても、医師が自分の年齢、理解の範囲で患者を診ることは大きな間違いです。特に若い医師が高齢者を診る際には注意が必要です。相手は自分と違う、生理的構造も違うことを理解し、その差をいかに縮めていくかを考えなければなりません。さらに高齢者では加齢に伴う機能低下に病気が加わる。それを理解しないと全体として患者を理解できないでしょう。
樋口:逆に小児をみると、発達に伴う軸がしっかりあり、その中で年齢に伴う問題があるといった視点で常に診ています。小児の軸と高齢者の軸は逆の方向であることが理解されていないのが問題だと思います。
祖父江:発達の反対側にある軸をきちんと設定しなくてはなりませんね。医学教育の中で小児発達の教育はしっかりされていますが、加齢に伴う変化は軽視されているように感じます。医師も40歳代と80歳代の患者を同じように診ている。最近は元気な高齢者は増えましたが、そのような人にも当然ハンディキャップがある。そこに目を向けていかなければ真の医学・医療とはいえません。
自分の年齢に近い医師に診てもらいたいという高齢者の声をよく聞きます。若い世代とのコミュニケーションがなかなかできないのです。
樋口:われわれ精神科でも同じです。入り口となるのは患者さんとの共感です。何を不安に感じているのか、何が問題なのかを十分に傾聴した上で身体の問題を一緒に考えていく。その際に患者さんと医師の世代があまりに違うと患者が不安を覚えることはあるでしょう。だからこそ医師は世代の違う患者を理解する努力が必要ですし、高齢の患者の方にも「若いドクターを育てて経験を積ませてください」とお願いしていくようにしています。
子どもと高齢者のコミュニケーションから生まれる新しい人間関係
祖父江:戦後、社会構造に伴う生活様式の変化により核家族化が起こりました。それを促進したのが住居問題。ことにマンションを中心とした居住の変化、生活の簡素化により家族の結びつきがだんだんと弱くなってきました。大家族が一緒に過ごすという構図がなくなり、家庭教育ができなくなったことにより、高齢者の知恵が若い世代に伝わっていかなくなりました。
樋口:核家族化が進み、コミュニティというものがなくなりつつあります。高齢者の自殺の問題を考えるときに、この核家族化の問題、孤独の問題が大きく関わってきます。特に都市部では孤独による自殺というのが大きな問題になっています。地方に行くと、まだコミュニティが残っていて、お年寄りが1人で生活していても近所の人がカバーしてくれる。まったくの孤独ではなく、ご近所が全部家族みたいなものです。このような環境の中では孤独死を避けることができます。
祖父江:なぜ高齢者の孤独が広がっているのか。高齢者を支える若い世代に意識の変化が起きていることが1つの要因だと思います。高齢者を敬う気持ちや高齢者を心身・社会的な側面から支えるといった意識も薄らいできています。これも高齢者と若い世代のコミュニケーション不足によるものだと感じています。
樋口:『五体不満足』(講談社)を書いた乙武洋匡さん。先天性四肢切断という障害を持っています。彼は自分がやるべきことは何かと考えたときに、「これからの日本は子どもを教育していくことが大事である」と確信したといいます。それで教員免許を取るために再度大学で勉強し、小学校の教員になりました。
そして子どもたちと過ごす中で気が付いたことがあります。「子どもたちを子どもたちだけで教育してはダメだ」ということです。そこで彼は子どもたちと高齢者が一緒に過ごす場をつくりました。子どもと高齢者のコミュニケーションから生まれてくる新しい人間関係です。
祖父江:実際、高齢者施設での行事の中で一番入居者が喜ぶのは子どもたちの慰問のようです。そこには子どもと高齢者のコミュニケーションが存在します。高齢者施設と幼稚園・保育園を併設し、子どもと高齢者の共存が理想の形だと思います。
樋口:昔はその原型が家庭にあり、おじいちゃん、おばあちゃん、孫と三世代が一緒に屋根の下に住んでいました。今、それに代わるものをつくるなら、幼稚園・保育園と高齢者施設の併設。それはとても自然な構図ですね。
自殺対策のための戦略研究の実施
祖父江:先生が携わっていた戦略研究が終了したそうですね。
樋口:私自身は戦略研究の本体には関わっておりませんが、この戦略研究の課を設定することを目的にした特別研究(平成16年度1年間)の主任研究者を担当しました。この研究は国の戦略研究の第1号であり、社会的にも注目される「自殺対策のための戦略研究」です(表1)。
