38億年の生命誌の知から生きやすい社会をつくる(中村 桂子)
公開日:2016年11月 1日 16時32分
更新日:2021年6月30日 11時21分
シリーズ第16回生き生きとした心豊かな長寿社会の構築をめざして
わが国がこれから超長寿社会を迎えるに当たり、長寿科学はどのような視点で進んでいくことが重要であるかについて考える、シリーズ「生き生きとした心豊かな長寿社会の構築をめざして」と題した各界のキーパーソンと祖父江逸郎・公益財団法人長寿科学振興財団理事長との対談の第16回は、中村桂子・JT生命誌研究館館長をお招きしました。
生まれたときに38億年の時間を抱え込んでいる
祖父江:わが国は少子高齢化が進み、人びとはいろいろな不安を抱えながら生きていかなければなりません。そこで希望のある心豊かな社会づくりはどうしたらいいのかということが課題になっています。そこで先生のご専門である生命誌の観点からヒントになるようなご意見をいただければありがたいと思います。
中村:どんな年齢の人がいるかということよりも、1人ひとりが思いっきり生き生きと生きられるような社会であってほしい、それが私の願いです。
生命誌研究館というのは生き物の歴史物語(生命誌・Biohistory)を読み解き、描き出す研究館(リサーチホール)です。38億年前に地球に生物が誕生してからの多種多様な生物の壮大な歴史を読み解き、そこから生命を大切にする社会につなげる知の創成に努めています。「生命史4」とせずに「生命誌4」としたのは、生きとし生けるもの皆を大切にという意味を込めているのです。
生命誌では、生まれたときのその前に38億年という時間があると考えます。例えば、ここにアリが1匹はっていたら、そのアリは親、親、親、親とたどると、必ず38億年の時間を抱え込んでいるわけです。あらゆる生き物は、38億年という時間がないとここにはいないということです。
祖父江:私は生命誌に非常に興味を持っています。そういう見方がこれから大事なことですし、少子高齢化社会になってきて、より一層その意義が大きくなってきたのではと思っています。
私は臨床医としていろいろな患者さんを診させていただきました。私の専攻は神経内科学ですが、特に脳の発達の過程には時間を軸にした考え方が必要ではないかと思います。しかし、今までの神経学をはじめとする医学の中には、生命誌的な考え方や時間軸を入れた考え方はあまりありませんでした。
ひとつの例を挙げますと、臨床医としては患者さんをしっかり診なければならないと、診察においでになった患者さんの頭の先から足の先までじっくり診させていただきます。そうしますと、副乳というのがあって、それが大体4対から6対くらいあるのです。これは四足動物の残滓(ざんし)です。これが発情期になると大きくなる。場合によっては乳が出るのです。われわれの祖先の原人やチンパンジーから分かれてきた時代からの残滓を垣間見ることができるのです。
機械とは異なって生き物は時間を紡いでいるもの
祖父江:生命誌の観点から今の長寿社会をみて、あるいは今の医療をみて、先生がお感じになることをお聞かせいただけますか。
中村:今の長寿社会ではアンチエイジングという言葉がもてはやされていますね。ですが、私は生き物というのはエイジングプロセスが大事なのであって、それは一瞬一瞬で変わる、そのとき、そのときをみるということが大事だと思います。
また、今の医学では、人間をみるときに「部分」と「瞬間」ばかりをみているような気がします。数字だけをみて薬を処方したり治療したりするという感じでしょうか。
私は先日、職場の健康診断の結果で数値が高かったものがあって、心配になってかかりつけ医に相談しました。「何か治療しなければならないですか」と聞きましたら、先生はその診断結果をみて、「何も必要ありません」とおっしゃいました。「これを40歳、50歳の人が持ってきたら、ここを何とかしなさいと言いますけど、あなたくらいの年齢の方がこの結果を持ってきたのだったらこれで結構です。何もしないで普通に暮らしなさい」と言って、薬も処方されませんでした。先生は当たり前のことをおっしゃったのですが、最近その当たり前のことを言ってくださる先生はなかなかいないと思います。やはり長年診てくださるかかりつけの先生が、全体を診てくださるということが大切だと思うのです。
しかし、今の医療では子供の頃は小児科の先生が診てくださいますが、小学校6年生くらいになるともう小児科じゃないと言われます。「小児科はここで終わり」、「高齢者は老年病科に行きなさい」という。しかし時間というのはずっと続いているわけで、私は「一生を通してみる医療」があればいいなと思っています。
祖父江:かかりつけ医は生まれたときから終わりまで知っている。以前のドクターは皆そうでしたね。ただ、今は細切れになってしまいました。
中村:生き物というのは、一瞬一瞬で変わっていくわけです。生きているということは時間を紡いでいることだと思いますので、時間を無視して生き物をみるというのはできません。しかし、今の社会では何か完璧を求めてすべてを機械のようにみていると思えるのです。
機械は新品がいいに決まっていますが、生き物は時間を紡ぐものと考えますと、赤ちゃんは赤ちゃんなりに、10歳は10歳なりに、30歳は30歳なりに、80歳は80歳なりにその生き方がある。それがすばらしいのです。ところが新品の機械と同じという発想でみてしまう。だから生き物を生き物としてみる社会にしたいというのが、私の研究のベースになっています。
30年ほど前に、私は「ライフステージ」という言葉を提案しました。子供が生まれたら、「早く何か勉強しましょう、覚えましょう」「1歳からお勉強させましょう」ということがはやり始めた時期です。そうではなく、1歳には1歳の意味があるから、1歳でなければできないことをさせる。「お隣の子と比べて字を早く覚えました」などが問題なのではなく、「生き物としてそのステージをきちんと生きたか」ということが大事なのです。
ゲノムがわかればオーダーメード医療ができるか?
