多彩な老い方ができる魅力的な人間が若者に未来を示す(上田 紀行)
公開日:2017年2月 2日 15時14分
更新日:2021年6月30日 11時21分
シリーズ第17回生き生きとした心豊かな長寿社会の構築をめざして
わが国がこれから超長寿社会を迎えるに当たり、長寿科学はどのような視点で進んでいくことが重要であるかについて考える、シリーズ「生き生きとした心豊かな長寿社会の構築をめざして」と題した各界のキーパーソンと祖父江逸郎・公益財団法人長寿科学振興財団理事長との対談の第17 回は、上田紀行・文化人類学者、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院長、教授をお招きしました。
疲れ顔の日本人に必要な「癒し」
祖父江:日本は少子高齢化が進み、高齢化のスピード、平均寿命、健康寿命も世界一となっています。先生のご専門である文化人類学の観点から見ると、"日本人"の特殊性というところから考えなくてはならないと思うのですが、いかがでしょうか。
上田:私は「日本人はどれくらい人生に満たされているか」「どのくらい幸せなのか」などを中心に文化人類学的に考えてきました。「癒し」という言葉は1985、86年あたりから出てきた言葉です。以前は「癒す」という動詞はありましたが、「癒し」という名詞はありませんでした。それを名詞化して、「癒し」がこれから重要になるのではないかと、何人かが言い出し、私の声が一番大きかったので、「癒しの上田さん」などといわれてきました。
『生きる意味』(岩波新書)という本では「現代の日本は経済的な不況というよりも、生きる意味での不況なのではないか」ということを書きました。日本の若者や壮年の方々は、これだけ経済的に豊かで恵まれているにもかかわらず、なぜ疲れた顔をしていたり、満たされていない顔をしているのか。一流企業のサラリーマンで年収も高くて恵まれている人たちなのに、何か自分の人生を生きているような気がしない、何か歯車になっているような意識でいるのはなぜなのか。もう少しみんなのびのびと幸せそうに生きてもいいのではないかという問題意識があり、今まで「癒し」や「生きる意味」という言葉を使って発言をしてきました。
ただし、私の視点は若年・壮年層に向いていたところがあり、今回ご指名をいただいて、改めて高齢者の方々はどうなのかということを考えたところです。どう体調を管理していくかという医学的意味では、日本の高齢者は大変に成功しているといえますね。
祖父江:これだけ健康意識が高い国民はないと思います。
上田:「節制しなさい」と言われると、きちんと節制をする。そういう健康意識が高いような気がします。
私が尊敬する故・中川米造さんの話で、「この頃、老人はすごいですよ。毎朝、公園で体操している。そういう人に話を聞くと、『私は健康のために死んでもいいですから』と言うのです」とおっしゃっていました。「健康のために死んでもいい」とは逆説的ですね(笑)。
協調性が高い日本人の反面の不自由さ
祖父江:東洋人の中でも、日本人特有の体質というのがあるのではないでしょうか。日本人のルーツはどこにあるのか、北から来たのか、南から来たのかと議論になっていますが、そのような民族移動の中で日本人ができ上がったわけです。そこでひとつの体質的な振るいにかけられて、ある一定のグループが日本の島の中に残ったということでしょう。ですから、日本はひとつの特殊な人たちが集まった社会であると思っています。そこに日本民族の特徴的な性格付けとか、あるいは生活習慣から来たものとか、いろいろなものが重なって、日本人独特の形をつくり上げたのではないでしょうか。
上田:日本人のある種のいいところと、「こんなに豊かに生きているのにその実感がない」というところは、コインの表裏のようです。
稲作が日本に入り、弥生時代あたりから村の中で共同して稲作を行っていく。その中で、日本人の民族性としていい意味での「他者との協調性が非常に高い」、「共同体の掟は破らない」、「思いやりがあって他人の迷惑になることはしない」という意識が形成されてきました。
祖父江:非常に真面目ですね。
上田:そうですね。例えば、村の他の人が飢えているときに、自分だけは食べ物があってご馳走を食べ続けるということは日本人の心性からするとよろしくないわけです。
一方では、村という共同体の中で村八分という罰を受けてしまう。社会学や文化人類学の用語では「同調圧力」といいますが、他の人と一緒のことをしなければならない。少しでも違うことをすると、「あなたは罰せられますよ」という感覚です。
