健康長寿社会を国民参加型でつくる(井村 裕夫)
公開日:2019年6月28日 09時00分
更新日:2022年7月20日 10時47分
シリーズ第11回生き生きとした心豊かな長寿社会の構築をめざして
わが国がこれから超長寿社会を迎えるに当たり、長寿科学はどのような視点で進んでいくことが重要であるかについて考える、シリーズ「生き生きとした心豊かな長寿社会の構築をめざして」と題した各界のキーパーソンと祖父江逸郎公益財団法人長寿科学振興財団理事長との対談の第11回は、井村裕夫京都大学名誉教授・公益財団法人先端医療振興財団理事長をお招きしました。
日本の医療制度を持続可能なものに
祖父江:井村先生は「第29回日本医学会総会2015関西」の会頭を務められました。医学会総会は今年(2015年)4月11日~13日の3日間、京都など関西地区で開催されました。今回はプレ企画も含めて、初めて"オール関西"で開催されたそうですね。
井村:関西広域連合という自治体連合があり、京都、大阪、神戸で国際特区を形成しています。また、新しい医療のあり方を模索する国家戦略特区に関西圏が指定されたこともあり、関西全体が協力していく時代です。そのような背景があり、「今回はひとつ"オール関西"でやりましょう」ということになりました。
祖父江:医学会総会は4年に1度の開催ですので、前回は2011年でしたね。
井村:前回は東日本大震災の影響で大幅に規模が縮小されたため、通常規模の総会は8年ぶりです。前々回の開催からだいぶ時間が経ち印象が薄らいでいる可能性がありますから、医学会総会を一般の人に知ってもらおうとプレ企画を多く開催しました。もともと医学会総会は普通の学会と違い、医学界と社会の橋渡しをする学会ですから、社会に向けての発言・発信や社会との接点が大切になります。医学界が抱え直面している問題を一般の人に発信していく場だと思っています。
祖父江:一般の方の関与がないと真の医療は成り立ちませんからね。今回の医学会総会のテーマは「医学と医療の革新を目指して」でしたね。
井村:日本は少子超高齢社会を迎え、10年後には団塊の世代が後期高齢者となります。生産年齢人口が減少する中、増え続ける高齢者をどう支えるのか、日本の医療制度をいかに持続可能なものにするかを国民のみなさんとともに考えていかなければなりません。医学・医療がこのような転換期にあるという問題意識を込めて、「医学と医療の革新を目指して」というテーマを決めました。
祖父江:せっかく長寿社会を実現したのですから、健康で長寿でありたいというのは誰しもの願いです。高齢者の病気をできるだけ減らすことは、医療費や介護費用の抑制にもつながりますし、高齢者の幸せにもつながりますから大切なことですね。
出産の正しい知識の浸透で少子化対策
祖父江:少子高齢化はゆゆしき問題ですが、特に「少子化」の問題が深刻となってきました。2014年の出生率は前年よりも微増したものの1.43人。人口は過去最大の減少幅でした。年間20万人以上もの人口が減っています。
井村:少子化が一番進んでいるのは東京で、2014年の出生率は1.13人です。大都市では結婚後も働く女性が多いですから、少子化対策に財源を投入するだけではなかなか解決するものではないでしょう。
祖父江:都会ではみんな晩婚になってしまいましたね。出産に適切な時期はやはり20代~30代前半だと思いますが、東京では女性の平均初婚年齢は30歳を超えているそうです。
井村:今回、医学会総会のプレ企画で「いのちを考える」と題したシンポジウムを開催しました。吉村泰典・慶應義塾大学名誉教授が「高齢妊娠・出産を考える」をテーマに講演しました。その中で「いつでも卵子をつくることができると思ったらそれは間違いです。胎生期にできた卵子が、年齢とともにその数が減っていく。35歳を過ぎると妊娠の確率が急速に落ち、ダウン症などの染色体異常や妊娠合併症の確率も増えていく」という話をしてくれました。そうしましたら、聴衆の方から「先生方はそんな大事なことをなぜ今まで言わなかったのですか」という声がありました。妊娠・出産に対する正しい知識を浸透させ、若い人たちが早めに子どもを持ち育てることができる環境をつくることが今後大事になると思います。
祖父江:子育ての環境の悪化も少子化の要因のひとつであることは間違いないでしょう。昔は同居する家族が子育てを助けてくれましたが、近年は核家族化が進みました。祖父母は田舎で子世帯は都会で暮らし、さらに夫婦共働きとなると、どうしても子育ての環境が悪くなります。
井村:京都大学総長の山極壽一さんと対談した際に、「子育て」が話題になりました。山極さんはゴリラ研究の第一人者です。人間は2年間隔で子どもをたくさん産みます。他方、ゴリラは4年ほどの間隔で子どもを産みます。子どもの数は少ないけれど、木の上で生活しているため生き残る確率が高い。一方、人間は猛獣のいるサバンナで生活するようになり、子どもの死亡率が高かった。だから2年間隔で子どもをたくさん産むようになったのではないかという意見でした。
