大衆迎合に生きる
公開日:2019年12月27日 09時00分
更新日:2019年12月27日 09時00分
井口 昭久(いぐち あきひさ)
名古屋大学名誉教授・愛知淑徳大学健康医療科学部教授
どの時代にもその時代に対応する老人のイメージがあった。
しかし現在の日本には「これが今の老人だ」という典型的な老人のイメージがない。
老人像は拡散されており「老人」はヒトムカシ前の残像でしかない。
私には自分の100歳のイメージは想像できないし、それまでどうやって生きていっていいのやら---難儀なことである。
私がNHKの番組審査会の委員になってから3年過ぎた。
引き受けた時は3年前で、食道がん罹患後4年目でまだ死の射程距離から逃れていなかった。
審査委員の任期は4年であった。4年の任期を務める前に死んでしまう可能性があった。
しかし予定がなくなれば、たとえ生きているにしても死んだも同然になってしまう。
「アトは野となれ山となれ」と思って引き受けた。
それから3年経っても死ななかったところをみると今から100歳までの老化の過程を人並みにたどれる可能性が出てきた。
先月の審査会でNHKスペシャルの枠で放映された「AIで蘇る美空ひばり」を取り上げた。
美空ひばりが現代に生きているとして彼女に新作を歌わせるというものだった。
NHKのもつ技術を総動員した斬新な試みだった。
新しい分野の開拓こそがNHKへの期待である。
世界では先行事例がいくつかあって各地で死んだ人を蘇らせているそうだ。
番組では美空ひばりに関わった人たちも加わって彼女を取り巻く歴史が物語のように展開していった。
eラーニングによってAIに彼女の癖を獲得させる必要があった。
彼女の生前の音声をAIに学ばせたのだ。
5千を超える天文学的な音が必要で、CGプログラマーの専門家たちでも個人ではお手上げだそうで数百人で作り上げた労作である。
私は終始批判的に見ていた。
録画の美空ひばりを見るのと大差はないであろうと思っていた。
しかし最後のクライマックスで、新曲をAIが歌うと、それまでは涙が出るとはツユとも思っていなかったが不覚にも涙が出た。
死んだはずのひばりが感動的な曲を、心を込めて歌っているのに出会ったのだ。
それはまさに予期せぬ感動であった。
いるはずのない「美空ひばり」が新しい歌を歌っていた。
こういう分野の発展はめざましい。
同じような番組が、あっという間に他局に広がるだろう。
そしてAIが、死者に創作をさせるのは簡単な作業になる日は近い。
私が100歳になった時のエッセイを書くAIも可能になるだろう。
私の趣味、人間関係を根堀り、葉堀り、堀下げて、私の今までのエッセイの中の風景描写の癖、過去の女性関係をeラーニングさせれば私のエッセイの新作が書けるだろう。
文学の分類に大衆文学と純文学という分類がある。
大衆文学とは読み手を意識した文学で純文学は限りなく自分に忠実な小説である。
大衆文学は大衆に媚びる小説で純文学は一切媚びない小説である。
私は小説家ではないが、この分類はわかりやすい。
人の生き方の分類にも適用できる。
私の人生は大衆文学的であった。
だからAIはおそらく大衆の喜ぶ下品でいかがわしいエッセイを書くだろう。
そこまで考えが及んで、「AIによる私の新作の試み」はお断りしようと思うに至った。
これから100歳まで「私は人に媚びずに純文学的な生き方をしようと思っている」というのは真っ赤な嘘で、これからもおそらく大衆に媚びを売って生きて行くだろう。
(イラスト:茶畑和也)
著者
- 井口 昭久(いぐち あきひさ)
- 1970年名古屋大学医学部卒業、名古屋大学医学部老年科教授、名古屋大学医学部附属病院長、日本老年医学会会長などを歴任、2007年より愛知淑徳大学健康医療科学部教授、名古屋大学名誉教授。
- 受賞歴
- 日本神経内分泌学会川上賞、日本老年医学界尼子賞
著書
「これからの老年学」(名古屋大学出版)、「やがて可笑しき老年期―ドクター井口のつぶやき」「"老い"のかたわらで―ドクター井口のほのぼの人生」「旅の途中でードクター井口の人生いろいろ」「誰も老人を経験していない―ドクター井口のひとりごと」(いずれも風媒社)など