自然に歩数が増える環境づくり
公開月:2024年7月
井上 茂(いのうえ しげる)
東京医科大学公衆衛生学分野主任教授
はじめに
健康の維持増進のために身体活動が欠かせないことは誰もが知っているが、日本人の身体活動量は減少傾向にある。図1は国民健康・栄養調査の結果だが、1990年代後半から現在にかけて、国民の1日歩数は平均で1,000歩近く減少した1)。このような状況に対して、何も対策が講じられなかったわけではない。国は、1978年からおおよそ10年単位で国民健康づくり運動を展開している。2000年からは目標設定型の政策である健康日本21が実施され、10年単位で歩数や運動習慣者割合を目標にしたPDCAが回されている。2000年に掲げられた最初の目標は成人男性9,200歩、成人女性8,300歩であったが、歩数はさらに減少して、現状値はこの目標に遠く及ばない。2024年度にスタートした健康日本21(第三次)では、成人男女8,000歩、高齢者男女6,000歩が目標となった2)。身体活動が不足したまま、なかなか増加しないことは世界的にも同様である。
このような状況にあって、2000年頃から「地域環境」と身体活動との関連が注目されている。すなわち、どのような地域環境に住む人が活動的な生活習慣を送り、健康を維持できるのかという問題である3)。本稿では、身体活動を高めるためのこれまでの研究の歴史を簡単に振り返り、最近の話題として、1.厚生労働省の身体活動・運動ガイドの中に示された身体活動支援環境のフレームワーク、2.国土交通省が展開する政策で、健康日本21(第三次)の目標項目として採用された「まちなかウォーカブル区域」の整備、および3.歩いて暮らせる都市を目指す立地適正化計画について紹介する。
人々の行動を変えるための研究――どこに住むかが身体活動や健康を決める
身体活動の効果はわかっていても行動を変えることは難しい。行動変容は長年、重要な研究テーマとして関心を集めてきた。1980年代から90年代にかけては心理学への関心が高かった。例えば、行動変容のステージモデル4)は行動変容に対する対象者の準備性(態度、関心の程度や、行動を変える意図の強さなど)に応じた保健指導を推奨しており、広く実践に応用されている。しかし、個人を対象にした保健指導によって国民全体の行動を変えることは必ずしも容易ではなく、コスト面での問題もある。特定の個人を対象にするハイリスク戦略だけではなく、集団全体を変えるポピュレーション戦略が必要である。
このような背景のもと地域環境と身体活動との関連が研究されるようになった。特に、walkability index(WI)という地域環境の指標が注目されて、多くの研究が行われている5)。これまで検討されてきた要因としては、住居密度、土地利用の混在(居住地と商業地等の混在の程度)、良好な道路ネットワーク、交通安全、治安、運動場所(運動施設、公園・緑地等のオープンスペースなど)へのアクセス、公共交通の利便性、地域の美観等がある。「どんな場所に住むか」が身体活動・健康を決定していることになる。世界保健機関(WHO)は「身体活動に関する世界行動計画2018-2030(GAPPA)」6)を発表しているが、身体活動の推進戦略の4本柱は、1.アクティブな社会を創造、2.アクティブな環境を創造、3.アクティブな人々を育む、4.アクティブなシステムを創造となっている。単に「運動指導」をすることではなく、社会を変える必要性が強調されている。
以下、環境整備に関する3つの話題を紹介する。
身体活動支援環境のフレームワーク
2024年1月に厚生労働省より「健康づくりのための身体活動・運動ガイド2023」が発表された7)。この中で「身体活動支援環境について」という情報シートがあり、身体活動支援環境を2×2表の形で分類するフレームワークが紹介されている。これまで、「環境」の捉え方は人によって様々で、物理的な環境のみならず、社会的な環境も含めて、環境を整理するフレームワークが存在しなかった。このことは環境の問題を議論する上で、1つの障壁であった。そこで、提案されたのがこの2×2表である。具体的には、身体活動を「生活活動」と「運動」に、環境を「物理的環境」と「社会環境」に区分して、2×2表の形で4分類するものである(表)。
生活活動(歩行、自転車利用、仕事、家事など) | 運動(運動、スポーツなどの余暇時間) | |
---|---|---|
物理的環境の整備(場所の整備) | 【まちづくり・地域環境・職場環境の整備】
|
【運動する場所の整備】
|
社会環境の整備(機会の創出、提供) | 【生活活動の機会の創出・増加】
|
【こども】
【医療・ヘルスケア】
|
すなわち、1.生活活動の物理的環境(歩いて暮らせる都市構造、歩きたくなる建築空間デザイン、公共交通政策、座りっぱなしになりにくいオフィスのデザインなど、生活活動の場を整備する)、2.生活活動の社会環境(自動車を利用しない通勤・通学を促進する社会環境、社会参加の機会、地域活動の機会など、生活活動の機会を増やす)、3.運動の物理的環境(運動施設、広場・公園・緑地等へのアクセス、こどもの遊び場など、運動の場を整備する)、4.運動の社会環境(運動する機会の増加、運動自主グループ、運動プログラム、運動指導者等へのアクセスなど、運動の機会を増やす)である。そして、4つの環境の全ての面で取り組みが必要であることが強調されている。このフレームワークにより、環境への理解が深まり、議論や対策の進展することが期待される。
