第5章 口腔ケア 4.高齢者のQOL向上を目指す化粧・整容療法~化粧・整容と口腔ケアとの接点~
公開月:2020年5月
資生堂ジャパン株式会社
池山 和幸
1:はじめに
2018年の総務省の人口推計では、国内の65歳以上の高齢者人口は3,557万人(高齢化率:28.1%)に達し過去最高を更新した。女性においては、2,000万人を超え、女性の高齢化率は31%に達する1)。ご存知の通り日本は世界トップクラスの長寿国となっている。
しかしながら、健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間と言われる健康寿命と平均寿命の差は、女性で約13年、男性は約9年もあり、健康寿命の延伸は国家の喫緊の課題である。2016年6月に閣議決定された「日本一億総活躍プラン」の中では、健康寿命の延伸に向け、介護予防対策として高齢者に対するフレイル対策が明記されている2)。2015年、老年歯科医学会では、「8020運動」に加えたオーラルヘルスプロモーションとして「オーラルフレイル」の啓発活動がスタートした。今後、医療・介護の現場をはじめ、地域の中で介護予防活動として、高齢者の口腔機能維持・向上のための口腔ケアがますます求められる。
本稿では、日常生活習慣として定着している化粧や整容行為を用いて、高齢者の生活視点を軸に口腔ケアにつなげる化粧・整容療法について紹介する。
2:化粧・整容療法
介護・看護の領域において、化粧は、ADL(Activity of daily living:日常生活動作)の中の「整容」に分類される。整容とは、容姿(姿・形)など身だしなみを整えることを言い、具体的な項目としては、口腔ケア(歯磨き等)、手洗い、爪の手入れ、洗顔、整髪、髭剃り、化粧とされている。これら整容を含めたADLは、QOLを大きく左右する因子であり、リハビリテーション領域においては高齢者が自立した生活ができるかどうかを判断する重要な評価項目となっている3、4)。図1は、化粧教室で口紅メイクをしている女性(左)と口腔ケア教室で歯磨きをしている女性(右)の写真である。鏡を見ながら道具(口紅あるいは歯ブラシ)を使って、自分の口に意識を集中させる点において類似した行為であり、「口をきれいにする」という目的は共通している。化粧・整容療法は、「化粧」と「口腔ケア」を整容動作としてとらえ、二つの動作を融合させることで、オーラルフレイル予防活動として介護・医療に携わる多職種によって活用が可能な手法である。
整容の一つである化粧には、主に肌を健やかに保つために行われるスキンケア的化粧と着色などによる容貌を美しく演出するメーキャップ的化粧がある(表1)。また、顔だけでなく、ハンドクリームを使ったハンドケア、爪に対するネイルケア、ヘアトニックなどを使った頭皮の手入れをするヘアケアなども広義には化粧に分類される。
化粧 | 化粧品 |
---|---|
スキンケア (基礎化粧) |
メイク落とし、洗顔料、化粧水、乳液、美容液、クリーム、日焼け止め、シェービングローションなど |
メイク (化粧) |
化粧下地、ファンデーション、頬紅、口紅、眉墨、アイライナー、アイシャドウ、マスカラなど |
ハンドケア | ハンドクリーム |
ネイルケア | マニキュア、ジェルネイル |
ヘアケア | シャンプー、リンス、ヘアワックス |
化粧・整容療法は、メイクに限らず身体的なケアも含めた整容動作をベースに、自立支援のもと残存機能をいかしながら、本人による化粧・整容動作をサポートし、心身機能の向上やQOLの維持・向上を目指す非薬物療法である5、6、7)。特徴としては、化粧や整容は、日常生活の中で自分らしさを表現するための行為であり習慣化されているため、取り組みへのハードルが低く、成果が視覚的に確認できるのでモチベーションを維持しやすい点が挙げられる。
介護施設では、レクリエーションとして、回復期リハビリテーション病院や介護老人保健施設では、生活リハビリの一環として取り入れられている(図2)6、8)。
浪花らが行った医療従事者を対象とした化粧・整容療法の意識調査では、回答した95%の従事者(N=133)が化粧・整容療法によって患者のQOLが向上すると思うと回答し、特にリハビリ科看護師においては、90.9%の者が化粧・整容療法を実施してみたいと回答している9)。今後、患者のQOL向上の観点から、生活機能向上を目指す化粧・整容療法が普及することが期待される。
さらに、近年化粧・整容療法を歯科領域において、健常高齢者や要介護高齢者が楽しみながら口腔ケアに取り組むきっかけづくりとして、活用が広がっている9、10、11)。
次章以降では、高齢者に対する口腔ケアへのアプローチ手法として化粧・整容療法の活用について紹介する。
3:口への意識・関心を高める化粧・整容療法
日本老年歯科医学会からは、口の健康が徐々に衰えていくステップを表した概念図が示されている12)。図3では、「オーラルフレイル」の前段階として、口腔リテラシーの低下が挙げられている。口腔リテラシー、口腔への関心度を高めることが、オーラルフレイル、そして口腔機能低下症への進行を予防するといわれている。
