派遣報告書(野口泰司)
派遣者氏名
野口 泰司(のぐち たいじ)
所属機関・職名
国立研究開発法人国立長寿医療研究センター 研究所 老年社会科学研究部
専門分野
老年学、社会疫学、地域理学療法学
参加した国際学会等名称
Society for Social Medicine and Population Health 68th Annual Scientific Meeting
学会主催団体名
Society for Social Medicine and Population Health
開催地
イギリス グラスゴー
開催期間
2024年9月4日から2024年9月6日まで(3日間)
発表役割
ポスター発表
発表題目
Association between arts and cultural engagement and subsequent social deficits among older adults in Japan: a longitudinal study using the Japan Gerontological Evaluation Study
日本の高齢者における芸術文化活動とその後の社会的つながりとの関係:日本老年学的評価研究による縦断研究
発表の概要
芸術・文化活動は欧州では「アートエンゲージメント」と呼ばれ、人々の健康や幸福に貢献することが示されている。その経路として、生物的、心理的、社会的プロセスがあり、特に社会的プロセスに関しては、社会的交流や帰属意識などの向上を通じ、社会的孤立や孤独感などの社会的つながりの低下を軽減する可能性がある。しかし、高齢者のアートエンゲージメントによる社会的孤立・孤独感の緩和に関する報告は少なく、特に欧州と芸術・文化への価値観や教育的背景が異なる日本を含めた東アジアでの研究はこれまでにない。本研究では、日本の高齢者のアートエンゲージメントがその後の社会的孤立・孤独感に及ぼす影響について、3年間の縦断研究により検討を行った。結果、芸術・文化活動を継続的に実施していた人では、3年後の社会的孤立および孤独感がともに少なく、加えて3年間のうちに芸術・文化活動を始めた人においても、その後の孤独感が減少した。また、多様な活動を行っている人では3年後の社会的孤立と孤独感がともに減少し、クリエイティブな活動を行っている人でも社会的孤立が減少した。高齢者の孤立と孤独を防止する上で、多様な、また創造的な芸術・文化活動を提供し、それらへの継続的な参加のための支援を行うことは、高齢者の孤立と孤独を緩和し、社会的ウェルビーイングを高める可能性がある。本研究は孤立・孤独に対するアプローチの1つとして、芸術・文化的活動の普及とそのアクセス性の向上の重要性を示唆した。
派遣先学会等の開催状況、質疑応答内容等
本学会は、グラスゴー大学主催のもとストラックライド大学にて開催された。英国または欧州中から社会医学・公衆衛生を専門とする研究者や政策決定者が参加し、一般演題に加えて、高名な疫学者である故John Pemberton氏にちなんだ教育講演、健康格差に関するパネルディスカッションなどが開催された。 本発表において、日本でのプログラムや政策状況に関する質問に対しては、英国や米国ではアートと健康に関する政策が実行されているのに対して、日本では地域や介護施設における芸術文化活動はあるものの、明確な政策化はされておらず、社会的処方の政策確立も含めた今後の課題であることについて議論を行った。また、結果の他国や他文化地域への移換可能性に関する質問に対しては、日本と西欧との文化的価値観や背景の違いはあるものの、アートが持つ健康・幸福への影響については通文化的にみられる可能性があること、またその検証ための国際比較研究が必要であることについて議論を行った。
本発表が今後どのように長寿科学に貢献できるか等
アートと健康についての学問領域は、英国では「Arts&Health」と言われるように膨大なエビデンスが積み重ねられ確立しつつある。本発表では、日本における本領域の普及と、高齢者の健康増進やウェルビーイング向上のための知見の蓄積として、今後の長寿科学に貢献するものと考えられる。また、世界的に人々の孤立・孤独が社会課題となっている中、その是正のための1つのアプローチ方策として、芸術・文化を活用した取り組みの重要性を示唆するものと考えられる。
参加学会から日本の研究者に伝えたい上位3課題
- 発表者氏名
- Hazel Inskip
- 所属機関、職名、国名
- University of Southampton, Professor, United Kingdom
- 発表題目
- Epidemiology: past, present - and future?/疫学の過去と現在、そして未来とは?
