デザイン思考によるこれからのヘルスケア〜テクノロジーで超高齢社会をサポートする〜
公開月:2022年4月
阿久津 靖子(あくつ やすこ)
一般社団法人日本次世代型先進高齢社会研究機構(Aging Japan)代表理事
株式会社MTヘルスケアデザイン研究所所長
世界からみた日本のエイジテック
周知のごとく、日本は高齢社会のトップランナーである。世界の国々はその日本がどのように進んでいくのかを注目している。
筆者は、2017年よりエイジングイノベーションを加速させることを目的とした国際的なネットワーク
の東京アンバサダーとして、合わせてイノベーションを通じてアクティブで健康な高齢化を支援するデジタルヘルス推進の国際協力を推進・拡大することを目的としたプロジェクト のエキスパートメンバーとして海外との交流を図ってきた。近年、世界的にエイジテックが注目されている。エイジテックとは、高齢者を対象に生活や健康を支援するためのテクノロジーや高齢社会の問題を解決するためのテクノロジーである。
超高齢社会日本に対する海外の視線は熱く、彼らは日本がロボットテクノロジーをすでに介護の現場に展開しているという誤った認識を持っている。特に人型ロボットに対する注目度・期待値は高く、ソフトバンク社のPepperが誕生した2016年のロボットブームの後、海外では、日本の介護現場でPepperなどがバリバリと働いていると思われていた。
日本に足りないデザイン思考(デザインシンキング)
さて海外の期待に反し、COVID-19の対応で日本のデジタル戦略が遅れていることが明確になってしまった。どうしてそのようなことになったのか?エイジテックについて言えば、日本がテクノロジー的に格別遅れているというわけではない。
デジタル化が進み福祉大国であるデンマークには、COVID-19流行以前、年に1、2回訪問してきたが、彼らのデバイスがテクノロジー的に飛び抜けて優れているわけではない。開発時、導入時に、「誰が何の目的でどのように使うのか」ということが明確になっているという点が日本と最も異なる。これはリビングラボ※1を通じて、ステークホルダー(利害関係者)全員が「解決しなければならない問題は何なのか」を現場から深く洞察し、「それを解決するテクノロジーは何であるのか」を検討し、その機器やサービスの導入の実証評価を行い、時間をかけてそのプロセスをPDCAで回している。いわゆるデザイン思考プロセスである。
※1 リビングラボとは、生活空間(Living)と実験室(Lab)を組み合わせた言葉。研究開発の場を市民やユーザーの生活空間に置き、生活者の視点から新しいサービス・商品を生み出す共創活動、またはその活動拠点をいう。近年日本では、行政、研究機関、企業が運営主体のリビングラボが多数誕生している。
デザイン思考とは、製品を使う「ユーザーのニーズに合ったものや解決策をつくること」などと言われる。多くのデザイン思考に関する本が巷にはあふれているが、多くの本を読んでも、デザイン思考のワークショップに参加しても、誰もが腑に落ちるということではないように感じる。デザイン思考は、生活の中で常に考え続ける思考であるので、本を読んだから、ワークショップに参加したからできるようになるわけではない。「誰が何の目的でどのように使うのか」「必要なところに必要なプロダクト・サービスがいくためにはどのようにするべきか」という視点を常に持ち続けることが重要である。
筆者は仕事のキャリアをインダストリアルデザイン※2事務所でスタートした。デザイナーではなく、人々の暮らしを観察しながら、プロダクトを人の暮らしに添えていくものにするためのコンセプトづくりのリサーチセクションに所属していた。現在の思考性はその時代に身につけたと思う。40年ほど前であったが、「デザインは物や形をつくる意匠デザインではない。ゼロからプロダクトを生み出すために人々の生活を、街を、世の中を観察し続けニーズを探すことである」と学んだ。キャリアのスタートでその思考を学んだ筆者にはそんな癖が身に染みている。
※2 インダストリアルデザインとは、従来、機能面だけでデザインがほとんど重視されなかった工業製品において、使いやすさと美しさの両立を実現するデザイン。工業デザインとも呼ばれる。
シリコンバレーでデザイン思考と言われる前にデザイン思考はあったのだ。ただ、残念なことに、そのプロセスがメソッド化されておらず、身体で覚えることしかしてこなかった。スタンフォード大学の機関
を覗き、本を読むにつけ、欧米人のプロセス化のうまさに感心し、日本の実情にとても残念な思いになる。介護のデザイン思考プロセスの特徴
筆者はヘルスケア※3のデザインコンサルティングを事業として行っているが、業務の中で医療・介護のデザインプロセスの提案をしている。デザイン思考をベースにしたものであるが、医療・介護ならではの特性がある。プロセスの一連の流れを図1に示すとともに具体例を交えながら説明をする。
※3 ヘルスケアとは、自らの「生きる力」を引き上げ、病気や心身の不調からの「自由」を実現するために、各産業が横断的にその実現に向け支援し、新しい価値を創造すること、またはそのための諸活動をいう。(一般財団法人日本ヘルスケア協会より引用)
(2022年6月23日閲覧)
リサーチ・コンセプトプランニングに時間をかける