中村:むずかしい病気を治療する先端の医療技術ももちろん必要ですが、そこに行く前に日常を診てくださる医療があることが大事だと思います。
やはり高齢になったら、お元気にみえてもどこかに何かの不具合を持っていらっしゃる。そのような人たちもみんな生き生き生活できるようにするためには、やはり個の医療が必要だと思います。生物学ではアリはアリでみんな同じでいいのですが、人間は科学的な平均値があった上で、個の対応をしていただきたい。
DNAやゲノムがわかり、「ゲノムがわかればオーダーメード医療ができる」ということが一時期はやりました。ですがこれは全然違っていて、ゲノムは一番ベースにあるもので、やはり日常の暮らしの中で個々人は全部変わっていきますから。
祖父江:全体をみるというのは、当然、医学・医療の基本原則ですが、今はそれすら行われていませんね。診療科も細分化されて、しかもそれに時間軸が入ってこない。しかし、本当は赤ちゃんから最期まで診てくれる医師が大事です。昔のドクターはそういうふうにやっていたわけです。以心伝心で、「この方は今どういう状態なのか」ということが顔色をみただけでわかったものです。
自動的に部品交換する人間の身体
祖父江:人間は1か月経てば過去、1か月前の人間とはまったく違った人になっている。代謝で全部替わってくるのです。赤血球は1か月で全部入れ替わってしまいます。それと同じように、各種の細胞もどんどん替わっていくので、決して前と同じ人間ではないのです。だから人間は100年生きられるのではないでしょうか。
中村:そうですね。替わるからおもしろい。
祖父江:官庁の車の運転手さんは、時間があると悪いところがないかをしょっちゅうみています。だから官庁の車は非常に長持ちする。悪いところの部品はすぐ替えていく。人間の身体はそういうことを自然にやっているのです。
最も早く交換できるのは皮膚や粘膜です。粘膜でちょっとした傷ができても、まず2日で治ってしまう。消化管の粘膜は皮膚と共通していますから、2、3日でほとんど潰瘍は治ってしまう。それぐらいの自然治癒力を人間は持っているのです。
中村:考えてみると、人間の自然治癒力というのはすごいですね。だからこそ一番大事なのは、その人の持っている能力をフルに活かすことではないでしょうか。どこか悪いところがないかと探すのではなく、その人の能力を一番フルに活かしていこうという発想が大事だと思います。
祖父江:過剰な医療は自然治癒力を阻害してしまいますから、かえって悪くなるわけです。
中村:そうですね。だから私は1人ひとりを常に生き物としてみて、健康でも教育でも食べることでも何でもそうですが、その人の能力をフルに活かして生きられるようにするという気持ちでいます。
祖父江:それは大事なことだと思います。
チョウの感覚毛はヒトの舌と同じ細胞
中村:われわれ人類が生まれたのが20万年前ですから、生き物としてその長い時間を身体の中に持つ。そう考えますと、現代社会はほんの一瞬です。今ここにいる体の中には、生物の進化の過程の38億年が入っている。
例えば、私どもが研究しているチョウの研究の例を挙げますと、チョウの子供は偏食です。例えばモンシロチョウだったら、幼虫はキャベツしか食べない。アゲハチョウだったら、ミカン類の葉しか食べない。そうすると、子孫を残すためには、アゲハチョウのお母さんはミカンの葉っぱに卵を産まなければいけない。他の葉っぱに卵を産むと子孫は続かないわけですね。
お母さんはどうやってたくさんの緑の中からミカンの葉を確認するのか。それは葉っぱをトントンとたたくのです。ドラミングというのですが、チョウの前足を調べますと、先が鍵のような形になっています。だからトントンたたいて、葉に傷がつく。この前足に感覚毛が生えているのですが、その感覚毛で葉の中から出てきた成分を探って、「これはミカンの成分だ」とわかると安心して卵を産む。そういうことがわかってきたのです。
この感覚毛の毛を調べますと、細胞が5つ毛の先に並んでいて、ここで味見をしているわけです。この細胞の構造が人間の舌の味み蕾らいとまったく同じ構造なのです。私たちは「おいしい」「まずい」と味をみるのですが、人間のために特別に味蕾をつくったのではなく、昔から味をみるということは生き物の中で大事だったので、私たちはそれをそのまま使っているわけです。
例えば、糖分を分解してエネルギーにしていく酵素でしたら、大腸菌とまったく同じものを使っています。ですから私たちの身体は38億年のモザイクででき上がっているのです。
