無策の策
公開日:2019年8月30日 09時10分
更新日:2019年8月30日 09時10分
河合 忠一(かわい ちゅういち)
京都大学名誉教授
近頃世の中が喧(やかま)しい。テレビでは毎日のように長寿を目指した健康番組である。放送された食品の取り方、腰の伸ばし方を守って100歳までの健康寿命を全う出来れば誠に結構なことは言うまでもない。地下鉄の車内放送は殆ど一瞬も沈黙を守ることはない。「次は〇〇です。〇〇へお越しの方は次でお降り下さい。」が日本語と上手な英語で始まるのは良いとして、「大きな荷物を背負っておられる方は他のお客様の迷惑になりますので、前に抱えるか網棚にお載せ下さい。」「足を組んで座られますと隣の方の迷惑になりますのでお止めください。」が始発早々がら空きの車中で始める。
私は日野原重明先生を教室(京都大学医学部第三内科、現、循環器内科)の先輩として尊敬申し上げている。先生は一昨年105歳の長寿を全うされた。ご生存中何度か身近にお話をさせて頂いたことはあるが、先生からあまり健康長寿の話を承った記憶はない。先生はお若い時に肺結核に罹患され療養生活を送られたと伺ったことはあるが成年期以後はこれという大きな病で療養されたというお話は記憶にない。尤(もっと)も先生は東京、私は京都と離れていたから以下の伝聞は必ずしも正鵠(せいこく)を射ているとは限らない。この点はご了承頂くとして、ただ私の印象に残っている生活習慣に関するお話とすれば、「私は朝食にはオリーブオイルを紅茶に入れて飲みます。」と、「昼食はビスケット2枚で済まします。」と言われたこと位であろうか。しかしとくに粗食ということはなく、夕食をご一緒させて頂いたときなど、なんでもしっかり召し上がった。勿論先生は基督者であられたから煙草、酒は召し上がらなかった。私が先生に習わせて頂いた点と言えば朝食にオリーブオイルではなくてココナッツオイルをパンに塗って食べること位であろうか。昼食にビスケット2枚はご遠慮申し上げた。
要するに先生は生活習慣病という素晴らしい病名の発案者であったけれども、良好な生活習慣を維持して健康な高齢を迎えることの重要性を強調されはしたけれども、あまり具体的な策については細々と指示されなかったのではないか、というのが私の印象である。先生は細かい指示や策に捉われることなく、ご自分に与えられた健康に感謝しつつ、ときには夜遅くまで原稿を執筆するという無理も織り交ぜながら、他者にはとても真似のできない諸方面の才能を100%活かして天授を全うされた稀有な方だったと思う。私は日野原先生こそは「無策の策」を生きられた人生の達人だと秘かに信じている。
一方老齢者にとって大切な事柄は身体の健康と共に自分と接してくれる周りの人々に対する精神面での接し方だと思う。老齢者は自分が周囲の人達から取り残されるのではないかとの潜在的劣等感からであろうか、周囲からの意見を否定し、自己の意見を主張する傾向がある。最近亡くなられた田辺聖子さんは日野原先生とは別の人生の達人であった。「夫婦円満に至る究極の言葉はただ一つ。"そやな"である。」言いたいことは多々あれど、敢えて腹に収めておく。これは凄い達人の知恵だと思う。日野原先生とは異なり「策中の策」と言えよう。
いずれにせよ人生100年の長寿を身体的にも精神的にも健全に全うすることを心から願い、合わせて本財団30周年の記念としたい。
著者
- 河合 忠一(かわい ちゅういち)
- 京都市出身、京都大学医学部医学科卒業、フルブライト交換研究員として、米国スタンフォード大学医学部、米国ハーバード大学医学部 フェロー、大阪医科大学 講師、京都大学 教授、日本循環器学会 会長、同理事長、国際心臓連合理事長(President, ISFC;現 WHF)、京都大学医学部附属病院 院長、財団法人長寿科学振興財団 理事、同評議員、放送大学客員教授、放送大学京都地域学習センター長、日本学術会議会員(第16期)、医仁会武田総合病院 院長 同顧問を経て現在、京都大学名誉教授
専攻:内科学、循環器学
1987年、Japan-US Visiting Medical Scientist Program Award
1993年、日本医師会医学賞受賞
2009年 瑞宝中綬賞
著書
「心筋症」(編集、朝倉書店)、「心臓病学」(総編集、朝倉書店)、Cardiomyopathy Update(Elsevier Japan)他