オーラルフレイルは口のささいな衰えといわれ、健常者においては、その変化に気づきにくい。そのため、地域で開催される口腔ケア教室に参加する者は、もともと意識レベルが高い場合が多く、本当にアプローチが必要な高齢者、つまり口に対する関心がない高齢者は参加していない可能性も考えられる。そのような無関心層へのアプローチとして、年齢に関係なく比較的興味・関心を持ちやすい化粧や美容の要素を取り入れたアプローチが有効である。
弊社が20代-60代女性を対象に行った美容意識調査(2018年N=3,000 インターネット調査)では、「口周りのしわ」に関心が最も高い年代は、60代であった。また、60代女性の肌に関する悩みでは、「しみ・そばかす」、「肌のたるみ」に次いで、3番目に「口周りのしわ」が挙がっていた。図4が示すように、20代と比較して70代の口周辺は、明らかにほうれい線やマリオネットライン(口角から下に伸びるしわ)が深く、年齢による差が顕著に表れるため、年齢とともに口元に関心が高まると考えられる。
高齢期でも比較的関心の高い美容や化粧を入り口として、口の外(口腔外)からアプローチし、口への意識を高め、その後口腔に関する専門的な情報発信することで、楽しみながら口腔リテラシーの向上につなげることが可能になる。
北海道妹背牛町では、化粧・整容療法を導入している地元歯科医院と町役場が連携して、2017年から地域高齢者に対する介護予防事業がスタートしている。口の健康や唾液について歯科衛生士が説明をした後、唾液腺マッサージについてスキンケアの手技を用いて実践している(詳細は5章参照)(図5)13)。
また、医療・介護現場において高齢者に口への関心を高める取り組みとしても期待できる。要医療・要介護状態の高齢者は、口を動かすことが減ってくるため、口を触られることに過敏になり、口腔ケアを拒否することがある。特に認知症患者においては、口腔ケアの拒否は深刻な問題である。それらの症状を和らげていくことを脱感作という。手法としては、リラックスできる環境をつくり、爪、指、腕などの口より遠い部分から接触を開始し緊張をほぐし、徐々に口に近づき、口腔ケアに対する需要度を高め、最終的に口腔内のケアにつなげていく14)。
化粧・整容療法は、この脱感作の考え方をもとに、様々な化粧行為を通じて最終的に口への興味や関心を高めていくことが可能である。表2に具体的な行為を示す。
心身への働きかけ | 化粧・整容療法の実施内容 |
---|---|
気持ち | 化粧品の香りを用いてリラックス |
爪・手指・腕 | マニキュアで爪のケア、ハンドクリームやボディクリームで手指や腕のケア |
顔全体 | 化粧水・乳液・クリーム等を使って顔全体のケア(スキンケア) 化粧下地・ファンデーションを使ってベースメイク |
各部位 (眉、目元、口) | ポイントメイク(眉、アイシャドウ、口紅)で、眉毛、目元、口のケア(リップクリームでもよい) |
爪のケアは、メイクと異なり準備物も少なく一定期間色が維持されるため、楽しめる期間が長い。また、ハンドケアやスキンケアは、女性に限らず男性でも取り組むことができる。
このように、興味・関心をもちやすい美容、あるいは心理的なハードルが低い手指や爪のケアを入り口として、対象者にアプローチし、最終的に口への関心を高め、口腔リテラシーの向上につなげることが期待できる。
4:オーラルフレイル予防としての化粧・整容療法
現在、市町村や都道府県単位で、地域の特性に応じて地域包括ケアシステムの構築が推進されている15)。可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで続けるためには、地域における医療・介護の従事者が連携して、地域住民の介護予防、要介護状態の軽減に向けた取り組みが求められる。
歯科衛生士を対象に実施したアンケート(2019年7月実施、歯科衛生士向けフォーラム参加者N=256)では、自分自身あるいは自院でのオーラルフレイル対策取組状況を調査した結果、何らかの取り組みをしていると回答した歯科衛生士は30.9%であった。また、地域住民に向けた活動を実施しているとの回答は、15.4%であった。今後、歯科従事者がオーラルフレイル対策を地域で行っていくうえで、住民への効果的なアプローチ手法が課題となる。
前項では、地域のコミュニティースペースで取り組んでいる歯科医院の事例を紹介したが、他の地域でも自医院の待合室や訪問歯科で訪れる介護施設など診察室以外でも、化粧・整容療法を用いたオーラルフレイル予防活動が始まっている(図6)13)。
フレイル対策は、機能回復訓練などの高齢者本人へのアプローチだけではなく、地域づくりなどの高齢者本人を取り巻く社会的な環境へのアプローチも含めたバランスのとれたアプローチを行うことが重要である。飯島らによる柏スタディでは、社会性フレイルが身体的なフレイルと強い相関があると報告され16)、オーラルフレイルの概念図にも「社会性と生活とのつながり」と記載されている(図3)。