確かに21世紀の現代文明の中で生きているのですが、現代文明はほんの100年くらいではありませんか。私たちは38億年全部で生きているわけですから、こちらを無視してほしくないというのが私の願いです。
ですが今の社会の価値観は、38億年を完璧に無視しているという感じです。これには2つ問題があって、ひとつは、1人ひとりが生きにくくなりました。生き物なのですから、生き物としてきちんと評価してくれないと生きにくくなる。もうひとつは、社会全体としても生き物をちゃんと生かさないので、社会としても大きなマイナスだと思うのです。この38億年のモザイクをみなさんが認識し、それをベースに社会を組み立てるということを考えていただきたいと思っています。
現代のものを否定する気はまったくありませんし、昔へ戻りましょうという気もありません。今、生物学の力でゲノムや細胞がわかってきて、38億年の歴史が解明されました。そこで過去に戻るのではなくて、この科学の知識を生かして、新しい学問や技術をつくっていくチャレンジのときではないかと思っています。
人間は決して最高の生き物ではない
中村:生命誌を研究していて思うのは、生き物の歴史だけではなく地球の歴史も知らないといけない。地球の歴史と生き物の歴史は一緒に考えなければいけないということです。地球の歴史からみると、今の地球はなぜこんなに生き物に優しいのだろうというくらい穏やかな環境です。かつて地球はスノーボールといって、全面凍結したときもある。生き物がほぼ滅ぶということを、海の中で4回、陸に上がってから5回ぐらい経験しているのです。
「絶滅」というのは、すべてがなくなるという意味ですが、生物学でいうときの「絶滅」はそうではなく、そのときに栄えていた生き物が全部消えるときに「絶滅」という言葉を使います。
そのような絶滅があったのに、生き物としては消えずに38億年続いているのです。この頃は地球環境問題で何かが滅びるなどといいますが、生き物がすべて滅びるということではありません。ただし人間は滅びるかもしれないと思っています。
祖父江:人間はこれだけ発達した生き物ですから、滅びないよう安全策といいますか知恵を持って、ずっと続いてほしいと思いますが。
中村:人間の脳が発達し、文明をつくったことは高く評価しています。ただし、生き物としてみたときは、人間は決して最高のものではありません。生き物に最高はないのです。それぞれに特徴があって、ある面からみたらこっちがすごい。生物学者として生き物をみたときには、人間は決して特別な存在ではないと思わざるを得ません。最高ではないけれど、特徴は脳の力なので、これを活かして皆が暮らしやすく、続いていく社会をつくりたいと思います。
なぜ寿命があるのか?生と死は対語ではない
祖父江:人間には他の生物も同じですが、エイジングという加齢の現象が起こります。そしてこのエイジングの先には死がある。生命誌の観点からは「死」をどのように捉えるのでしょうか。
中村:生命誌の考えとしては、「死」はそもそも存在しません。「生と死」とよく言われますが、生と死は対語ではありません。最初に生まれた単細胞の生物には、原則、死はありません。生きていくと分裂し、新しい細胞になります。また分裂を繰り返すのでひとつも死んでない。栄養分などが十分にありさえすれば永遠に生きるわけです。
私も以前、大腸菌を実験材料にしていて、37度で十分栄養を与えれば、20分に1回分裂します。すると1時間で約8個になる。それを1日やったら2の72乗になるわけです。例えば、大腸菌を増やし続けたらどうなるかというと、2日ぐらいで宇宙にある原子の数を超えるのです。そんなことは現実には起こり得ないことですが、それだけの生きる力を持って生まれてきたのが、最初の生き物です。38億年前から単細胞生物は生きてきて、25億年前に真核細胞という細胞が生まれました。それで何が起きたかというと、性が生まれたわけです。個体が生まれて、性が生まれた。
自然の中でなぜ性が生まれたのか。科学はその「なぜ?」に答えられません。しかし、生き物は38億年ずっと続いていくために、単なる単細胞生物ではなくて、真核細胞になり、多細胞生物になり、性を生むということを行った。
その結果、1つひとつ違う個体が生まれると同時に「死」が生まれたわけです。ここで初めて寿命ができた。単細胞には寿命はないのですが、真核細胞には寿命がある。ゲノムにはテロメアが端にあって、それが消えていくともう分裂できない。
性が生まれ、個体が生まれ、1人ひとりみんな違う私という存在が生まれると同時に寿命が生まれ、死が生まれました。性と同時に死が生まれたということは、私は死ぬけれども次の世代がつないでいくということです。
