人生いつでも、いつからでもスタート
公開日:2019年9月30日 09時00分
更新日:2019年9月30日 09時00分
袖井 孝子(そでい たかこ)
お茶の水女子大学名誉教授
私が水泳を始めたのは50代の前半だった。それまでテニスをしていたのだが、肘や膝を痛めてしまい、テニスに替わる運動をさがしていた。たまたま同じスポーツクラブにプールがあり、水泳でもと考えた。
しかし、体型に自信がなかったので水着姿になることにはかなりの抵抗があり、なかなか踏み切れない。見学だけでもと勧められ、思い切って覗いてみた。驚いたことに、まるでトドのように太った高齢女性がのっしのっしとプールの縁を歩いている。これならば大丈夫と、早速水着を買いにデパートに走った。
小学校にも中学校にもプールがなかった世代なので、私はまったくの金槌。水に顔をつけるのが怖くて、洗面器やお風呂でぶくぶくと顔をつけることから始めることにした。週1回のレッスンを続けるうちに、1年後には何とか水に浮くようになり、3年ほどたつと泳ぐのが楽しくなった。残念なことに、そのスポーツクラブはビルの建て替えで無くなってしまい、数年は泳がない期間があった。その後、新聞の折り込み広告で、家の近くの企業が社員用施設を地域住民に開放していることを知った。社員優先のため、住民が自由に使えるのは朝9時~10時15分と夕方18時~20時45分。電気釜をセットして、18時頃から1時間近く泳いだり、歩いたりして、帰宅するとちょうどご飯が炊きあがっている。家に近く、しかも夜なので、普段着のまま出かけられるのが何よりだ。
手話を始めたのは65歳の定年を迎えた後だった。それ以前から興味はあったが、なかなか時間がとれない。文京区の手話講習会の初級から始めて上級まで進み、その後、手話サークルに参加した。しかし、年のせいか覚えが悪く、右の耳から入って左の耳へと抜けてしまう。同時期に始めた40代の人たちはどんどん上達し、なかには手話通訳になる人もいるが、私をふくむ高齢者はいつまでたっても落ちこぼれ。もう少し早く始めるべきだったと後悔している。
70代前半で始めたのが、詩吟。詩吟については、右翼っぽいイメージがあるため、何となく偏見を抱いていた。一足早く詩吟を始めた足の不自由な夫の付き添いで神楽坂詩吟クラブに出かけるうちに、先生に勧められたのがきっかけだった。やってみるとなかなか良い気分だ。褒め上手の先生におだてられているうちに、とうとう会員になってしまった。後からわかったのだが、会員を増やすため、新人は褒めまくるのが常套(じょうとう)だった。詩吟は、腹式呼吸。姿勢を正して、大きな声を出すのは健康にも良さそうだ。ただ吟ずるだけでなく、詩の背景や作者などについても勉強するので、頭の体操にもなる。3年前からはコンダクターという詩吟の伴奏楽器の練習を始め、今では伴奏を引き受けるまでになった。詩吟の先輩には、90代の人も多く、彼らが長い律詩や新体詩を暗記して、朗々と吟ずるのには驚嘆させられる。
80歳になったら何を始めようかと考えていた。プール仲間から家の近くに囲碁クラブがあると教えられ、見学のつもりで出かけたところ、早速入会させられてしまった。定年退職した男性2人が指導者。懇切丁寧に教えてくれる。会費が600円というので、月会費かと思ったら年会費だった。600円は時々渡される資料代。つまり彼らはまったくのボランティアなのだ。最初は「だめじゃない、そんなところに打って」などと言われたが、最近では何とか囲碁らしくなってきたと褒められるまでになった。
人生100年時代の今日、いつでもいつからでも新しいことへの挑戦が可能だ。高齢になっても続けられる秘訣は、家から近いこと、費用があまりかからないこと、そして仲間との交流が楽しいことだ。私がほぼ10年おきに新しいことを始め、続けられたのは、この3つの条件が満たされているからにほかならない。とりわけ重要なのが仲間との交流。いくら介護予防や認知症予防に役立つからと言って楽しくなければ続けられない。人生100年時代を充実して生きるには、人との交流を楽しむことが肝心である。
著者
- 袖井 孝子(そでい たかこ)
- 略歴
- 1970年 東京都立大学大学院博士課程修了、淑徳短期大学専任講師、1972年 東京都老人総合研究所主任研究員、1975年 お茶の水女子大学助教授、1990年 同教授、2004年 同定年退職、2004年よりお茶の水女子大学名誉教授、2007年より東京家政学院大学客員教授
- 専門分野
- 老年学、家族社会学、女性学。社会学修士