長生きを喜べる社会に向けて-若い世代に伝えたいこと
公開月:2022年1月
長生きを喜べる社会に向けて-若い世代に伝えたいこと
長寿科学振興財団機関誌 「Aging&Health」は今号で100号を迎えました。100号記念となるこの号では、財団の井口昭久理事、加賀美幸子理事、袖井孝子評議員をお招きし、大島伸一理事長と令和元年(2019年)度に財団が掲げたビジョン「長生きを喜べる長寿社会の実現」をテーマに、後期高齢者世代となった先生方が超高齢社会にどう向き合っているのか、若い世代へのメッセージを織り込みながらお話しいただきました。
「人生50年時代」から気づけば「人生100年時代」
大島:機関誌『Aging&Health』100号という記念の号を迎え、長寿科学振興財団の役員4名にお集りいただきました。この4名の共通点を挙げると、昭和10~20年(1935~1945年)生まれで、ものすごい大きな変化の中を生きてきた世代です。幼少の頃は戦中戦後で貧しい環境で育ち、1953年のテレビ放送開始を皮切りに急激に技術革新が進みました。1960年代には池田内閣の「所得倍増計画」、高度経済成長期を迎え、1970年代には国民全体が一気に豊かになる「一億総中流」という変化が起こりました。
こういった背景を持った4名を、今日はあえて"同世代"と呼ばせていただきます。こういう大きな変化の中を歩んできた私たちは、「人生50年時代」に生まれ、それを基準に人生設計をし、気づけば「人生100年時代」を迎えていました。「人生50年時代」から「人生100年時代」を生き、今の高齢社会をどう捉えているか。若い世代を見て感じること、私たちの世代が若い世代に何を伝えられるか。「長生きを喜べる長寿社会の実現」が財団のビジョンですが、今は長生きを喜べる社会ではないのが現実です。高齢者にとっても若い世代にとっても「長生きを喜べる社会」とはどういう社会なのか、お話を伺いたいと思います。
加賀美:大島先生に「共通の年代」と言っていただいて、とても腑に落ちました。私たちの世代は、戦争は直接体験ではなく間接体験です。私は終戦のとき5歳でした。私の先輩方は戦争の直接体験でつらいことが多く、私より下の世代は戦争をまったく知りません。私たちの世代は戦争の間接体験ですが、そのつらさを子どもの目で見つめてきました。生活の上でも当時は砂糖も配給でお菓子もありません。母はその砂糖でカルメ焼きをつくってくれたり、お菓子がない代わりに"お菓子の歌"を歌ってくれたりしました。糖分過多の現在、そういう話をすると、若い人はびっくりします。私たちの年代はこういう戦争体験も伝えていくことが必要ですし、元気に伝えられる世代です。
大島:子どもの目で戦争を見てきて、どういう感覚でその時代を生き抜いてきたのか。それは、われわれの世代にしか語ることのできない貴重な経験です。そういった話も含めて、井口先生、お話しいただけますか。
井口:確かに、たったこの100年の間に寿命が2倍になりました。普通の人が100歳をこえる時代はもう目の前です。しかしだからといって、日本人全体がよく生きるようになったかと言えば、必ずしもそうではありません。医師の立場からすると、健康な人生ばかりではないし、"よく生きる"に値する人生の時間が追加されたかというと疑問があります。私も「100歳まで生きる」と言われても、めっそうもないと言わざるを得ません。人生最後の10年間が、それほど幸せな時間だと思えないからです。人工呼吸器をつながれたり、薬を多く飲んだり、がんの化学療法や手術と次々と病気に見舞われながら、時間をかけて死に至るのが現実です。寿命を伸ばすことには成功したけれど、そのせいで「晩年=医療を受ける」が当たり前の時代になりました。
大島:袖井先生はいかがですか。
袖井:「長生きを喜べる社会」といわれても、あまり喜べないのが現実ですね。大島先生がさきほど「人生50年時代」とおっしゃいましたが、今の社会システムは「人生70年時代」がモデルになっています。日本人の平均寿命が70歳をこえたのが1970年頃で、その頃から高齢化社会が始まりました。日本は1960〜1970年代の高度経済成長期の頃の感覚をずっと引きずっているように感じます。今の社会システムや社会保障制度は、あの時代のピラミッド型の人口構成や右肩上がりの経済成長を前提につくられていますので、今の時代に全然合っていません。今後は社会システム自体が持たないと思います。