それがいいほうへ向かうと、「協調性が高い」ということになるし、悪いほうに向かうと、「自由にしてもいいのにもかかわらず自由に思えない」、「人の目ばかり気にして生き生きできない」となってしまう。日本人はそういう両面を持っている民族であると思います。
東日本大震災のときも、避難所などで「他の人もつらい思いをしているのだから、自分だけがいい思いをしてはいけない」と思う。ですから、あのような中でも暴動などは起きないし、略奪もほとんど起きないというのが日本人の美質ですね。
祖父江:世界からも非常に評価されましたね。やはりこの島国に長く続く生活を共同体としてきたこと、その生活習慣が日本人の特性を形づくるのに大きく影響しているのではないかと思います。例えば、韓国や中国人と日本人は違いますね。共同体意識や思いやり、仕事熱心、向上心が強いなど、このあたりは相当違うと思います。
循環しながら生きていく
上田:平家物語ではありませんが、「絢爛(けんらん)豪華で華美なものを築いてもどこかで滅びてしまう」という考えが日本人のマインドにはあります。中国の王朝などの場合は、続くことを前提につくっています。ですが、日本人の場合はどんなにすごいものを建てたとしても、いつか藻屑になってしまうはかなさというものがわれわれの中にあります。
やはり四季があり季節は推移していきますし、日本の木造建築もそれほど持つわけではないですから、伊勢神宮なり出雲大社にしても常に建て替えていかなくてはならない。そういう意味で、「循環しながら生きていく」という感覚があります。ある種、つつましやかに生きるという日本人の美意識にも通じるものがあると思います。
祖父江:仏教の影響や武士道精神が培われてきた中で、それに従うことが日本人の生きる道であるという規範のようなものが、知らぬ間に形成されたのではないでしょうか。
上田:それがどこから始まったのかというのは非常にむずかしいですが、日本人の美意識のひとつ、「わびさび」は室町時代くらいからです。奈良時代の天平文化は大陸文化に近いものがありますが、平安時代あたりから日本人は自分を滅ぼしていくものへの恐怖感を蓄積していく。「驕(おご)れる者久しからず」という感覚が生まれました。
日本人は古事記の時代から穢れというものを恐れている。「ため込んで穢れてしまう」よりも自分を清めていく方向へ流れていきます。その中で清らかに生きていくにはどうすればいいのか。あまりみっともない生き方というのは日本の社会の中で称揚されません。
日本の農村社会では狐つきのように"憑きもの"がつくというのがあります。日本の民族宗教学の中では、そういう「憑きものがつく」というのは、「幸運がつく」のと掛け言葉になっています。
同じように田を耕して、なぜかある家だけが収穫が多い。病虫害あっても、なぜかその田だけが虫がつかない。そうすると「あの家には何かがついている」、「幸運がついている」ということと、「狐のようなものがついている」ということと、「つく」の意味はダブルミーニングです。
ですから、「人生あまりついてもいけない」というところがあって、それが日本人のつつましやかさでもあり、常に自分の幸せと他の人の幸せを見比べているのです。
祖父江:それは日本人独特のアイデンティティでしょうね。祖父江:それは日本人独特のアイデンティティでしょうね。
スリランカの「悪魔祓い」の効能
祖父江:上田先生は以前、スリランカを訪れて、「悪魔祓い」の風習の研究をされたそうですね。
上田:私がスリランカに行ったのは、『スリランカの悪魔祓い』(講談社文庫)の元になる調査を行った1985、86年頃です。スリランカはポルトガル、オランダ、イギリスの3つの国の植民地となり、ポルトガル、オランダのときは沿岸地域だけでしたが、イギリスのときには全島が植民地でした。イギリスの植民地のときに、西洋医療の診療所が各村に建てられていくのです。独立してからも西洋医療の病院が残り、資本主義なのですが、福祉に関しては社会主義的な部分があり、医療費が無料なのです。
無料で医療が受けられますが、それでも治らない病気があります。それは心身相関的といいますか、心と体が一体となった病気です。鬱っぽくなってしまったり、気分が晴れなかったり、より心身相関的になると皮膚病が治らない、腹痛が治らない、頭痛がひどい、などになっていきます。