研究課題 | 複合的自殺対策プログラムの自殺企図予防効果に関する地域介入研究(NOCOMIT-J) | 自殺企図の再発防止に対する複合的ケースマネジメ ントの効果:多施設共同による無作為化比較研究(ACTION-J) |
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研究目的 | 自殺死亡率が長年にわたって高率な地域において、一次から三次までのさまざまな自殺予防対策を組み合わせた新しい複合的自殺予防対策プログラムを介入地区で実施し、通常の自殺予防対策を行う対照地区と比較して、自殺企図(自殺死亡及び自殺未遂)の発生に効果があるかどうかを検証する。 | 救急施設に搬送された自殺未遂者に対するケース・マネージメント(心理教育や受療支援、背景にある問題解決のための社会資源利用支援など)の自殺企図再発防止効果を検証する。 |
設定目標 | 地域における自殺企図率の減少 | 自殺未遂者の自殺企図再発率の減少 |
研究リーダー | 大野 裕 (国立精神・神経医療研究センター認知行動療法センターセンター長) |
平安 良雄 (横浜市立大学附属市民総合医療センター病院長/ 横浜市立大学大学院医学研究科精神医学部門教授) |
研究実施団体 | 財団法人 精神・神経科学振興財団 | 財団法人 精神・神経科学振興財団 |
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より効果的な自殺防止対策を確立
わが国の自殺死亡者数は、ここ2年は3万人を下回ったものの、世界的に見ても頻度が高く、大きな問題となっています。そこで自殺対策に有効な手段を科学的な根拠を示しながら探ろうとするこの研究が立ち上がりました。2005年から始まり、最初は5年間の予定でしたが5年では結果を出すに至らず、2年ほど延長し、つい最近結果がまとまり論文になりました。
祖父江:日本の自殺死亡率はG7中では第1位といいますから、国家を挙げての研究が大変重要になりますね。その詳しい内容をお話いただけますか。
樋口:この研究には2つの大きな課題がありました。1つは「自殺を防止するには地域社会の中で何が有効なのか」を明らかにしようという研究です。これは大野裕先生が研究リーダーを務められました。課題名は「複合的自殺対策プログラムの自殺企図予防効果に関する地域介入研究」(NOCOMIT-J)です。この研究では自殺予防対策(1次~3次)を組み合わせて自殺予防対策プログラムを作成し、自殺死亡率が長年高率である地域において、このプログラムを実施する介入地区と通常の自殺予防対策を行う対照地区を比較して自殺企図の発生に違いがあるか検討しました。
その結果、3年半の間の地域介入で自殺企図の発生率が対照地区と比較して、男性で約23%、高齢者で約24%減少したという結果が得られました。このような結果は都市部ではみられず、地域の特性に応じた対応が必要と思われます(図1)。
2つ目は、救急医療施設に搬送された自殺未遂者に精神的ケアを行い、自殺再企図防止の効果を検証することです。平安良雄先生が研究リーダーを務められ、課題名は「自殺企図の再発防止に対する複合的ケースマネジメントの効果」です。救命救急センターにはたくさんの自殺未遂者が搬送されてきます。センターは大変忙しいところですから、命を救った後は、アフターケアまで手が回らない状況でした。ところが自殺未遂者の自殺再企図は非常に多いのです。
この研究では救急医療部門と精神科が連携している17の施設からなる全国規模の研究班を組織し、自殺未遂者に対する支援プログラム(ケースマネジメント)を新たに開発し、その有効性をRCTで検証しました。
これにははっきりとした効果が出ました。自殺未遂者の割合が多い救命救急センターで、その方たちのケースマネジメントをすることによって、自殺再企図率を下げることができるということがわかりました。特に40歳未満、過去に自殺企図歴があった未遂者でより効果的でした(図2)。
祖父江:この研究結果は大変重要ですね。特に高齢者の自殺企図も増えてきていますから、ぜひその研究を生かし、国を挙げて対策を講じていただきたいと思います。
高齢者の「老病」の不安を取り除く社会へ
祖父江:高齢者の孤独や自殺に関わる問題として、高齢者のうつの問題があると思います。