平成26(2014)年度から地域づくりによる介護予防推進支援事業として、「通いの場」づくりが各地で推進され、3年間で300の市町村が設置をしている17)。2019年6月に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2019」の中には、高齢者が集まり交流する通いの場の拡大・充実が明記され、今後通いの場での歯科医師、歯科衛生士などの医療専門職の積極的な関与が求められる18)。そのような場面で、楽しみながらオーラルフレイルを伝えるツールとして化粧・整容療法の活用が期待できる。
5:化粧・整容療法を用いた唾液腺マッサージ
本項では、化粧・整容療法を用いた具体的な手法について紹介する。高齢期(特に75歳以上)には複数の疾患をそれぞれ治療するために、複数の薬剤が処方される傾向にあり、75歳以上の約4人に1人は、7種以上の薬を服用していると報告されている19)。日本医薬品集に掲載されている薬剤全体の約1/4である約600品目に口渇、口内乾燥、唾液分泌減少の副作用があるとの報告もある。睡眠薬、精神安定剤、抗うつ薬、利尿薬、抗アレルギー薬などが挙げられるが、これらの薬を服用している高齢者も多いと考えられる。
唾液は、物の消化・吸収、咀嚼・飲み込み、口腔内細菌の制御(洗浄、殺菌)、口腔粘膜の保護、味覚の感知などに関わり、口の健康維持に重要な役割を担っている。
唾液分泌を促す方法として、口を動かす、リラックスをする、そして唾液腺マッサージが知られている。特に、唾液腺マッサージは歯科衛生士が口腔ケア教室などで高齢者に伝えることも多い。今後の課題としては、高齢者本人がセルフケアとして、自発的かつ継続的に取り組めるように促すことである。
本項では、化粧・整容療法を用いて高齢者が自発的かつ継続的に唾液腺マッサージを実施できるメソッドを紹介する。
化粧行為の一つであるスキンケアは多くの女性が毎日行う行為である。65~80代の健常な女性264名を対象にした調査では、97.7%がスキンケアを行っていた20)。通常、スキンケアは、化粧水やマッサージクリームなどの化粧料を用いて、顔や首の手入れを行う(図7)。その際、大唾液腺の耳下腺、顎下腺、舌下腺に触れる(図7)。
また、スキンケア(肌の手入れ)は、男性にも応用が可能である。図7は、整容行為の一つである髭剃りをしている写真である。髭剃り前には、カミソリの滑りをよくするために、髭剃り後には皮膚の保湿としてシェービングフォームやシェービングローションを使用するといったスキンケア行為が行われる。このような動作においても、大唾液腺を刺激する動作が含まれている。
女性のみならず男性も日常生活習慣として根付いたスキンケアの場面で、大唾液腺を意識してマッサージすることを医療従事者からはたらきかけることで、自発的かつ継続的に唾液腺マッサージを習慣づけることが期待できる。
特に、化粧の中でもスキンケアは、汚れを落とすことで皮膚を清潔に保ち、保湿によって乾燥を防ぐ効果があるため医療機関でも実施できる取り組みである。今後、医療機関内でのスキンケアが、皮膚のケアだけでなく、口腔ケアの一環としても積極的に取り入れられることを期待したい。
国立長寿医療研究センター歯科口腔先進医療開発センターと共同で、口腔機能にはたらきかける化粧品を用いた簡便なマッサージ手技を開発し、今後、医療現場での普及を目指している(詳細は第5各論3-3参照)9)。
6:おわりに
2000年厚生省(現在の厚生労働省)の定義では、生活の質(QOL)とは、「日常生活や社会生活のあり方を自らの意思で決定し、生活目標や生活様式を選択できることであり、本人が身体的、精神的、社会的、文化的に満足できる豊かな生活」と定義されている。
化粧をすると心理的・精神的な変化のみならず、動作を続けることで身体機能の維持・向上が期待できる。また、身だしなみや化粧を意識することで、自分や他人に興味・関心をもつことができ、社会性・社交性の維持にもつながる。
高齢期の口腔リテラシーの向上、そしてQOLの維持・向上のための手段として、整容や化粧が受け入れられる環境が医療・介護の領域で整備されることを願っている。
文献
プロフィール
- 池山 和幸(いけやま かずゆき)
- 資生堂ジャパン株式会社
- 最終学歴
- 2005年 京都大学大学院医学系研究科博士後期課程単位取得退学 2006年 学位取得(医学)
- 主な職歴
- 2005年 株式会社資生堂入社(リサーチセンター配属) 2014年 同社・事業部門 現職 資生堂ジャパン株式会社美容戦略部
- 専門分野
- 老年化粧学、化粧療法学、高齢者に対する化粧の効果を医学的・介護の観点から検証
※筆者の所属・役職は執筆当時のもの
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