そのときに星占い師のところに行って病気の相談をすると、「それは悪魔の憑きやすい時期だから、きっと悪魔のせいだ」と言われて、「悪魔祓い」をやることになる。それをしないと病気が治らないというわけです。
その「悪魔祓い」はわれわれが考えるような陰惨なものではなく、大変楽しい村祭りです。患者さんの家の前の広場に祭壇を建てて、そこが村祭りの場となります。村人が100人、200人と集まってきて、その真ん中で、踊り手であり太鼓叩きでもある悪魔祓い師が徹夜で踊る。悪魔の歌を歌って華麗な踊りを踊る。仏教の儀礼ですから、「仏様がいかに徳の高い方か」という歌を歌う。悪魔も仏様には逆らえない。そして真夜中になると、患者さんは本当に悪魔憑きの状態になって踊り出したりする。
「お前は誰だ?」というと、患者さんは「悪魔だ」と答える。それでお祭りが終わったあとに、「去るのか?」と悪魔に聞く。「お前は仏様を信じているのか?」と悪魔に聞くと、「信じている」と答える。
祖父江:悪魔も仏教徒ということでしょうか。
上田:そうです。それで悪魔も仏様の言いつけに従うのです。「何時に去るのだ?」と悪魔に聞くと、「4時だ」と答える。「4時は早すぎる。6時にしろ」などと交渉もする。
孤独な人に来る悪魔の"まなざし"
上田:そのあとがおもしろくて、朝3時から6時までがお笑い演芸会になってしまう。仮面をかぶった悪魔がダジャレや下ネタ、テレビドラマのギャグなどを言って、村中が笑い合って、その病気が治るわけです。悪魔祓いの偉い先生は「どんな悪魔も患者さんの心がワクワクし出さないと治らない」と言いました。
祖父江:なるほど。うまいこと言いますね。
上田:私はそれを聞いたとき、「えっ?」と思って、例えば、西洋医療の病院に行ってもそんなにワクワクさせないですよね。そこが意外な盲点だと思ったのです。
それから「どんな人に悪魔が憑くのか?」と聞くと、悪魔祓いの先生も村の人も一様に、「孤独な人に悪魔が憑く」と言うのです。ここが面白いところです。
祖父江:それは現代の心身症理論と一致するところがあります。自分がつくっている悪魔と称する"こだわり"ですね。こだわりが悪魔になってしまってしまう。それは心身症そのものですよ。心身症はそのこだわりを取ってしまえば治るわけです。
上田:おっしゃる通りですね。そして、「悪魔のまなざしが来る」というのです。悪魔の祟りである悪影響を"まなざし"という言葉でいいます。周りの村人からいいまなざしをもらっているときは悪魔は来ない。ところがその人が何かこだわりを持っていて、「どうも俺はあいつから憎まれているのではないか」、「みんなが俺の不幸を願っているに違いない」、「私は孤独で見捨てられた存在なんだ」などと思ってしまうと悪魔が来る。
それで、お祭りをやってみんなで笑い合って発散して、「自分の悪魔祓いに村の人たちがたくさん来てくれた」という気持ちになって孤独感から抜け出せる。他者とのつながりを通して人は癒されていくということです。
祖父江:これはシャーマニズムといっていいのでしょうか。
上田:悪魔祓いもシャーマニズムの一種ですね。以前は「シャーマニズムというのは非科学的なもので、お祭りをしたところで体調がよくなるというのは非科学的だ」といわれていました。その後、人間の免疫力とか自然治癒力は人間関係にものすごく影響され、笑いもすごく影響するといわれるようになりましたね。
祖父江:もうサイエンスになってしまったのですね。笑いが免疫力を高める。ナチュラルキラー(NK)細胞が増えるといわれていますね。
わが国でも「悪霊が憑いているから病気など不幸が絶えない。だから悪霊を祓わなくてはいけない」という考えは、人里離れた田舎や山間地帯では聞かれますし、こうした風習はつい最近でもまだ残っているような気がします。
現代社会からすれば、シャーマニズムや悪魔祓いの儀式はかなり原始的な感があります。ですが、現代人が悩む心身症のあり方の原型を眺めるようなところがあり、現代の心身症や精神疾患を考える上で大いに参考になりますね。成熟した現代社会の中で、原始社会での心と身体の相関を理解して、それを現代社会に応用する上で重要な資料となりうるでしょう。
現代人の心には、原始時代からの心の形態・機能を備えた状態と、現代の華やかな文明の色彩を受けて変形したと思われる現代型の心の状態・機能とが共存しています。両方のバランスが取れていればいいのですが、このバランスは崩れやすく、心身一如が乱れる危惧が大いにありますね。
蓄積型社会で生じる不安