この生き物のシステムを25億年前に取り入れたのです。これは「なぜ?」と言われてもわかりませんが、多様性と個が生まれたのは事実です。私たちはそのシステムの中にいるのですから、その中で生きることを考えなければいけません。
個体は死んで、そこで生命が切れるかというとそうではない。「次の世代に生命を渡したのだという気持ちで生き切りなさい」と自然が言っているのです。
祖父江:死をマイナスと捉えるのではなく、「個体としての生き方をしなさい」というメッセージが込められているのですね。
中村:それが一番大事なことではないでしょうか。生命誌を研究していると、それは当たり前のこととして認識できてきます。
命を次の世代に伝承していく唯一無二の存在
中村:ある年齢の子供は「何で死ぬのだろう?」と必ず考えるようです。生き物の話をしていると、死について必ず聞かれるのです。子供たちには、「生命がずっと続いていくということの大切さを感じ、個体として与えられた時間を思いっきり生きるということが、生きるという意味だろう」と語ります。子どもはこれをよく理解します。
与えられた時間を思いっきり生きるという気持ちでいると、生きるということも死ぬということも、とてもポジティブに考えられるようになります。生命誌を研究していると、そのようにしか考えられません。
祖父江:ところで、命を次の世代に伝承していくという感覚は現代人にはだんだん薄らいできたのではないでしょうか。
中村:そうかもしれません。伝承するというただの"連絡係"ではなく、自分は唯一無二の個として与えられているわけですから、自分を思いっきり生き切ることで次につながっていくということを伝えたいですね。
祖父江:最近では特に長寿社会になりましたから、生きる意味が非常に大きな課題になりつつあるのです。
中村:ただ、今の社会がそういう生き方をしにくくしていますね。「みんなと同じになりなさい」、「競争をしなさい」など、私が私として生きることをなかなか許してくれない社会です。だからもっと個々を活かせる生きやすい社会をつくっていただきたいと思っています。
知恵を働かせてほかの生物に迷惑かけない
祖父江:これは何とかして打破していかなければいけないでしょうね。要はみんなが生きやすく楽しめる社会をつくっていくということが望ましい。
中村:そうですね。どういう社会をつくるのかといったら、1人ひとりが生き生きできる社会をつくりましょうとしか答えはないはずです。
祖父江:それ、現代盛んに言われている疑問符ですね。先生、何かいい案はありませんか。
中村:先日、ウルグアイの前大統領のムヒカさんのお話がとってもよかったです。車はフォルクスワーゲンの古いビートルしか持ってない。お給料のほとんどを財団などに寄付して、農業をしながらわずかなお金で生活をされている。それで、「世界で最も貧しい大統領」として知られています。
でも先日、早稲田大学でお話をなさったときに、「私は貧しくありません。質素なのです。私は質素な生き方が好きなのです。だからとっても幸せです」とおっしゃったのです。とてもいい言葉だと思いました。社会を先頭に立って引っ張っていく人の中に、そのような感覚があるというのはすばらしいことだと思いました。
祖父江:世の中捨てたものじゃないですね。心の豊かさはお金では買えませんからね。中村先生には生命誌の観点から、現代社会の医療の問題、また長寿社会はどうあるべきかをお話しいただきました。人間以外の生き物を含めて、総合的な環境づくりが必要であると考えさせられました。
中村:そうですね。地球に生きているのは人間だけではありませんから。
祖父江:そのあたりをクローズアップしていかなければなりません。人類は今、70億人いるわけで、他の生き物と比べても数が少ないわけではないですから。
中村:だからこそ人間は謙虚に、それこそ知恵を働かせてほしい。他の生き物が70億もいたら、これは大変なことです。知恵を働かせて70億人が上手に生きられるように、他の生き物に迷惑をかけずに生き生きと生きるのが"最高の生物"といえるでしょう。
祖父江:本日は貴重なお話をどうもありがとうございました。
対談者
中村 桂子(なかむら けいこ)
1936年東京生まれ。64年東京大学大学院生物化学修了、71年三菱化成生命科学研究所室長、早稲田大学教授、大阪大学教授を経て、2002年からJT生命誌研究館館長。『ゲノムが語る生命』『生命誌の世界』『あなたのなかのDNA』『知の発見「なぜ」を感じる力』など著書多数。
転載元
公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌 Aging&Health No.79