人間は脳が大きいため、未熟な状態で産まないと産道を通れません。未熟な状態で産むため生後の発育に時間がかかりますが、子どもを短い間隔でたくさんつくってきました。それができたのは、周りの人が子育てを助けてきたからではないかということです。
実は、更年期や閉経があるのは人間だけです。その進化の理由はわかりませんが、ひとつの仮説として有力なのが「祖母仮説」。高齢で出産すると本人も危険で子どもが育たない確率が高くなるので、ある年齢で出産をやめて自分の孫の養育を助けるという仮説です。
祖父江:少子化の問題はある意味、高齢化の問題よりも大きな問題といえるかもしれません。少子化が進みますと高齢社会を支える働き手が減りますから、経済面や安全保障などいろいろな面で影響が出てきます。そういう意味ではこれから特に少子化対策に力を入れなくてはならないでしょう。
「集団の予防」から先制医療の「個の予防」へ
祖父江:第29回日本医学会総会を記念して井村先生が出版された『医と人間』(岩波新書、2015年)を読ませていただきました。
今や糖尿病や高血圧や心筋梗塞などの慢性疾患が増えて、世界中で大きな問題となっています。実際、日本の高齢者にも慢性疾患が増えており、慢性疾患を持っていると認知症発症のリスクも高くなりますから、医療費のみならず介護費用の増大にもつながります。今取り組まなければならないのは、高齢者の病気をできるだけ減らすことです。井村先生が提唱される新しい予防医学の「先制医療」のお考えに感銘を受けました。
井村:病気にかかると病院で診てもらい治療を受ける「治療医学」に対し、発症する前から危険因子を見つけ出し、予防対策を立てるのが「先制医療」です。従来の予防よりもう少し個人の特徴に応じた予防です。
今までの予防というのは「集団の予防」です。たとえば、心臓病にならないようにするのであれば、「タバコをやめなさい」「血圧を下げなさい」といってきました。しかし、これからは「あなたは心筋梗塞になりやすいからタバコをやめなさい」「糖尿病になりやすいから食生活を見直しなさい」といった個別の予防ができればいい。今はそこに到達するための移行期です。「集団の予防」から「個の予防」へ。医療も「集団の医療」から「個の医療」へ進まなければならない時代だと思います。
祖父江:あらゆる疾患に遺伝子が大きく関わってくると思いますので、先制医療においては遺伝子研究が果たす役割は大きいでしょう。
井村:そうですね。先制医療が可能になった背景には遺伝子研究の発展があります。しかし、最近わかってきたことは、遺伝子の他に環境因子も意外に大きいということです。私の専門の糖尿病でいいますと、昔は「糖尿病は家族発生する。親が糖尿病なら子どももなりやすいから遺伝だ」といわれました。ところが遺伝子を探してもなかなか見つからない。そんな中、環境因子、特に胎生期や出生前後の環境因子が大切なのではないかということがわかってきました。
終生にわたってのヘルスケア「ライフコース・ヘルスケア」
祖父江:お母さんのお腹の中にいるときに、発症する病気がある程度決まってしまうということですね。
井村:おっしゃるとおりです。第二次世界大戦末期の1944年11月から翌年の5月にかけて、ナチスドイツ占領下のオランダで極めてひどい飢餓が起こり、多数の餓死者が出ました。連合軍の解放後、調査に入ったアメリカの栄養学者が、飢餓の後に生まれた子どもは平均して200グラム以上体重が少ないことに気づき、オランダ政府に追跡調査を勧めました。オランダ政府は飢餓コホートをつくって、現在も追跡調査をしています。
祖父江:追跡調査ではどのようなことが判明したのでしょうか。
井村:20年ほど経つと統合失調症、40年ほど経つと心筋梗塞、糖尿病、肥満、高血圧、いわゆるメタボリックシンドロームなどが多いことがわかってきました。そして「胎生期に非常に貧しい環境で育ったことへの適応現象なのではないか」という考え方が出てきたわけです。
胎生期が貧しい環境ですと、生後も貧しい環境に生きる可能性が高いので、その環境に適応するために人体はプログラムされます。ですから一般に身長が低くて筋肉の発達も少ない。逆に胎生期が豊かだと、高身長になり筋肉もよく発達する。それはいずれも環境適応だということです。
問題は「貧しい環境に生きるようにプログラムされた人が、急に豊かな環境に生きると、そのプログラムと環境のミスマッチで肥満となり糖尿病になる」ということです。まだ仮説ではありますが、最近、動物実験や一部では人でも研究が進んでおり、「遺伝子そのものには変化はないが、遺伝子の使い方が変わるというエピジェネティック(後成)な変化だ」ということがわかってきました。