デザイン思考において、問題解決に向けて最も重きを置く要素は、ユーザーの「共感」「満足」である。このユーザーとは誰であるのか?医療・介護では、そのユーザーは患者、利用者、介護者、医療者など多くのステークホルダーがおり、また医療保険や介護保険に縛られているため、市場は制限されている。
MTヘルスケアデザイン研究所(以下、MT研究所)ではリサーチの部分を「想い与件」(現場ニーズ)と「技術与件」として分けている。現場のニーズの最大の課題は、現場の誰かの意見が決してニーズではないということである。医療・介護職は「患者を、利用者を、何とかしたい」という思いから不便であろうがなかろうが、何とかしてしまう傾向にある。また目の前の課題に目が行きがちで、全体的な課題に目を向けづらい。さまざまな職種、バックグラウンドの異なるスタッフが関わるため、同じ視点で課題に向き合う機会が少ない。そのため開発者がヒアリングをしたニーズが一部のニーズとなってしまうことが多々ある。
まず、重要なのは「現場観察」である。MT研究所ではできる限り現場観察からスタートする。まずは、現場に入り気づいたことを詳細に記録する、いわゆるエスノグラフィー調査※4を行う。そこで得られた客観的情報をもとに現場のインタビューを行っていくことで、現場が気づいていない潜在的ニーズを見つけ出すことができる。しかし、それらのニーズはまだ素材の段階であり、そのニーズを関わるすべてのステークホルダーで共有し、共感してもらうことではじめて、その場のニーズとなっていく。
※4 エスノグラフィー調査とは、文化人類学や社会学において集団や社会の行動様式を調査し、記録する行為やその調査書を指す。アンケートなどで統計的にとらえる定量分析と対を成し、インタビューや観察から定性的に調べることが特色。(日経クロステックより引用)
(2022年6月23日閲覧)
近年、医療領域ではPatient centered designということが言われているが、まさに患者・利用者を中心として関わるスタッフにとって何が課題なのかを共有し、共感するコンセプトをつくりあげることは、製品・サービス開発を行うだけではなく、業務システムを考えるうえでも重要なことである。
これまでの共感のプロセスを施行した事例として、電子カルテのリプレイスメントの与件整理がある。病院の各セクションにインタビュー調査を行い、そのデータを共有し、インタビューに対してのフィードバックをまとめ、それをまた現場に返して意見を集約するという、とても面倒なプロセスを行ったことがある。ただそのプロセスの中で、それぞれの持っている電子カルテ像が異なり、電子カルテで解決できることと業務プロセスで改善できることとは別であると気づくことができたのは成果だったと考える。組織運営の中で、ニーズを客観的に整理し、自分たちのニーズが何であるかについて常に考えるというプロセスの重要性に気づいて、具体的な事業改善を行い、成果を上げている組織も出ている。
ターゲットを絞り込む
一方、「想い与件」(現場ニーズ)だけではヘルスケア産業に参入するのはむずかしい。公的保険や薬事法などの縛りがあり、患者・利用者の身体的条件はさまざまで、そこのセグメンテーション(区分)は細分化される。ヘルスケアに新規参入しようとする事業者が開発した製品・サービスは、このマーケットを見誤って労多くして実らずと撤退するケースが多い。特に日本のエンジニアの多くは機能をてんこ盛りにする傾向にある。
筆者はBiodesignerコースで学んだのだが、この中で学んだ一番大きな成果は、ニーズステイトメントを作成し、ニーズを絞り込んでいくプロセスを学んだことであった。ニーズステイトメントとは潜在需要の明文化と言われている。「Yにとって(誰に対して)Zをもたらすために(Zの価値をもたらすために)、Xする方法(Xという課題解決方法)」という形にニーズを明らかにする方法である。ここではまだ解決方法を出すのではなく、あくまで解決する課題を明文化する。誰に対してというところについては、ターゲット(対象者)の絞り込みが重要となる。たとえば単に「車椅子の人」ではなく、「脳梗塞で片麻痺のある車椅子の人」という絞り込みをすると、そのマーケットの数は異なってくる。そしてその対象者に提供する価値も、そこに解決すべき課題も異なってくるのである。
のヘルスケア領域では、それこそ患者・利用者のペイシェントジャーニー※5が重要である。細分化したターゲットの市場性がどれくらいあるのか。そこは医療保険収載対象となるのか。介護保険の対象になるのか。技術を最適化するための時間と費用がどのくらいかかるのか。この検討をMT研究所では「技術与件」としている。こうしたことを考慮せず、結局上市までいかない製品・サービスも実際多々ある。
※5 ペイシェントジャーニーとは、患者が疾患や症状を認識し、病院での受診や服薬など治療するまでの患者の「行動」、「思考」、「感情」などのプロセスを表したもの。
実証事業を繰り返しながら現場への導入検討・モデルチェンジを行う
筆者らのプロセスではプロトタイプ検証をサービスインの前に行っている。このあたりはサービス製品の特性や企業の開発余力に依存するところが多いが、できることならば、実証事業を繰り返しながら使いやすさの検証や導入組織への効果、導入コストのなど導入効果測定を行いながら、PDCAで製品のモデルチェンジを行う。
