いつも元気、いまも現役(ギネス認定・世界最高齢の現役薬剤師 比留間榮子さん)
公開日:2021年4月 2日 09時15分
更新日:2024年8月13日 14時22分
こちらの記事は下記より転載しました。
社会とつながり続けることが元気の秘訣です
薬剤師になって76年。東京・板橋区小豆沢(あずさわ)の薬局に出て、月曜から土曜日の朝8時半から夜7時過ぎまで勤める。「あっという間ですよ。本当に」と、97年の人生を振り返ってしみじみと語った。
ところが2020年7月に自宅の玄関で足を滑らせて転倒して足を骨折して3か月間入院した。現在は週2回のリハビリとマッサージで徐々に回復してきて、今年にはピックアップ歩行器で歩けるようになる見込みだ。
「早く仕事をしたい。患者さんも待っているし」と希望に目を輝かせた。「いつまでも社会とつながり続けることが元気の秘訣です。いきいきと元気で長生きするために必要なのは、チャレンジし続けることかもしれません」
戦争体験を昨日のことのように鮮明に覚えている
父親も薬剤師で、榮子さんが生まれた1923年に東京・大塚に薬局を開業した。榮子さんは4人姉妹の長女として生まれ、東京女子薬学専門学校(現・明治薬科大学)を1944年に卒業。製薬会社に就職した後、同じ薬剤師の男性と結婚した。しかし、夫は間もなく召集されて北海道・根室の部隊に配属された。
太平洋戦争がだんだん厳しさを増してきて、アメリカの戦略爆撃機B29が偵察に何度も東京に来たため、父の実家がある長野県上田市に疎開を決めた。1945年4月13日の東京大空襲の2日前のことだ。
「13日の深夜、星が見えないくらい明るくなった上田の夜空に、東の空が赤く光っていました。それが東京の空襲の光だったことをあとで知りました」。当時の体験を昨日のことのように鮮明に覚えている。
「戦争は怖いです。食べるものがなくて、鳥の餌のようなものを食べていました。そんなものでもこうやって生きてこられました」
息子の2号店を守るために20年前に現職復帰した
幸い夫は根室にいたため無事に復員した。色丹(しこたん)や樺太、千島列島に送られた部隊の多くの兵隊は戻ることはなかったという。人も少ない田舎では、と父親は終始言っていた。そこで1947年に東京に戻って薬局を始めようとするが、大塚にあった店と自宅は跡形もなく燃えてしまった。
「東京はなんにもなくなって地平線が見え、遠くに水平線も見えました。どこから材木を集めたのか、バラックの家がポチポチとありました」
父親と豊島区北池袋で始めたのが現在あるヒルマ薬局だ。夫も26年前に他界。やがて薬剤師になった息子が2店目の薬局を小豆沢に開業したが、過労がたたってか脳溢血で倒れてしまった。20年前のことだ。
せっかく息子がつくった2号店を守ろうと、榮子さんは自宅から通った。その店は現在、薬剤師となったお孫さんの康二郎さんと榮子さんで切り盛りしている。康二郎さんで実に4代目の薬剤師となる。
世界最高齢の現役薬剤師とギネス記録に認定
榮子さんが88歳のとき、康二郎さんが店のスタッフから「世界最高齢の薬剤師としてギネスに登録してみたら」と言われ、調べてみたら南アフリカ共和国に92歳の薬剤師が認定されていることがわかった。
時が経ち気づけば94歳、すでに記録をこえていたため登録に動き出したが、登録費用だけで100万円もかかる。そこでクラウドファンディングで資金を募ったところ、"榮子さんファン"からたちまち資金が集まり、95歳と17日のときにギネス世界記録®「最高齢の現役薬剤師 The Oldest practising pharmacist」に認定された。
96歳の2020年10月に初めての著書『時間はくすり─やさしくなれる処方箋─』をサンマーク出版から出版した。本の帯には「『ごめんなさい』はいち早く。
『ありがとう』は何度でも」とある。