上田:スリランカは農村社会なので、日本と同様、蓄積型の社会です。農耕を始める前の木の実を拾い、動物を狩りする時代は、蓄えるものがなく私有財産もなく、集団で採れたものを平等に分かち合うので、未来への心配がない。それに対して、蓄積型の社会ではモノを持ってしまうとそれを失うのが怖くなる。他の人よりも多く持っているか持っていないかということが気になり出して、未来への心配も出てくるわけです。そして自分の持っているものが少なくなるのが恐ろしい。周りの人に自分の地位が奪われてしまうのではないか、財産を取られてしまうのではないかという不安が生じてくるのです。
祖父江:現代の人は持ち過ぎなのではないでしょうか。
上田:そうですね。つまらないものまで持っているのです。お釈迦様の悟りとは、物欲や心の欲望をどこで断ち切っていくのかというところにあるわけです。
諸行無常というのは、なくなるだけのことではなくて、今持っていなくても次にもっと持てる、もっと幸せになるという意味でもあるのです。日本社会はもともと諸行無常を受け入れていた社会なのに、この近代化の中でやたら持つことや持ち続けることにこだわって手放せない人が多くなっているように思います。
祖父江:これは近代化した副産物みたいなものですね。鎖国していた300年は非常に意味があったと思います。武士道や日本人のきれいな心の存在などは、鎖国の中で培われて温存してきたわけですから。
上田:ひたすら発展して右肩上がりになっていくとみんなが思っている社会と、毎日が似たような感じでいくと思っている定常化社会の2種類あるとすれば、鎖国をしていた江戸時代は後者のほうです。
江戸の町民にとっては、いかに毎日を楽しく暮らすかが重要でした。幸せというのは、その一瞬一瞬をどうやって楽しんでいくのかというところにありました。ところが明治時代に入って近代化をしていかなくてはならない。どんどん発展して右肩上がりにしていかなければならない。「追いつき追い越せ」になった頃から、「ひたすら発展しなくてはならない」が強迫観念のようになっていきました。現代の日本の場合は、戦後のあまりに長く続いてしまった右肩上がりの経済成長が、逆に私たちの目を曇らせているというところがあります。
祖父江:そうですね。それは大いにありますね。
上田:大学で『生きる意味』を読ませますと、学生たちが「なぜ父と全然話が合わないのか、父の話が全然理解できないのかがわかりました。日本には高度経済成長といって、毎年、発展している時代があったのですね」と言うのです。今の20歳の学生は1996、97年生まれで、バブルが崩壊したあとに生まれているわけですから。もはや大学院生でも右肩上がりの時代を知らないのです。
お父さんやおじいちゃん、特に男性は、社会がバリバリ右肩上がりになっていくものだという考えが頭にこびりついて離れない世代です。そうすると息子たちに「お前たちも勉強して、お父さんのように一流企業に入るんだぞ」と言う。子供たちは「お父さんは幸せなの?」と聞くと、お父さんは「一流企業に入ってもこの頃はリストラが恐ろしくてしょうがない。大変だ」と答える。子供たちは、「じゃ、なんでお父さんは一流企業に入れって言うの?」という循環問答に入ってしまうのです。
右肩上がりに慣れすぎた人たちは、「幸せとは何か」ということについて、なかなかその枠組みを離れて話すことができないのです。
祖父江:どこかでブレーキをかけなければいけないですね。
手放すことで心のバランスを得る
上田:自分の持っているものを捨てていくときに、本当の心の安寧があり、幸せがあるのだということが、今日的な要請として出ているように思います。
祖父江:財産はあの世へ持っていけないですからね。
上田:そうですね。ですから次の世代が幸せになればいいと願いながら生きたほうが幸せなのではないかと思います。われわれはひたすら成長のために今はがまんして右肩上がりにするというのは得意ですが、手放していくことは意外と不得意です。築いたものは崩壊していくもので、手放したりすることで心のバランスを取っていくということが日本の伝統としてあるわけですが、ここ数十年間はそこから相当離れてしまいました。それをもう一度、適正水準に戻していくことが必要なのではないでしょうか。
祖父江:先生のおっしゃる通り、最近はバラエティに富んだ社会になり、古典的なものがあると同時に近代的なものが入ってきて、現代の社会構造は多種多様です。そんな中に少子高齢化という現象が中に潜んでいるわけです。少子高齢化の要因はさまざまで、国の力を持ってしても何ともしがたい。ですから、この多様な問題を個人個人の考え方の中でバランスを取っていくことが大事なのではないかといつも考えているのですが、いかがでしょうか。
