第3回 「人生100年時代」における「延命治療」の功罪1
公開月:2024年10月
小堀 鷗一郎
堀ノ内病院 地域医療センター在宅診療科医師
温暖化花にわびつつ夏日和
この俳句は9年半にわたって週3回の透析を行うという過酷な闘病生活を送った後、101歳で死亡した女性が詠んだものである。
私がこの女性を知ったのは20年以上前に静岡県御殿場市の病院に週1回のパート勤務を行っていたときで、今となっては彼女がどのような経緯で俳句に親しんだのかはわからない。記憶しているのは、彼女の作句への情熱が並々ならぬものがあったことで、これは数々の入選作(朝日俳壇6回、毎日俳壇4回、NHK俳句2回入選)からも想像に難くない。
少しだけおしやれ楽しき花水木
(ご高齢の作者。ご入院先からの投句だが、何とも明るい。感嘆のほか無い。ご快癒を――。選者岡本眸)(『毎日新聞』2006年7月30日)
静岡新聞の知人に依頼して紹介記事「吟行 心の癒し―高齢者、創作に燃え生きる喜び」(『静岡新聞』夕刊2003年12月8日)を書いてもらったこともあった。亡くなる1年前の手紙には次のような文章がしたためられていた。
投句は朝日、毎日、NHKと夢を追っております。俳句を作り、庭を一巡りが老いも病も忘れ、いきるただ一つの楽しみでございます。
私は1月1日透析日、生きるためのお年玉を頂けたとうきうきしてましたら12月31日に振りかえられ戸惑いました。
彼女が最後に残した言葉は「母のところへ行きたい」とのことであった。
もう一例、高齢患者における透析治療の事例を掲げる。
ある年の正月、透析センターの医師から94歳の女性の訪問診療を依頼された。患者は約9年間週3回の透析治療を受けており、介護を担当するのは長男である。長男の説明によると3年前から透析に行くことを嫌がるようになり、最近は「行きたくない」と泣く母親をなだめすかして送迎車に乗せる日々が続いていた。このため長男が主治医と相談し、週3回の透析を2回にしてもらうことになった。主治医からは週3回の透析を2回に減らすことにより心停止のリスクも増すことから、その対応策として訪問診療を依頼したいとのことであった。
訪問してみると患者は認知症がかなり進行しており、私が医師であることも、往診の理由も理解したとは思えなかった。数日後、電話があり、透析から帰宅後、自宅玄関で失神し脈も触れないということであった。直ちに患家に急行したところ、幸い患者の状態は平常に戻っていた。このとき長男が私に心情を語った。すなわち、母親の脈が触れなくなったとき、私に緊急連絡の電話をしつつ、心の底では母親がこのまま静かに旅立つことを願っていた、というものである。
私は患者がかなり進行した認知症で主治医の顔も判別できない状態にあること、すでに85歳から9年間週3回の透析という過酷な闘病生活を続けていること、本人にも家族にも、さらに生きたい、生きていてほしいという願望がないこと、などを勘案して透析を中止する選択肢があることを長男に伝えた。長男は文字通り翌日主治医を訪ね、透析治療中止が決定した。患者は1週間後に静かに息を引き取った。
2年後に私は偶然の機会から長男と再び文通する機会を得た。彼の手紙によると、患者は最後の1週間、長年禁止されていた果汁(特にグレープフルーツジュース)を心ゆくまで飲んだということであった。
2人の高齢患者が受けていたのは延命治療である。延命治療は老化や疾患によって生命の維持が困難となった患者に対し医療的措置によって一時的に生命をつなぐ行為を指すもので、具体的には人工呼吸、人工栄養、人工透析からなる。当然のことながら、いずれも高度な病院医療である。
延命措置という表現がある。しばしば延命治療と混同されて用いられているが、羽田澄子『私の記録映画人生』(岩波書店)に記された描写がこの用語を見事に表現している。羽田氏は記録映画作家として『痴呆性老人の世界』をはじめとする作品で、必ず訪れる人間の最期のあるべき姿を社会に語りかけた。その契機となったのは、妹の死である。彼女は卵巣がんの終末期を病院で過ごした。臨終に際して、家族は病室外に出され、家族不在のまま心臓マッサージなどの延命措置が行われ、再び家族が部屋に入ることを許可されたときの状況がこのように記されている。
「お入りください。亡くなりました」と私たちは部屋に入れられた。妹はもう息をしていなかった。私は最期のときには彼女の手をとり、頬を撫でて声をかけてやりたかったのに。
このとき、私は医療のなかに「人間の死」についての思想が欠如していることを感じたのである。(羽田澄子『私の記録映画人生』岩波書店,2014年)
近年、こうした延命措置の中に「人間の死」についての思想が欠如していることは患者とその家族を含め、社会に認知されてきた感がある。一方、延命治療についての認識はどうだろうか?90歳を超えた高齢患者に、患者がどのような人生を望んでいるのか、家族は何を望んでいるのか、その目的と意味を顧みることなく、ひたすら生命の延長を図るために行われる延命治療にも「人間の死」についての思想の欠如が指摘されるのではないだろうか。
著者
- 小堀 鷗一郎(こぼり おういちろう)
- 1938年生まれ。東京大学医学部医学科卒業後、東京大学医学部第1外科教室助教授などを経て、国立国際医療センター(現国立国際医療研究センター)外科部長・副院長・病院長。外科医として約40年勤務。定年退職後、2005年より埼玉県新座市の堀ノ内病院で在宅医療に携わる。現在、訪問診療医。母は小堀杏奴、祖父は森鷗外。著書『死を生きた人びと―訪問診療医と355人の患者』(みすず書房)など。
WEB版機関誌「Aging&Health」アンケート
WEB版機関誌「Aging&Health」のよりよい誌面作りのため、ご意見・ご感想・ご要望をお聞かせください。
お手数ではございますが、是非ともご協力いただきますようお願いいたします。