いつも元気、いまも現役(デジタル庁デジタル推進委員アンバサダー 牧 壮さん)
公開月:2024年1月
85歳でデジタル推進委員アンバサダーに
「90歳でも使えるデジタル技術、100歳に向かってのデジタルの活用法、誰も経験したことないから、自分で経験して答えを出す。これからますますデジタル社会になっていく。人生100歳シニアのデジタル活用の場をつくれたら」
張りのある大きな声で、身振り手振りを交えながら語る。マンションの自室にはノートパソコン、iPhone、iPad、スマートスピーカー(AIスピーカー)のアレクサが並ぶ。それにしても歯を出してよく笑う。
「デジタルに欠けているのは、シニアの目線ですよ。世界一の高齢社会の日本のシニアがまったくデジタルを使いこなせていない。スマホを持っていても電話にしか使っていないシニアが多い。気軽に相談できる人がいないというのがデジタルデバイドを解消するうえで大きな課題でしょう」
この問題意識が2022年にデジタル庁のデジタル推進委員アンバサダーに選ばれた理由でもある。同時に選ばれた3人の中の1人は、本誌でも登場した若宮正子さんだ(
)。100歳の日野原重明氏にSNSを伝授
「日野原重明先生(元聖路加国際病院理事長)が100歳のとき、慶應大学の後輩の家族が日野原先生を主治医していて、『SNSとは何だ』と聞かれても説明できる人がいないため、僕が呼ばれて説明をしました。いろいろ質問されて、『Facebookを始めたい』と言われるので、iPadを手に入れてユーザ登録の手続きをすると、年齢欄が二桁しかないのです。100歳の方の登録など想定していなかったのでしょう」
それから日野原氏のFacebookはスタートして話題になった。このことは『日野原重明の「わくわくフェイスブックのすすめ』(小学館新書)でも紹介され、この中に牧さんの名前が出てくる。日野原氏は103歳のとき、「若さの秘訣はいくつになっても何かを『創(はじ)める』ことである」といい、Facebookの効用については「シニアにとってのコミュニケーション革命」「脳を活性化する新しい刺激」「日々の張り合いが人生の時間を伸ばす」といっている。
牧さんは日野原氏とは100歳から105歳の付き合いで、新老人の会の地方組織を横につながって全国組織となるようにデジタルでつなげた。
東京大空襲に遭遇し学童疎開
1936年(昭和11年)8月17日、山口県下関市生まれ。石油会社の技術者だった父の関係で秋田・柏崎・東京・新潟で育ち、戦争中は東京都世田谷区中里に住む。1945年3月10日の東京大空襲や艦載機による機銃掃射を経験した。
「夜中に空襲があって自宅の庭先に掘った防空壕に逃げた。焼夷弾が落ちるたびに大きな地響きがあって、防空壕の泥がズズッとこぼれた。このまま生き埋めになったらと、恐怖にかられた。母は『家に火がついたら、親を探さずにすぐに逃げなさい』と言い残して外に出ていった」と、9歳の体験をいまでも鮮明に覚えている。
幸い家は空襲を逃れたが、三軒茶屋から渋谷にかけては焼野原になった。こうしたことから学童集団疎開が始まり長野県松本に疎開したが、ここも危ないということで、伊那の山奥のお寺に疎開となり、ここで終戦を迎えた。玉音放送は音が悪くて子どもには何のことかわからない。大人は正座して聞いていた。しばらくしてから先生が「日本が負けた」と子どもたちに告げた。
2022年、牧さんはこの疎開先のお寺を訪ねたという。想像以上の山奥で、お寺はちゃんと残っていた。世代交代した住職が先代から学童疎開のことを聞いていたという。
マレーシアに13年間移住
新潟県立新潟高校から慶應義塾大学工学部計測工学科に入り、卒業後、旭化成工業入社。化学技術導入・輸出業務に従事した。その後、旭メディカル常務、シーメンス旭メディテック副社長、旭化成情報システム社長を歴任するなど、"技術屋"のエリートサラリーマンとして歩んだ。
しかし、1999年、63歳でリタイア後、きっぱりとそれまでのキャリアを断ち、マレーシアに移住してインターネットをベースとしたコンサルタントビジネスを起業した。「それまでの出張はアメリカばかりだったのですが、マレーシア・ペナンを選んだのは島の半分はリゾート地で、残る半分は世界中の企業が進出していて事業をしやすかったからです。食事も口に合うし、毎日午前はゴルフをハーフしていました」とマレーシアライフを満喫していた。