上田:私は今回、「高齢者」というテーマをいただいて一番感じたのはそのことです。今は若者であれ高齢者であれ、いろいろな人がいるわけです。若者でも大学の医学部に行くような人もいれば、農業や漁業に携わる人もいる。壮年といっても既婚の人も独身の人もいます。その中で「高齢者」といった途端に、何か人の顔が見えなくなる。1人ひとりは個性を持った多様な人であるわけで、それをグループとしてくくって「高齢者」といってしまうことに無理があると思うのです。
施設に勤めている方から聞いたのですが、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と声をかけていると下を向いた感じの人も、「鈴木さん」「佐藤さん」と呼んだ途端に個人の顔になるというのです。「自分は昔、会社でこんなことをやっていた」、「戦争に行ってこうだった」などのライフストーリーがあり、自分自身の尊厳を持った、自分の歴史を持った鈴木さんや佐藤さんが出てくる。しかし、「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼んだときには、グループとしての扱いになってしまって、その人の光が消えていく。
「われわれの社会が成熟した」という意味は、1人ひとりが成熟して個性豊かな人として扱われて、一番自分にフィットする生き方を選べるということであり、これが「豊かに生きる意味」につながっていくのだと思います。
老いても最期は大見え切って去っていく
祖父江:現在の日本の社会構造は「少子高齢化」で、高齢化に"少子"が付いています。この少子高齢社会について何かアドバイスをお願いできますか。
上田:人生はある種のドラマみたいなもので、1人ひとりが観客の前で自分という役者を演じていくようなものだと思っています。老いても子どもたちに対して表現できるものがあるように思います。
私の母(編集部注:翻訳家の上田公子氏)も75歳くらいから急にスペイン語を始めると言って、グアテマラに留学しました。「何のために行くの?」と聞くと、「楽しいからいいじゃないの」と言って、そんな姿を家族に見せていたわけです。その後、母はすい臓がんになりまして、痛みに耐えながら闘病していたのですが、孫たちにとってはものすごく頑張り屋のおばあさんとして心に刻まれています。在宅看護をしましたので、そういう姿を家族に見せていたわけです。
老いて病になっても、ひとりの役者として最期は大見え切って去っていく。そういう意味では、単にものわかりのいいおじいさん、おばあさんになるのではなくて、最期までどこか自分のこだわりを持って老いていくということが、若者たちにとっていい影響を与えると思います。
今の若者たちはわれわれの世代よりも人の目を気にして、空気を読んで自分の言いたいことを言わず、他の人から評価されることだけを気にする人が増えています。そんな中で高齢者がどこか1点でもこだわりを持って、最期まで役者として大見えを切ってくださることが、若者への勇気付けになると思います。多彩な老い方ができる魅力的な人間である、そんなおもしろい未来が待っていることを、あとから来る世代に示していただきたいと思います。
祖父江:年を取っても人生を謳歌して生き生きと生き切る姿を若者に見せることは大切なことだと思います。今日は貴重な意見をありがとうございました。
対談者
上田 紀行(うえだのりゆき)
文化人類学者。1958年東京生まれ。東京大学大学院博士課程修了。1986年よりスリランカで「悪魔祓い」のフィールドワークを行い、その後、「癒し」の観点を早くから提示、現代社会の諸問題について提言を行う。「人間としての教養」を合言葉に、2016年4月から始まった東京工業大学での教育改革に携わり、現在、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院長・教授。
主な著書に、『生きる意味』(岩波新書)、『人間らしさ』『生きる覚悟』(ともに角川新書)、『スリランカの悪魔祓い』『ダライ・ラマとの対話』(ともに講談社文庫)など。
転載元
公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌 Aging&Health No.80