特に気になるのは、若い人たちが将来への希望を持てない現状です。私は学生を教えていますが、夢も希望もないという学生が多く、本当に可哀そうだと思います。国際比較調査を見ると、世界中のどの国よりも日本の若者が将来に対して不安感を抱いています。
大島:具体的にはどういう不安ですか。
袖井:やはり一番大きいのは老後の不安です。とりわけ年金制度が崩壊するのではないかという不安が大きいようです。
大島:10年ほど前、国立長寿医療研究センターの研究でアンケート調査を行ったのですが、「長生きをしたいか」という設問に対して、20~30代の多くが「全然そう思わない」という答えがあったのを見て、驚いた記憶があります。
加賀美:長生きを喜べない今の社会状況だからこそ、今回のテーマはとても意味があると思います。戦後の激変の時代を経験した私たちが、その中でどう生きてきたかを伝えることが大事で、それが私たちの仕事だと思います。
コロナで若者にとっても死が身近になった
井口:「死」を考えてみると、1970年以前は若い人でも死ぬ時代でした。ところが、1970年を境に若い人が死なない時代になり、死は老人特有のものになり、死を考えない若者が増えてきました。われわれが若いときは、死がすぐ身近にあったし、死んだらどうなるのかと考えたものです。大島先生もわかると思いますが、学生運動の中で自分の哲学とか思想とか深く論じたりしました。しかし、今の学生にはまったく哲学や思想がないですね。「学生運動をやったことがある人?」と学生に聞いたら、手を挙げる人がいて、何をやっているのかと聞いたら、"サッカー"。学生で運動するとなると、そういうことになる。学生運動という言葉はもう死語です。要するに、「人生とは何か」「青春とは何か」は考えない。考える機会がないのです。
加賀美:それはどうしてでしょうか。
井口:彼らだけでなく、親の影響が大きいと思います。学生の親は今40~50歳で就職氷河期世代。さらにはリーマンショックで不本意ながら非正規雇用となり苦労している人が多く、生きることで精一杯だった世代です。そういう親の人生に自分の人生を重ねているように感じます。学生に「将来の人生設計を立てなさい」と言うと、「26歳までに恋人をつくって30歳までに結婚したい。40歳でパートに出て、50歳になったら老後の準備をしたい」。実に夢がない。さらに「70歳になったらどうなっているか」と聞くと、「死んでいると思う」という答え。将来に対する考えがまったくないのです。
加賀美:ある意味、平和で切羽詰まっていないということでしょうか。切羽詰まっていないからこそ、私たちの世代は有難くプラスにして生きてきたけれど、若い世代は、あまりにも当たり前な状況なので、何かを変えていくという強い思いを持つことも、持つ必要もないのかもしれません。
井口:そういった意味では、今回のコロナは意味があったかもしれません。コロナで若者にとっても死が身近になり、ある意味、若い世代も死を考える機会が持てました。
袖井:コロナ第5波では20~30代でも亡くなった方がいますよね。
本を読まない若者人の感性はどう変わっていくのか
加賀美:若者が人生に希望を持てない社会をどう打開していくか、今問われますね。たとえば、今若い世代が本を読まないです。
大島:確かに若い人は読書をしませんね。それどころかテレビも見ません。情報源はネットで新聞も読まない。
袖井:大学のレポートの参考文献もネットからが多いです。本ではなくURLです。
井口:大人世代と共通の土台がありません。昔のように家族みんなでテレビをみることもなくなりました。
大島:しかし、技術の進歩は止めようがありません。デジタル時代となり、AIやIoTなど新しい技術も進みました。デジタル時代は極端に言えば、すべて数字で表される時代です。そういう時代の中で、人の感性や心の部分はどう変わっていくのでしょうか。