今までは「後天的に獲得してきたものは遺伝しない」と考えられてきました。しかし、エピジェネティックな変化は一代で終わるかと思っていたらそうではなく、一部は三代ぐらいまで遺伝すると考えられています。
祖父江:「家族に糖尿病が多いから」ということは必ずしもいえなくなるわけですね。これからは遺伝子だけでなく、エピジェネティクスの研究も必要な時代ですね。
井村:そうです。「先制医療」は、個人の遺伝要素だけでなく、環境因子も手がかりにハイリスク者を見つけて、発症前に介入していくことになります。
これまでの健康管理やヘルスケアは40歳頃から始めていましたが、そうではなく母親のお腹の中にいるときから始めるべきです。小児期から思春期、そして成熟期と終生にわたってその時期、その時期のヘルスケアをしていかなくてはならない。そうでないと健康な高齢者になれないという時代になってきました。
私はこれを「ライフコース・ヘルスケア」(図)といっています。これは進化生物学のライフヒストリー(生活史)から考えたものです。人間は胎生期が10か月、生まれて20年が成長期、20年から子どもをつくり育て、そのあとは孫を育てたりする。そういうライフヒストリーに基づいてヘルスケアをしていくということです。それぞれの時期で大切なことを見定めて対応していかなければならないというのが私の提案です。
アルツハイマー病の予防の時代へ
祖父江:「老老介護」が問題となっていますが、今や「認認介護」。認知症の人が認知症の人を介護する時代になってきました。認知症患者は軽度認知障害(MCI)の人を含めると800万人。認知症1,000万人時代はもうだいぶ近くまで来ているでしょう。「先制医療」の対象として、アルツハイマー病が注目されています。認知症が発症する以前の兆しをどのように捉えるか。そこが大きな問題となっていますね。
井村:アルツハイマー病を遺伝素因でどこまで層別化できるかということですが、今のところ、アポE イプシロン4(アポリポ蛋白E ε4)があれば、ヘテロ接合体でも3倍から5倍で、ホモになると10倍から15倍アルツハイマー発症のリスクが高くなるということです。種々の問題がありますから介入がなかなかむずかしいですが、そのような人たちをある程度層別化して、注意深くフォローしていくことが必要になると思います。
祖父江:いわゆるアルツハイマー病の予防ですね。
井村:アルツハイマー病の症状が現れる20年以上も前に脳の中にアミロイドβ蛋白(Aβ)が溜まって、それによる脳の神経細胞死が起こることが原因だと考えられていますが、今はアミロイドPETを使うとAβは証明できるようになりました。しかし、問題は治療法がないということです。認知症になってからAβを減らしても、すでに脳の神経細胞が死んでいて極めて限定された効果しか望めないという結果が得られています。今のところは認知機能の正常時には検査しませんが、もの忘れの始まったMCIであれば検査ができます。保険適用外ですが、私どもの神戸の先端医療センター病院(現・神戸市立医療センター中央市民病院)でもPET検査を少しずつ始めています。
アメリカではアルツハイマー病発症のリスク保持者に対して、発症前段階での予防の取り組みが始まっています。症状がないけれどAβが溜まっている人に対して薬の治験を始めていて、これは典型的な「先制医療」といえます。
祖父江:アルツハイマー病の早期診断法と予防法の開発が今後進んでいくことが望まれますね。そして今、確実にできることといえば、食事や運動、生活習慣病といったライフスタイルに関連する因子を改善していくことでしょう。
井村:糖尿病患者は認知症発症のリスクが2倍になるので、糖尿病の治療を行う。喫煙者もリスクが高まるので禁煙を勧める。運動は認知機能の改善に非常にいいことがわかっています。孤立した生活も悪いので、できるだけ社会性を持つようにする。このようなローテクの予防も積極的に行っていかなければならないと思います。
健康感がわかる「八快」のすすめ
井村:私は糖尿病の患者さんを診ていて感じるのは、「運動をしなくなった」ということです。以前は、筋肉は単に運動するための器官だと思われていましたが、実は成長因子などを分泌する一種の内分泌器官です。「運動をするかしないか」ということが、糖尿病発症の大きな要因のひとつだと考えています。
現在、糖尿病が一番増えているのはアラブ湾岸諸国です。砂漠地帯ですから、みんな車で移動する。急に豊かになり欧米の食事がどんどん入ってくる。もちろん食事も非常に大切ですが、運動も軽視してはいけないだろうと思います。考えてみますと、昔の人間は運動をずいぶんしていました。
