第8回 歯科医療は生きる力を支える生活の医療(大久保 満男)
公開月:2024年1月
シリーズ第8回長生きを喜べる社会、生きがいある人生をめざして
人生100年時代を迎え、1人ひとりが生きがいを持って暮らし、長生きを喜べる社会の実現に向けて、どのようなことが重要であるかを考える、「長生きを喜べる社会、生きがいある人生をめざして」と題した、各界のキーパーソンと大島伸一・公益財団法人長寿科学振興財団理事長の対談の第8回は、元日本歯科医師会会長、歯科大久保医院院長の大久保満男氏をお招きしました。
歯科医療は何のためにあるのか
大島:今回は元日本歯科医師会会長で歯科大久保医院院長の大久保満男先生にお越しいただきました。大久保先生は一言で言わせていただくと、医療人であり、そして何よりも文化人です。強調したいのが、日本歯科医師会(以下、日歯)の会長のときに、社会活動家というと言い過ぎかもしれませんが、非常に社会を意識され、何のために団体があるのかを考えて行動されていたことが印象に残っています。簡単に自己紹介をお願いできますでしょうか。
大久保:日本大学歯学部に入学した1960年はちょうど安保闘争の年でしたので、否応なく社会と関わらざるを得ない時代でした。専門課程に進んで歯科を勉強しても、やはり社会との関わりなしには歯科医療は語れません。特に歯科医療は小さな口の中でむし歯や歯周病を治し、だめなら義歯を入れるといった狭い視点で考えられがちですが、静岡市歯科医師会会長や静岡県歯科医師会会長を務める中で、「8020運動」という高齢社会の中での歯科の新しい啓発運動に巡り合いました。その後、2006年から9年間、日歯の会長を務めますが、「歯科医療は何のためにあるのか」を懸命に考えながら、日歯の変革に励みました。特に私が会長に就任した年の2年前に現職の日歯会長が逮捕されるという不祥事があり、会員の中には「日歯なんかいらないのではないか」という失望感がありました。
大島:あれは医療界にとっては非常に大きな事件でした。
大久保:しかしあの事件があったから、これまでと違う新しいタイプの会長を誕生させようという会員の思いがあって当選できたと思っています。したがって、私の役割は「共通の理念をつくり、価値観を同じくする組織を」ということでした。そのために会長に就任する前から思い続けてきた「歯科医療は生きる力を支える生活の医療」を共通理念に掲げ、その活動の中で大島先生ともご縁をいただき、大変感謝しています。
凄まじい「子供のむし歯の洪水」を目の当たりにして
大島:大久保先生は今も現役の歯科医師であり、サンスターグループ顧問やNPO法人ハート・リング運動特別顧問としても活動をされ、「オーラルフレイル予防」や「口の健康と認知症予防」などをテーマに書籍を出版、メディアに登場されるなど、社会活動を続けていらっしゃいます。先生の経歴を見ますと、比較的若い頃からいろいろな社会活動に関わっておられますね。
大久保:一番のきっかけは、大学院で小児歯科を専攻したものの、凄まじい「子供のむし歯の洪水」を目の当たりにしたことです。例えば、突然歯が痛くなった子供を連れて母親がわれわれの小児歯科に駆け込んできて、応急処置をしたあと、次の治療を希望しても、8か月先まで予約が取れない。当時の歯科医は小児歯科の教育を受けていないために、子供が泣いて暴れたらお手上げです。だから大学の小児歯科にかかるしかなく、8か月も待つような事態が生じていました。ならば研究よりもむし歯予防の実践活動をしなければならないと、自分の方向性を決めるきっかけになった出来事でした。患者があふれて治療が物理的に難しいのであれば、せめて次の治療日までむし歯が増えないように、重症化しないように、歯磨きや甘いものの摂り方を指導する「むし歯予防教室」を開きたいと教授にお願いして、1年間任せてもらいました。
大島:むし歯治療を8か月も待たせるという状況を単なる医療の問題ではないと考えて予防教室を開く、という発想にはなかなか至らないと思います。
大久保:父の跡を継いで歯科医になりましたが、高校時代から独学で社会科学や哲学を勉強していたので、「ここで起きている現象の根本は何か」と考える傾向があったと思います。だから、たとえ応急処置でも自分が一度担当した子供と母親のために何かできないかという発想が自然に出てきたんですね。予防教室を1年続けたところで父が急死したため、静岡市へ戻ることを決意し、予防教室を後輩に引き継いで大学院をやめました。静岡に戻ったら、案の定、子供の歯を診るというだけで富士山の麓の遠い町から患者さんが来るんです。
大島:当時、小児歯科がそれくらい少なかったということですね。
大久保:おっしゃる通りです。子供は泣いたら口を開けてくれませんから、そのくらい子供の歯を診るのは大変です。たくさんの患者さんを診療する中で、大学院での予防教室を開催しなければと考え、1971年に29歳で静岡市歯科医師会の公衆衛生部理事に就任して、「子供をむし歯から守る母親教室」を始めました。その時、母親教室を継続的な事業にするために市長に直談判し、市の予算を入れてもらいました。市の保健所に歯科衛生士を採用してもらい、歯科衛生士が行政を代表してわれわれと一緒に予防教室を実施するという、市と歯科医師会の協働の公的事業としました。おそらく日本で最初のむし歯予防のための組織的な公衆衛生活動だったと思います。