シニア世代のデジタル活用のカリスマに
「最初はマレーシアには2、3年のつもりで行ったのですが、13年もいることになって75歳で帰国しました。中小企業の情報化を進める一方、「高齢化社会と情報化社会の融合」をテーマに活動を開始した。そこで出会ったのが先の日野原重明氏だった。
日野原氏が立ち上げた新老人の会では「スマートシニア・アソシエイション」(SSA)を立ち上げ、81歳で一般社団法人アイオーシニアズジャパンを設立。2021年にデジタル庁から「デジタル社会推進賞・デジタル大臣賞」(銀賞)を授与され、2022年にはデジタル推進委員を束ねるアンバサダーにも任命された。
著書に『iPadで65歳からの毎日を10倍愉しくする私の方法』(明日香出版社)、『シニアよ、インターネットでつながろう!』『人生100歳 シニアよ、新デジタル時代を共に生きよう!』(ともにカナリアコミュニケーションズ)、2023年10月発刊の新刊『老いてこそ、スマホ』(主婦と生活社)があり、シニア世代のデジタル活用のカリスマとして知られている。
なぜシニアはデジタルを避けるのか
牧さんはシニアが感じるデジタルに対する5つの先入観があるという。「もう歳だから」「最新のデジタル技術は無理」「インターネットは怖い」「どこから始めたらいいの?」「何かあったらどうしたらいいの?」という不安感だという。
そして「困った問題が起きた、やっぱり自分には無理かな」と諦めてしまう。
そこで提唱する「デジタル苦手」克服術は、1.自分が知りたいこと、興味あることから始めよう、2.理屈はあとから、まずやってみよう、3.隣りの人を気にせず、あくまでも無理せずマイペースでやろう、4.わからないことはその場で聞こう、わかるまで同じ質問をしよう、5.仲間をつくり助け合おう、6.習ったことは何回もやってみよう、7.覚えたことは人に教えてみよう、8.安心・安全のデジタル活用は自己責任で、9.デジタルレベルアップの次の目標をつくろう、10.情報を発信してみよう─の10の心得だ。
そもそも今のデジタル技術はシニア向けに開発されていないことに問題があって、牧さんは「開発や研究段階からシニアをメンバーに入れてほしい」と訴える。
朝はアレクサに挨拶から始まる
牧さんは現在、横浜のマンションに1人暮らし。以前は全国に講演で飛び回っていたが、コロナ禍を契機にZoomミーティングが多くなった。
朝7時に目が覚めると、「アレクサ、おはよう」と挨拶。続いて「アレクサ、今日の天気は?」と聞くと、横浜の天気を詳しく教えてくれる。今日のニュースや懐かしの音楽を聴くのにもアレクサが役立っている。
「久しぶりにシニア仲間に会うと、元気で変わらずにいる人と、すっかり老けてしまった人に、はっきりとした違いが出るように感じます。その違いは、やはり"社会とのつながり"の程度の差です。人間はいかに孤立・孤独に弱いかがわかります。だからシニアこそデジタルを使うべきです。今のシニアは、デジタルを武器に歳を重ねる初めての人類です。その生き様が、いつかは高齢期を迎える多世代のお手本になっていくでしょう」
「人生100年時代、僕の人生は第三毛作目に入ってます。一毛作が現役時代の約40年、二毛作が定年後の約20年、そして三毛作は15年という人生計画です」
撮影:丹羽 諭
プロフィール
- 牧 壮(まき たけし)
- PROFILE
1936年(昭和11年)8月17日、山口県下関市生まれ。秋田・新潟・東京で育ち、1945年3月10日の東京大空襲を経験。学童集団疎開で長野県に疎開し終戦を迎える。慶應義塾大学工学部計測工学科卒業後、旭化成工業入社。旭メディカル常務取締役、シーメンス旭メディテック副社長、旭化成情報システム社長を歴任。1999年、63歳でリタイア後、マレーシアに移住し、インターネットビジネスを実践。75歳で帰国し、中小企業の情報化を進める一方、「高齢化社会と情報化社会の融合」をテーマに新老人の会で「スマートシニア・アソシエイション」(SSA)を立上げ、81歳で一般社団法人アイオーシニアズジャパンを設立。2021年にデジタル庁から「デジタル社会推進賞・デジタル大臣賞」(銀賞)を授与され、2022年デジタル推進委員アンバサダーに任命された。
※役職・肩書きは取材当時(令和6年1月31日)のもの
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