まちなかウォーカブル区域の整備
国の健康づくり政策においても、身体活動の増進につながる環境整備の取り組みがある。2024年度にスタートした健康日本21(第三次)では、「『居心地が良く歩きたくなる』まちなかづくりに取り組む市町村数の増加」が目標項目として採用された2)。市町村が取り組みを行っているかどうかは「滞在快適性向上区域(通称:まちなかウォーカブル区域)」8)を設定しているかどうかで判定する。まちなかウォーカブル区域は、市町村が都市再生特別措置法に基づいて策定する都市再生整備計画の中に定める区域で、区域の設定も、計画の策定そのものも市町村の任意となっている。国土交通省の「第5次社会資本整備重点計画(令和3年)」では「『居心地が良く歩きたくなる』まちなかの創出の推進」は重点目標の1つであり、本目標は、この目標を省庁横断的に共有する形となっている。区域内では、快適性や魅力の向上を図るために、歩道の拡幅、都市公園における交流拠点の整備、建物低層部のガラス張り化などが行われる(図2)8)。場所としては駅前や商店街などの人が集まるまちなかが想定されており、区域の規模はおおむね1km程度とされている。部門間で協働して政策を進める好事例といえる。
立地適正化計画によるコンパクトなまちづくり
もう1つ、身体活動推進の視点から注目される都市計画の制度として立地適正化計画制度がある9)。人口の急激な減少と高齢化に対応して、安心、健康で快適な生活環境を維持し、財政面においても持続可能な都市経営を可能にすることが求められている。その実現に向けて「コンパクト・プラス・ネットワーク」をコンセプトとしたまちづくりが進められており、そのための制度が、立地適正化計画制度である(図3)。
この制度が目指すものの1つとして、医療・福祉施設、商業施設や住居等がまとまって立地し、高齢者をはじめとする住民が徒歩や自転車、公共交通を用いて、これらの生活利便施設等にアクセスできることがある。この方向性は身体活動推進と一致している。世界的にもよく似た構想である「15分都市(15-Minute City)」がある10)。これは自宅から徒歩・自転車・公共交通を利用して短時間(15分程度)で必要な全てのアメニティに到達できる都市を目指すものである。元々は環境・交通問題への対策として始まった動きだが、2020年の新型コロナウイルス感染症パンデミックによるロックダウンで自宅近隣の重要性が見直されて、さらに注目が高まった。パリ市、ポートランド市、オタワ市、メルボルン市、バルセロナ市などがこの構想を掲げており、身体活動推進の方向性と一致している。
さいごに
地域環境と身体活動・健康の関連を概説し、いくつかの取り組みを紹介した。身体活動不足の対策を「運動指導」のみにとどめるのではなく、社会の在り方が健康の決定要因であることを認識して、環境整備による健康増進を進めることが求められている。
文献
- (2024年6月20日閲覧)
- (2024年6月20日閲覧)
- 井上茂,下光輝一:生活習慣病と環境要因─身体活動に影響する環境要因とその整備.医学のあゆみ 2011; 236(1): 75-80.
- Prochaska JO, DiClemente CC: Stages and processes of self-change of smoking: toward an integrative model of change. J Consult Clin Psychol. 1983; 51(3): 390-395.
- Barnett DW, Barnett A, Nathan A, et al.: Built environmental correlates of older adults' total physical activity and walking: a systematic review and meta-analysis. Int J Behav Nutr Phys Act. 2017; 14(1): 103.
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- (2024年6月20日閲覧)
- Allam M Nieuwenhuijsen D Chabaud, et al.: The 15-minute city offers a new framework for sustainability, liveability, and health. Lancet Planet Health. 2022; 6(3): e181-e183.
筆者
- 井上 茂(いのうえ しげる)
- 東京医科大学公衆衛生学分野主任教授
- 略歴
- 1991年:東北大学医学部卒業、財団法人竹田綜合病院内科、1993年:仙台市医療センター仙台オープン病院消化器内科、1996年:東京医科大学大学院、2000年:東京都健康推進財団東京都健康づくり推進センター、2000年:東京医科大学衛生学・公衆衛生学講座(助手、助教、講師、准教授)、2012年より現職
- 専門分野
- 公衆衛生、身体活動疫学
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