樋口:実際に高齢者の自殺の背景に、うつ病も一定の割合でみられます。うつ病は働き盛りの人の病気だとよくいわれますが、高齢者のうつ病も多くあります。その原因には、圧倒的に喪失体験が多いことがわかっています。配偶者を失う、仕事を失う、仲間を失う。これをきちんと埋め合わせをせず、そのままにしているとうつ病を発症してしまうことがあります。
祖父江:現代型うつ病。これは20~30歳代の若い人にみられる新しいカテゴリーのうつ病ですが、高齢者のうつ病に関しては何か新しいカテゴリーはあるのでしょうか。
樋口:高齢者のうつ病に関しては、従来のうつ病とさほど変わっていません。しかし、若い世代では逃避型(メディアでは「新型」)うつ病、いわゆる「社会や環境のせいだ」といった他罰的特徴を持つうつ病に変わってきているので、この世代が高齢者となったときにどのようになるかはわかりません。
高齢者と若い人のうつ病には違いがあります。若い人には身体が弱るなど病気の不安はそれほどありませんが、高齢者には常に身体に関する不安があるのです。うつ病の症状でも身体の症状に出てくるというのが高齢者のうつ病の特徴です。
祖父江:高齢者は病気を発症して自立障害が起きたとき、介護をどうするかという不安は極めて大きく、それがうつにつながる可能性がありますね。自立障害が起こったときのことを誰もがイメージして不安に感じているのです。
高齢者はある程度年齢を重ね十分に人生を味わうと、「その先に死があるのは当然だ」と「死」を達観しているところがあるようです。「生老病死」の「老病」に問題があって、「死」は昔ほど問題でなくなっているような気がします。
樋口:高齢者と話をしていてよく聞かれるのは、「寝たきりになったらイヤだ」「人の世話になりたくない」という言葉です。冗談半分に"ピンピンコロリ"がいいと言いますね。
祖父江:「死」は恐ろしいものではないと、世の中の概念が変わってきました。むしろ「老病」の不安を取り除く社会をつくっていかなくてはならないでしょう。
認知症の人を社会の一員として受け入れる社会をつくる
樋口:現在、認知症高齢者が462万人、軽度認知障害(MCI)を含めると800万人といわれています。増え続ける認知症の患者を施設型でなんとか対応しようとしていますが、それは間違いだと思います。認知症になってもコミュニティの中で最期まで尊厳を持って暮らせる、そのようなケア体制をつくることが大切だと思います。薬で眠らせたり身体を拘束したり、尊厳を無視するようなケア体制は変えていかなくてはなりません。
祖父江:認知症患者数は莫大な数で、1つの大都市全体の人口数に相当するほどです。今や人口の相当な割合を占めているのですから、認知症だからといって特別視してはならないのです。社会全体で支えて受け入れていくべきです。
樋口:正すべきは、誰でも認知症を発症する可能性があるのに「自分は違う」という考え方です。精神疾患にも同じことがいえます。最近はうつ病に関して偏見は薄らいできたものの、まだ「自分の家族にはうつ病なんていない」などと家族のうつ病を受け入れられない人も多くいます。これは認知症に対する偏見と同じだと思います。
祖父江:痴呆症という言葉を認知症に変えても、認知症は特別な人であるという感覚はなかなか消えませんね。MCIを含めて800万人、さらに増えるであろう認知症の人を社会の一員として受け入れ、認知症の人に寛容な社会をつくっていくことが大切になると思います。
本日は興味深いお話をありがとうございました。今後とも樋口先生のご協力をお願いしたいと思います。
(2015年1月発行エイジングアンドヘルスNo.72より転載)
対談者
- 樋口 輝彦(ひぐち てるひこ)
- 1972年:東京大学医学部医学科卒業、東京医学部附属病院精神神経科、1976年:埼玉医科大学医学部精神医学講座助手、1979年:博士号(医学)取得、1981年:マニトバ大学医学部生理学教室神経内分泌研究室留学(カナダ)、1983年:埼玉医科大学精神医学講座講師、1989年:群馬大学医学部精神神経学教室講座助教授、1994年:昭和大学藤が丘病院精神神経科教授、1999年:国立精神・神経センター国府台病院副院長、2000年:同センター国府台病院院長、2004年:同センター武蔵病院院長、2007年より現職。
著書に『精神・神経の治療約事典2014─'15 ─専門医からのアドバイス』(総合医学社)、『今日の精神疾患治療指針』(医学書院)などがある。
転載元
公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌 Aging&Health No.72