孫の康二郎さんとはよく言い合いになることがあるという。そういうときは、すぐに「さっきは言い過ぎてごめんなさい」と謝るそうだ。
本のタイトルの「時間はくすり」の意味を聞くと、榮子さんは「時間は人を強くし、やわらかくし、絆を深くします。時間は人の心をいつしか癒します。時間は人生の『くすり』のような存在です」という。さらに「くすりも大事だけれど、患者さんとの会話がもっと大事です。だからつい長話になってしまいます。患者さんの今日の状態に、きちんと意識を向けることが大切です。人生は過去を見るでもなく、未来を見るのでもなく、目の前のことにどれだけ真剣に取り組めるかです」
生きる意味を考えなくてもいい生まれてきただけで尊い
「病に苦しむ人は『自分の命の意味は?』『一体何のために生まれてきたのだろうか?』と、いろいろ考えてしまう方がいます。そのようなときに『生きる意味を考えなくてもいい。生まれてきただけで尊いのです』と言います。
薬局に来る患者さんにも『生きているのがつらい』という方もいます。長く生きてきた者として伝えられるのは、『自分の生きる意味や価値について深刻に考えなくてもいいのよ』ということです。そして助けを求めてほしいのです。
つらさ、苦しみに助けの手を差し伸べてくれる人は必ずいるからです」
まさに薬局の薬剤師というだけでなくカウンセラーのような役割も果たしている。それで話が長くなってしまうのだろう。
「まずは自分を許してあげて、自分が自分の味方になってあげることです」という言葉は強いメッセージとして伝わってくる。
旺盛な好奇心も健在 LINEも5年前から始めた
榮子さんは現在、北池袋の薬局本店の上にある自宅で息子さん、息子のお嫁さんで薬剤師の公子(きみこ)さんの3人住まい。朝は6時過ぎに目を覚まし、足を痛める前までは小豆沢の支店薬局に8時半に出勤して7時過ぎまでいた。
公子さんとおいしい店に食べに行くのが何よりの楽しみ。お肉も大好きという。
旅行も大好きで、「ヨーロッパはだいたい回りました。特にギリシャのエーゲ海にあるミコノス島の青い海と白い家が印象的でした。中国の万里の長城もよく ぞ造ったと驚きます」と話す。旺盛な好奇心は健在だ。
88歳の米寿のお祝い、90歳の卒寿のお祝いに、サプライズ好きの公子さんの計らいで、榮子さんには内緒で全国から親戚を集めて驚かせたという。
5年前には康二郎さんからスマホでLINEを教わって始めた。大勢のお友達のとのやり取りはLINEでしている。Zoomでの打ち合わせもこなす。
「自分でやれることは自分でやるという意識を持つことが、よりよい老後の秘訣です。
人は何歳からでも新しい経験ができる。何歳からでも成長できる。そんな世の中になってきたと思います。私は『疲れた』という言葉は使わないようにしてい ます。なぜならそれを言うと本当に疲れてしまうから」
元気に職場復帰する日が待ち遠しい。
撮影:丹羽 諭
(2021年4月発行エイジングアンドヘルスNo.97より転載)
プロフィール
- 比留間榮子(ひるまえいこ)
- 1923年11月6日、東京生まれ。1944年東京女子薬学専門学校(現・明治薬科大学)卒業。薬剤師である父が1923年に大塚に創業したヒルマ薬局の2代目として働き始める。1945年の東京大空襲の2日前に長野に疎開したが、自宅兼薬局は焼失。板橋区で薬局を再開し、薬剤師歴76年に及ぶ。95歳のときギネス記録「最高齢の現役薬剤師 The Oldest practising pharmacist」に認定。現在、孫で薬剤師の康二郎さんとともに薬局を経営している。2020年10月に初めての著書『時間はくすり─やさしくなれる処方箋─』(サンマーク出版)を出版した。
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