生きるということは食べ続けること
大島:2006年に日本歯科医師会会長に就任されますが、大変な事件の直後ですから、会をまとめるには苦労があったと思います。
大久保:崩壊寸前の日歯をひとつにするために共通理念が必要だと考えて、先ほども触れた「歯科医療は生きる力を支える生活の医療」を掲げました。医療は命に直接関わるのに対し、歯科医療は命に直接関わらないところにあるので、ヒエラルキーとして歯科は医科の下のほうにある。それが歯科のコンプレックスでもあります。では「歯科医療は必要ないのか」といったら、そうではありません。野生動物は歯がなくなったら死にますから、人間だって同じです。歯科医療は派手ではないけれど、絶対に必要な役割がある。それは日々の生活の中で人生の最後まで「食べる」ことを可能にすること。それがわれわれ歯科医師の役割であろうと思いを定めました。
大島:先生の書籍の中に、「食べることは生きること」というフレーズがありましたね。
大久保:それは大阪大学総長だった哲学者の鷲田清一さんから学んだ言葉です。個人的にも親しく、何度か対談をさせていただきました。『「食」は病んでいるか--揺らぐ生存の条件』(ウェッジ選書)という鷲田さんの著書の中で、「生きるということは食べ続けることである」とおっしゃっていて、「まさにそうだ」と共感しました。
大島:「食べることは生きること」は、2010年に日歯が立ち上げた「生きがいを支える国民歯科会議」でまとめた提言にもつながっていますね。私と大久保先生とのご縁は、私がこの国民歯科会議の議長を務めさせていただいたことに始まります。ある日突然、大久保先生から電話がかかってきて、「日歯が国民歯科会議を立ち上げるので、これからの歯科医療に国民は何を求めているのか提言をまとめてほしい。ついてはその議長をお願いしたい」ということでした。同じ医療界でも歯科とはほとんど関わりがなかったので、最初は驚きから始まりました。
大久保:国民歯科会議のメンバーには、医療関係者のほか、文化、スポーツ、経済人にいたるまでの著名な方に委員として参加いただきました。議長につくべき人材はいましたが、やはり医療を知っている人でないとまとめるのは難しいだろうと、議長は大島先生しかいないと最初から決めていました。日本財団会長の笹川陽平さんをはじめ、資生堂名誉会長の福原義春さん、元厚生労働事務次官で東京大学高齢社会総合研究機構の辻哲夫さんなど錚々たるメンバーでしたが、ご多忙にもかかわらず皆さんがほとんど出席してくださいました。
大島:それまで歯科医療を身近に真剣に考えたことがなかったのですが、3回、4回と回を重ねるごとに大久保先生の考えが読み解けてきて、提言としてまとまった結論はとてもシンプルでした。「......食べることは生きることであり、食べる喜びは生きがいと生きる力を支えます。......歯科医療が『診察室で完結する』医療にとどまらず、『暮らしの中で、食生活を維持し、患者の生きがいを支える』医療へと発展していくことを望みます。......」。率直な言い方をすると、大久保先生は初めからこういう提言になることがわかっていて、それを裏付けるために会議を開いて答えを出したのではないでしょうか。そして議長は歯科医師ではないことが大前提で、外から議長を呼ぶということだったのですね。
身体は食べたものでできている
大島:今までのむし歯と歯周病の治療を中心にしてきた歯科医療のあり方では、これからの超高齢社会は乗り切れないという危機感が根底にあって、この状況を打破していく必要があると、大久保先生にははっきり見えていたのだと思います。
大久保:そうですね。私自身が物事を考えるときに、「対社会」を念頭に置きたいというこだわりが常にあります。その中で「歯科医療は生活を支える医療」と言ったときに、「生きることは食べ続けること」という鷲田さんの言葉に出会いました。もうひとつ、「食べることの意味」を考えたのが、分子生物学者・福岡伸一さんの著書『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)です。本の中ではハーバード大学で行われたマウス実験の論文を紹介しています。普通の窒素でできたアミノ酸ではなく、重窒素でできたアミノ酸のエサをマウスに与えたあとにフンを調べていくと、その中に重窒素がほとんど見当たらない。不思議に思ってマウスを解剖したら、なんとマウスの身体が重窒素でできたタンパク質になっていた。まさに「身体は食べたものでできている」ということです。
大島:よくメディアなどで耳にする言葉ですが、その通りなんですね。
大久保:身体をつくっている細胞は、寿命を終えてどんどん消失していきます。人間の細胞は30数兆あるといわれていますが、消失した細胞を補充しないと生きられません。だから「食べる」という行為は単にエネルギーを補給するだけではなく、細胞の消失と再生という命の流れを止めないことであり、そのために食べ続けなければならないのです。福岡さんはそれを鴨長明の『方丈記』になぞらえて、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。河としてはずっとそこにあるように見えるが、水はどんどん流れていく。人間の身体もまったくその通りです。文化庁長官の故・河合隼雄さんと対談をしたとき、「視覚や聴覚は人と共有できるが、味覚は共有できない。同じものを食べても、味わう感覚は本人だけのもの。だから、食べることはみんなが思うよりはるかに人間の生活の中心にあるものだ」と大事なことを教えていただきました。そういうことも含めて、「食べる」ことは生物学的だけでなく、人間の存在そのものに深く関わることだと感じます。