井口:「老人を大切にしなければならない」とか「人間とは何か」とか、哲学的なものはギリシア・ローマ時代とまったく変わっていません。アリストテレスの言葉は現代でも十分通用します。同じように、人の脳の機構もギリシア・ローマ時代から何も変わっていません。たとえば、人は何か思い出すときに1つのことしか思い出さず、複数のことをまとめて思い出すことができません。そういう脳を持っていることは宿命であり、変える必要もない。だからこそ、その感性の中において、新しい技術をどう受け入れ適応させていくか。その方策を探っていく必要があります。
加賀美:私は長い間、放送で古典を読んできましたが、昔から天然痘など人々は疫病に苦しめられてきたことが書かれています。たとえば聖武天皇が奈良の東大寺を建立し大仏をつくったのも疫病を鎮めるためでもありました。『日本書紀』『古事記』の時代から、『万葉集』『源氏物語』『枕草子』『徒然草』その他どの古典からも、病との闘いと苦しみ、その中でどう乗り越え生きてきたか記されています。人間はいつの時代も同じですね。
大島:古典の世界から見たときに、今のデジタル人間と古典に描かれている人間とは何が違っているのでしょうか。
加賀美:何も違っていないと思います。
大島:何も変わらないとすると、古典の世界では、人々は動乱の中で強く生き抜き、一方で今の若い世代は将来に絶望している。これはどうして起きるのでしょうか。
古典から見えてくる悲しみを乗り越える人々の力
加賀美:若い人にはもっと古典に触れてほしいと思います。書かれているのは、世の中と人々の暮らし、そして生き方です。研究者ではないのですから文法ではなく、人々が生きる様子の取材です。悲しみ、喜び、生活は大変でもあり、楽しくもあり、今と同じです。人間取材、生き方取材です。私は番組のほかに、古典の教室も持っているのですが、誰もが、「今と同じだ、変わらない」と読み合うたび、言い合います。
袖井:文科省の方針として、人文科学軽視がずっと続いていますね。技術革新が進み、とりわけIT時代に入ってから、「情報」が必修科目になりました。現代国語の中に小説を入れないとか、電化製品の取り扱い説明書を読めるようにするとか、どこか間違っている気がします。
大学でも一般教養が少し前になくなりました。ですから大学に入っても、人文科学、いわゆる歴史も哲学も文学も履修せずに卒業できます。私は古いシステムの中で勉強しましたから、社会科学専攻でしたが、シェイクスピアや聖書、源氏物語などを強制的に取らされました。単位数を合わせるためですが、今思うと勉強してよかったです。今の人文科学を軽視するこの傾向に危機感を持ちます。電化製品の取説よりも、それこそ古典などを読まないと、人間的感性を養えないのではないかと思います。
加賀美:昔、紙は一部の人のもの。ですから、もともと耳で聞きやすいように書かれているので、古典はむずかしくないのです。やさしいのです。源氏物語はラブロマンスの世界ですし、徒然草は鎌倉幕府が崩壊し南北朝の動乱が始まった頃のこと、思いは今に通じます。疫病についても、江戸時代後半から明治にかけて大流行したコレラでは、何十万人も亡くなっています。どの時代も疫病が人々を苦しめていたことが出てきます。その中でどう生き、悲しみを乗り越えてきたか、古典を読むと、世の中のこと、人々の思い、生き方のメッセージが聞こえてきます。
大島:今コロナを語るときは、科学と技術の面ばかりです。コロナをどう制圧したかだけではなく、コロナ禍で人がどう感じどう行動したかという面にも目を向けるべきでしょうね。
運を受けてどう乗り越えるのかはすべて自分次第
井口:2000年以前は日本では社会にいろいろな変動がありましたが、2000年過ぎからあまり動かなくなった印象はないでしょうか。1995年には長寿医療研究センター(当時)ができ、来るべき高齢社会への対応について議論が盛んになりました。ところが、2000年の介護保険制度が始まった頃から、そういう関心が薄れていった感じがします。
袖井:2000年以降、いろいろな感染症が出てきたり、リーマンショックがあったり、慌ただしくて人々の考え方がついていかれないという印象があります。景気は"上がるもの"から"下がるもの"へとイメージが変わりました。
井口:今の学生はちょうど2000年くらいの生まれです。
袖井:だから高度経済成長で暮らしが年々よくなって、社会全体が上り坂だったという話を学生にしても、「自分たちは一度もそういう経験がない」と言います。