介護機器を導入した施設で、使われていない機器がほこりを被っているのをたまに目にすることがある。その理由に、介護の関係者はテクノロジーへの拒否感が強いからということを耳にするが、本当にそうであろうか?現場(ユーザー)を中心にするデザイン思考は導入時にも重要となる。医療・介護の現場は対象者それぞれに特徴があり、導入した対象者によって使い方も異なる。ケースに合わせた導入指導やユーザビリティ向上のためのモデルチェンジも必要となってくる。
以前デンマークのリビングラボにヒアリングを行ったとき、彼らが重視しているのは「開発よりも導入である」と言われた。デンマークで統一したガイドラインがあるわけではないが、それぞれの地域で医療介護機器・テクノロジーの評価システムを開発しており、介護関係者たちの労働環境、コスト削減、機器の安定性、信頼性、経済的メリット、対象者の健康状態の変化、患者・利用者視点のユーザビリティ、社会文化的・法的観点など、多角的な視点からサービスの導入評価を行っていた。これらの評価軸は提供企業、施設の職員、管理者などすべてのステークホルダーがワークショップで決め、指標についてもできるだけ客観的になるような目標を決め、合理的に導入方法について検討する。
こうした情報は図2のようなWT(Welfare Technology:福祉機器)マップで参照することができる。どの自治体がどのようなWTをどのような現場に導入しているか、導入プロセスにあるか、導入を予定しているか、担当者のコメントや連絡先などを一覧することが可能となっており、自分たちが導入する際の参考となるようになっている。
日本では開発と営業とがうまくつながっておらず、開発の意図通りに現場に導入されなかったり、現場のニーズが営業から開発に伝わっていないケースが多いため、現場に導入されていないことがある。現場スタッフが導入した機器をどのように現場に活かせばいいかわからないケースも多々ある。日本においても機器・サービスを導入するためのガイドラインやプロセス化を行う必要があり、そこにもニーズが何であり、それ解決するというデザイン思考が必要となる。
高齢者がテクノロジーを使いこなす豊かな高齢社会
ある認知症の研究会に行った際、認知症の患者さんから「困りごとは何ですかと聞かれるけど、そうではなく、やりたいことは何ですかと聞いてほしい」という話を聞いて、なるほどと思った。
日本次世代型先進高齢社会研究機構(Aging Japan)では、2021年は高齢者のデジタルディバイド(情報通信技術を利用できる人と利用できない人の間に生じる情報格差)を研究テーマとしてきた。「介護関係者がデジタルに弱い」というのと同様、「高齢者はデジタルに弱い」ということをよく耳にする。「高齢者だから」というのはいわゆるエイジズム(高齢者差別)ではないのか。高齢者自身がデジタルを使うことで自分の世界が広がったという体験があれば、高齢者は自らデジタル機器を使うのだと思う。
ニューヨークにCOVID-19のパンデミックの中、全米で利用者が急増した。
という高齢者がテクノロジーを学ぶコミュニティがある。ここのプログラムは秀逸で、テクノロジーを使うことで世界が広がっていくことを体験できるようになっている。図3のように高齢者がパソコンに向かい、各々が初歩的なインターネットを使ったリサーチから始まり、ファイナンシャルのやり方、自分で起業する(店を開く)、健康になるというように、テクノロジーを使うことで自分の生活が豊かになることを体験し、仲間をつくるというコミュニティである。Senior Planetの創業者であるTom Kamberは「高齢者に教えるのではなく、一緒に楽しむことが重要である」と常に言っている。高齢者のニーズは困りごとの解決ではなく、テクノロジーを使って生活を豊かにすること。それこそが高齢者の潜在的なニーズである。高齢者がテクノロジーを使いこなす未来をつくることが豊かな高齢社会の創造につながるだろう。
筆者
- 阿久津 靖子(あくつ やすこ)
- 一般社団法人日本次世代型先進高齢社会研究機構(Aging Japan)代表理事
株式会社MTヘルスケアデザイン研究所所長 - 略歴
- 1982年:筑波大学大学院理科系修士環境科学研究科修了、GKインダストリアルデザイン研究所入社、1985~1999年:フリーランスで商品企画等のコンサルタントに従事、1999~2002年:三栄コーポレーションにて子ども家具「フォルミオ」店長および商品開発、2002~2012年:ロフテー株式会社にて商品開発・店舗開発・スーパーバイザーに従事したのち、株式会社昭和西川にて商品開発・睡眠研究、その後ヘルスケアデザイン事業コンサルティングを行い、2012年:株式会社MTヘルスケアデザイン研究所創業、研究所所長、2017年よりAging2.0 Tokyo chapter Ambassador、2018年より一般社団法人日本次世代型先進高齢社会研究機構代表理事、2019年より千葉大学附属大学病院患者支援部特任准教授
- 専門分野
- ヘルスケアデザイン、医療・介護機器評価
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