身体と言葉は一体のもの
大島:ここまでは歯科医師としての社会的な面についてのお話でしたが、もうひとつ文化的な面についても伺いたいと思っていました。大久保先生は静岡県内の美術館や劇場の創設に関わられ芸術に精通しておられますし、これまでの話の中にもあった文学や哲学から発想を得るといったことは、科学頭の医師にはなかなかないものです。
大久保:医師には科学的思考が大事ですし否定はしませんが、私自身は哲学や歴史、あるいは科学史が大事だと思って本を読んできました。その中であえて言えば、今のわれわれが考える科学とは18世紀以降のヨーロッパで起こった近代科学です。実証的に物事の実験を繰り返して真実に到達していくという。しかし、哲学や科学史の研究者は「どんな精密な実験を経て真実だと思っても、それは仮説です」と言います。そういう意味で、「自分が考えていることは間違っているかもしれない」という疑いの精神を常に持つことが大事だと思います。今の社会で少し心配なのが、とにかく便利で新しいもの、例えば生成AIもそうですが、そういったものに無条件に走っていく傾向です。ある市長がテレビに出てきて、「行政文書や市長の挨拶文を生成AIにつくらせる」と言いました。とんでもない話だと思います。市民は選挙で生成AIを選んだわけではありませんから。
大島:そういった心が入っていない言葉が市民に届くのか、不思議でなりませんね。
大久保:演劇家の鈴木忠志氏とは付き合って半世紀になりますが、「肉体を持っている人間が発する言葉がいかに大事か」ということを、彼の演劇を通して学びました。「身体と言葉は一体のもの」ということ。だから身体性を失った言葉はありえません。私には言葉に対する執着が強くあります。日歯の会長のときだけでなく、大島先生とこうして話をさせていただいていることも含めて、「言葉は出た瞬間に社会性を持つ」と思っています。
大島:残念ながら、そういった言葉と言葉のコミュニケーションを通したつながりはコロナ禍でますます薄くなったように感じますね。
大久保:そういう風潮は文化的な危機ですし、人間の生き方の危機だとも思います。
大島:世界一の長寿国の日本はこれから「多死社会」を迎え、このまま出生率が上がらなければ人口減が進みます。高齢化よりも深刻なのは、実は人口減です。テクノロジーを活用することで高齢化の課題や労働力不足の解消を期待する一方で、私には世の中がAIなどの新しい技術に浮かれているように見えます。AIが、設計する人、使う人によって善にも悪にもなるとすると、いわゆる「いい知性」「良識ある知性」がこれからの社会をどうリードしていくかにかかっていると思います。そうなると「いい知性」とは何なのかが気になります。
大久保:81年生きてきた中で今の結論をいえば、「いい知性」は勉強することで得られるものでなく、「いい生き方」をしてきたかどうかにかかってくるのかもしれません。そう考えると、歴史の中でつくられた正当な常識の中で生き、激しい変化を好まず、当たり前の人生を当たり前に生きていくことが大事だと思います。簡単に答えが出せない難しい問いですね。
大島:今日は示唆に富むお話を聞かせていただき、ありがとうございました。大久保先生にはこれからも国民の「食べる幸せ」を支えるためにお力添えをいただきたいと思います。
対談者
- 大久保 満男(おおくぼ みつお)
- 元日本歯科医師会会長、歯科大久保医院院長
1942年生まれ。1966年日本大学歯学部卒業、1967年歯科大久保医院を開設。静岡市歯科医師会公衆衛生部理事・専務理事などを経て1985年同会長。静岡県歯科医師会専務理事を経て、2000年同会長。2004年日本歯科医師連盟会長。2006年日本歯科医師会会長に就任、2015年まで務める。2017年旭日重光章受章。サンスターグループ顧問。NPO法人ハート・リング運動特別顧問。米国歯科医師会名誉会員。静岡県立美術館、静岡音楽館 AOI、静岡県舞台芸術センターの設立に関わる。著書に『マンガでわかるオーラルフレイル』(飯島勝矢共著 主婦の友社)、『生活の医療』(大島伸一共編 中央公論新社)、『歯科医療そして文化への断片的省察』(自費出版)。
- 大島 伸一(おおしま しんいち)
- 公益財団法人長寿科学振興財団理事長
1945年生まれ。1970年名古屋大学医学部卒業、社会保険中京病院泌尿器科、1992年同病院副院長、1997年名古屋大学医学部泌尿器科学講座教授、2002年同附属病院病院長、2004年国立長寿医療センター初代総長、2010年独立行政法人国立長寿医療研究センター理事長・総長、2014年同センター名誉総長。2020年7月より長寿科学振興財団理事長。2023年瑞宝重光章受章。
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