大島:技術の進歩や景気のことなど、これはもう避けることはできません。その中でどう生きるか、心をどう養っていくかが今日のテーマです。私たちの世代はものすごい変化の中を生きてきました。災害もありました。私は伊勢湾台風を目の前で見ています。5,000人以上が犠牲になり、実際に校庭にご遺体が並べられているのを見ています。自然の猛威には太刀打ちできないし、災害に巻き込まれるかは運次第です。
もうひとつ話をしますと、私は終戦直後の1945年9月に満州に生まれて、引き揚げてきました。母親に当時のことを聞くと、何度も死にそうになったとは言うのですが、それ以上のことは話しません。想像しただけで大変だったことはわかりますし、聞いてはいけない雰囲気があり、それ以上のことは聞くことはありませんでした。その混乱の中で生を受けて今生きていることを考えると、これは運以外の何ものでもないと感じます。
加賀美:どの時代に生まれるかなど、どうにもできないことです。しかし、運を受けてどう乗り越えるのかはすべて自分次第です。徒然草の中で吉田兼好が「人に頼ったらだめだ」と書いています。あの時代は南北朝の動乱の時代で今よりもっと大変です。「こういう時代だからこそ、ゆとりを持って自分で考えるしかない」と書いています。
大島:徒然草で吉田兼好が「人生40年」と書きましたが、実際は70歳まで生きて、「それもいいものだ」と書いています。
加賀美:「いいものだ」というのは、自分流に生きているから言えることですね。
年齢で見る癖がついているが自分を老人だと思わない
大島:今の高齢社会へ話題を移したいと思います。井口先生、いかがでしょうか。
井口:日本ほど年齢を意識する国はないと思います。社会制度はすべて年齢によって区切られ、60歳で定年となり、65歳で前期高齢者、75歳で後期高齢者と、常に年齢を意識しながら社会に適応しています。それが老人差別、年齢差別(エイジズム)の助長につながっています。日本ではテレビや新聞で必ず年齢が出ますが、アメリカでは年齢は出ません。エイジズムを提唱したロバート・バトラーは、年齢による偏見や差別をなくして年齢を意識しない国をつくろうとしました。たとえばホテルに宿泊するとき年齢を書かない、就職活動でも年齢で評価しないように年齢をはずしている。ところが日本では何をするにしても常に年齢です。
袖井:日本では年齢に加えて性別ですよ。アメリカでは性別も書いてはいけませんから。
井口:「88歳ならこうだろう」「50~60歳ならそろそろ定年か」など、年齢で縛られたイメージで人を見る癖がついています。しかしその一方で、暦年齢よりも自分を若いと思っている人がほとんどです。そういうのを「年齢同一性障害」といいます。「性同一性障害」にひっかけた最近の造語です。今は自分を老人だと思わない人が多いです。
加賀美:よくわかります。ですが、日本では必ず年齢を書かせられるし、意識的には常に年齢が頭にあるのに、どうして歴年齢より若いと感じるのでしょうか。
井口:この年齢ならこんな感じというイメージがあって、それよりは若いと感じる。それはほとんど独りよがりの勘違いです。世間から見ると十分年を取っているのに、自分は年寄りだとはとうてい思わないのです。
袖井:それはいいことではないでしょうか。それが生きる力になりますから。
プログラミングを外れるのが老化だから個人差が激しい
加賀美:最近は本当にみなさん若いですから、80歳でもバリバリ、元気な人が多いですね。私も仲間入りですが、若くて元気のない人より、元気だと自負しています。
大島:私は田舎暮らしをしていますが、集落の6割以上が65歳以上です。30軒ほどの小さな集落ですが、80歳くらいまでは元気に農作業をしています。農業には定年がないので、できる年齢まで働いて、みな驚くほど元気です。
加賀美:何らかの形で活動を続けることがいいのでしょうか。祖父江逸郎前理事長は90代後半も会議では、大変お元気でしたね(2021年100歳で逝去)。祖父江先生のように100歳近くても聡明でお元気な方もいらっしゃるのに、人によって違うのはどうしてなのか、そこを知りたいです。祖父江先生からこう言われました。「体を鍛えなさいというけれど、頭も体ですよ」と。そういうことでしょうか。