- 発表の概要
- 本発表では、子どもの飢餓への公衆衛生対策に取り組んだJohn Pemberton教授の学術史とともに、貧困とランダム化比較試験(RCT)を題材とした研究や政策における問題について指摘された。多くのRCTは実際には本当に支援が必要な人へアプローチができておらず(例えば本当に飢餓や低栄養に苦しむ低い社会経済階層の人を見逃して試験が実施されている)、また、多くの研究者は所得や貧困などの経済状況が健康アウトカムに重要であることを理解しながら、統計学的に「調整」することでその問題への対処を終わらせており、貧困や剥奪の問題を見過ごしており、本質的な対策に至っていないことが指摘された。
- 感想
- 日本を含めRCTが絶対的なものであると誤解されている部分もある。RCTだからエビデンスが高いといった表面上の理解ではなく、なぜ因果効果を明らかにする上で妥当であると期待ができるのか、求めたい標的集団や因果効果は何か、統計検定に基づく二元論の議論ではなく政策決定者の意思決定支援に重要なことは何か、など熟慮すべきであると感じた。
- 発表者氏名
- Jerel Ezell
- 所属機関、職名、国名
- University of California, Assistant professor, United States
- 発表題目
- The Health Disparities Research Industrial Complex/健康格差研究の産業複合体
- 発表の概要
- 本発表では、健康格差研究における変異と拡張についてのレクチャーが行われ、その中での問題として、マイノリティを経験していない人だけの研究グループによる、実際にはマイノリティでない人々を対象とした自分たちの手法を当てはめる"自己満足"(健康格差ツーリストと言う)の問題があり、健康格差という流行のテーマを掲げるだけの研究者や資金提供者についての批判が述べられ、またそれらを是正していくための方略について議論が行われた。
- 感想
- 社会格差や社会的剥奪の研究の先進国である英国において、このような問題意識が生じていることに強い衝撃を受けた。日本はここ10年でようやく健康の社会的決定要因という事実が、一部の領域において認識されつつあるが、医学モデルからほとんど脱却できていないのが実情である。今後、英国や米国と同様に本問題に日本も直面すると予想され、警鐘が必要である。
- 発表者氏名
- Daisy Fancourt
- 所属機関、職名、国名
- University College Lodon, Professor, United Kingdom
- 発表題目
- Equal, equitable or exacerbating inequalities? Patterns and predictors of social prescribing referrals in a representative cohort of older adults in England/平等なのか公平なのか、それとも不平等を悪化させるのか?英国の高齢者の代表的コホートにおける社会的処方紹介のパターンと予測因子
- 発表の概要
- 本発表では、社会的処方は英国の国家プログラムだが、それが健康上の不平等を拡大していないか、誰に届いているかが調べられた。英国の高齢者データでは、最も経済的に不利な者と慢性疾患を持つ者に社会的処方が提供されていることが示された。また、社会的処方としては運動プログラムの紹介が最も多く、芸術グループ、自然の中での活動が次いで多く、それらの高い利用率も確認された。
- 感想
- 日本でも社会的処方のモデル事業が開始されるなど、その社会的な注目は高い一方で、実際は日本では誤った理解をされていることが多く、最先端の研究結果やその背景状況に触れることは重要であると感じた。加えて、社会的処方における芸術活動への紹介が高い割合を占めている事実は、日本では現状ほとんど触れられていない社会的処方でのアートの活動について重要な結果である一方で、日本の文化や制度に適合するのか、あるいは日本版の社会的処方のようなものを検討していく必要性を感じさせた。加えて本発表のように、政策や取り組みをモニタリングし、格差を助長していないか、標的集団に届いているのかチェックしていく必要性について再認識させられた。