祖父江:車も新幹線もなかったですから。それが今や名古屋から京都までは新幹線で35分。食品もありとあらゆるものが簡単に手に入る時代になりました。原始時代は食べ物を探して手に入れるということが、生存のための最大の課題でした。鳥は獲物を探すために1日中飛び回る。人間にはそれがなくなってしまいましたね。
井村:宅配を頼んだら何でも届く。もう動かなくても生活ができますね。しかし、ささやかでもできることは「バランスよく食べること」と「運動」でしょう。
祖父江:長寿社会の中で「運動」「栄養」「休養」は大切な3要素だといわれています。日常生活の中でこれらがいかにバランスよく配分されているのかが大切になります。
そして健康のバロメーターで重視したいのは「三快」。いわゆる「快食」「快便」「快眠」です。3つの中のどこかに異常を感じたら病気のシグナルだとわかるし、「健康感」もわかる。最近はこの「三快」に5つ加わり、「八快」というものがいわれています。「快尿」「快歩」「快談」「快声」「快笑」です。楽しくおしゃべりするということは身体機能にいい影響を与えます。今はあまりにも便利な世の中になりすぎて、人びとは「健康感」を忘れているのではないでしょうか。
井村:昔は自分で意識して健康を保っていました。貝原益軒(かいばらえきけん)の『養生訓』でもそのようなことに触れていましたね。
祖父江:「天寿は生まれたときに備わっているものだが、それを短くしているのは、それぞれ個人の日常生活での養生が悪いためだ」と書いていました。今日話題になっている生活習慣病が問題であることを江戸時代にはすでに見抜いていたということですね。
医療者だけでは健康を守れない時代
井村:今回、医学会総会の最終日に「健康社会宣言2015関西」(表)をまとめました。「治療から予防へのパラダイム・シフト」「個の医療の推進」「出産、子育ての支援」など、5つの項目です。これらが実現の方向に向かうよう、期待を込めて発表しました。
表:「健康社会宣言2015関西」
- 治療から予防へのパラダイム・シフト
- 個の医療の推進
- トランスレーショナル・リサーチと臨床研究の促進
- 出産、子育ての支援
- 地域医療、看取り医療の推進
われわれ医師はみなさんが病気になるのを待って対応してきたわけです。健康保険もそうですね。健康な人を診てはいけないのですから、極めて受け身です。「病気になったらいらっしゃい」と待っている。これではこれからの高齢社会は乗り切れないと思います。健康保険の適用範囲を広げていき、医師はコミュニティに入って予防にもっと関与していかなければならないと思います。
祖父江:医師は国民の健康を守るということが大きな使命のひとつです。疾病を治療することはもとより、国民の健康保持も大きなミッションです。それには社会全体で健康をめざしていかなければならないですね。
井村:おっしゃるとおりです。今は医療者だけでは健康を守れない時代です。これからの健康長寿社会は医療を提供する側だけでなく、国民すべてが参加することによってつくられると思います。「国民参加型社会」に変えていこうということです。
ここ十数年、神戸の医療産業都市構想に関わり助言をさせていただいています。予算を確保してもらい、市民のみなさんに万歩計を配りました。許可が得られた人から血液を提供してもらい、運動実施前後に採血検査を行いました。
いつも感じることですが、「参加する人は極めて健康意識が高く元気な人が多い」ということです。そして課題となるのは、「参加しない人をどのようにして外に引き出すか」ということです。今回の医学会総会で一般の人向けの講演会を多く開催しましたが、参加する人はやはり健康な人が多かったです。参加しない人を啓発していく仕組みを社会全体で考えていかなくてはならないと思います。
祖父江:日本人はコミュニティに溶け込むことがあまり上手ではないですね。特に男性を引き出すことに、どの自治体でも苦労しているといいます。参加しやすいコミュニティづくりというのも今後の課題となるでしょう。
本日は貴重なお話をありがとうございました。
(2015年7月発行エイジングアンドヘルスNo.74より転載)
対談者
- 井村 裕夫(いむら ひろお)
公益財団法人先端医療振興財団理事長(当時) - (公財)神戸医療産業都市推進機構名誉理事長、(公財)稲盛財団会長、京都大学名誉教授、日本学士院幹事。
1954年京都大学医学部卒業、内科学、特に内分泌代謝学を専攻。1971年神戸大学教授、1977年京都大学教授、1989年同医学部長、1991年京都大学総長。1998年より科学技術会議(のち改組により総合科学技術会議)議員として、日本の科学技術政策に関わる。2004年(公財)先端医療振興財団理事長(現・神戸医療産業都市推進機構)、現在は名誉理事長。
転載元
公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌 Aging&Health No.74