第2回 苦=都合通りにならないこと
公開月:2023年7月
名取 芳彦
もっとい不動 密蔵院住職
仏教で使う「苦」の定義は単純明解。「苦=自分の都合通りにならないこと」です。
私たちがマイナス、ネガティブな感情を抱くのは"自分の都合通りになっていないとき"ですから、この定義に異論のある方はいないでしょう。
古今東西、この苦を減らしたり、なくしたりする方法に2種類あります。
1つは、都合通りにしてしまうのです。食べたいものがあれば食べればいいのです。家にある家電製品などの文明の利器は、都合通りにしてしまうという苦の解消法の産物です。
もう1つは、都合そのものを少なくしたり、諦めたりする方法です。いつまでも若々しくありたいという都合を「体の老化は仕方がないから、せめて心の若さは保とう」とすれば、老いの苦は半減します。
都合は"願い"とも言えるので、それを少なくしたり、なくしたりするのは嫌だと思うかもしれません。願いが自分の力でかないそうなら、努力してかなえればいいのです。
しかし、願いが自分の努力でかなわないのが明らかなら、「仕方がない」と諦めるしかありません。生まれ、老い、病気になり、死んでいく「生老病死」は四苦と呼ばれますが、天気を含めて、これらの現象には私たちの都合が介在する余地がありません。"都合以前の現象"なので、いさぎよく諦めざるをえません。
「諦める」と「明らめる」は同源の言葉です。朝になって物の形が明らかになるように、自分の願いが自分の努力でかなわないのが明らかになれば、きれいに諦められます。
この事実をはっきりさせず、都合通りにならないからといって怒っていれば、一生を怒って過ごすことになります。だれも、そんな人生を送るために生まれてきたわけではないでしょう。
心が乱れたら苦が発生した証拠です。苦の原因になっている自分の都合と向き合って、努力して都合通りにするか、道理を明らかにして都合を諦めるかして、心おだやかな日々を増やしたいものです。
著者
- 名取 芳彦(なとり ほうげん)
- 1958年東京都江戸川区生まれ。大正大学を卒業後、英語教師を経て、江戸川区鹿骨の 住職。真言宗豊山派布教研究所研究員。『ぶれない心をつくる ポケット空海 道を照らす言葉』(河出書房新社)、『人生をもっと"快適"にする 急がない練習』(大和書房)など著書多数。
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