井口:老化はプログラミングされていないので、個人差が激しいのが特徴です。私は長野の伊那の出身ですが、伊那には天竜川が南北に流れていて、川に沿ってJR飯田線が走っています。母校の伊那北高校は西の丘の上にあります。駅伝があると、東の丘へ走って戻るのですが、途中に飯田線が走っているので、踏切をこえなくてなりません。そうすると、せっかくトップを走っていたのに踏切で止まってしまい、後ろに追いつかれてしまう。そして、踏切が開くと優劣なしにまた走り出す。
たとえば女性ですと、閉経まではみな同じような経過をたどりますが、閉経を過ぎた頃から、踏切が開いて、勝手にしなさい、好きにしなさいというのが老化です。要するに、今までプログラミングされていたのが、プログラミングから外れる。だから老化は個人差が激しいのです。
以前は認知症もフレイルも病気ではなかった
大島:もうひとつ聞きたいのが、認知症やフレイルです。2000年くらいまでは認知症やフレイルは病気の扱いではなかったのが、急に病名がつきました。病気となった今、「予防法」や「発症を遅らせる方法」など言われるようになりましたが、これをどう考えたらいいでしょうか。
井口:社会で便宜上、病気としているだけで、普通に生活ができるのであれば、特別なことはせずに生活すればいいと思います。「これを病気と言って、これを病気と言わない」というように、病気は人為的に決めたものです。
加賀美:名前をつけてしまうことですか。
井口:たとえば、尿失禁という病気があります。尿失禁は閉経を過ぎた女性の半分以上がなるそうです。尿が漏れることを病気とすると、ほとんどの女性が閉経後は病気を持っていることになる。それでアメリカでは「社会生活に支障をきたすものを尿失禁と定義する」としています。
大島:病気の概念ですね。われわれが学んだ病気とは、健常な若者の状態を正常として、それから外れるものを異常とし、何らかの形で障害が強く残る、あるいは死に直結するものを対象にしていました。これは高齢者では通用しません。
井口:今は社会生活上、問題があるものを病気といいます。だから認知症で社会生活上に問題がない人を早く診断して早期治療というのは間違っていると思います。
袖井:認知症の人が、「早期診断、早期絶望」と言っています。診断されたことによって、囲い込まれて周りから排除されてしまう。あれは本当におかしいですよね。
加賀美:以前は、認知症は病気ではなかったというお話を伺い、なるほどと思いました。認知症800万人時代などと恐怖心をあおっているように感じます。
認知症だと脅して囲い込むのはよくない
加賀美:伺いたいのが、「もの忘れ」と「認知症」の違いです。年を取ればもの忘れは必ずあります。
井口:認知症の定義は、「いったん獲得した知能が落ちていくこと」。放っておけば回復しないし、回復するのは認知症と言いません。以前、学校の先生は認知症になりやすいという学説がありました。よく調べてみると、学校の先生はもともと知能が高いから、知能が落ちるとわかりやすいのです。
加賀美:もの忘れと認知症には境はあるのでしょうか。
井口:ある程度をこえた場合を認知症といいます。誰でももの忘れやうっかりがありますが、たとえばMMSEという認知症スクリーニング検査で27点以上の場合は正常、21点以下が認知症と、便宜上そうなっています。しかし、22~26点の軽度の人に「認知症になるかもしれない」と脅して囲い込むのはよくありません。
大島:認知症予備軍として軽度なうちに見つけて、治療をすれば認知症に進行しないとも言われていますが......。
井口:長谷川式認知症スケールの聖マリアンナ医科大学の長谷川和夫先生が認知症になりました(2021年逝去)。NHKが長谷川先生の症状がどう進んでいくのか克明に記録しています。その中で、患者さんには施設に行くように勧めていたけれど、実際に先生本人が行くようになったら、「二度とあんなところに行きたくない」と言っていました。認知症のレッテルを貼られて、非人間的な扱いなのです。
袖井:私もテレビで見ました。患者さんにはデイサービスを勧めていたけれど、実際にご自身が行ったら、輪投げなどをやらされて、ふてくされていました。やはり学歴や学識の高い人に対応した内容を考える必要があるでしょうね。
加賀美:学識の高い人はもともと知能が高いから認知症になると目立つということ。ではどうすればいいのでしょうか。
袖井:認知症でも普通に生活すればいいと思います。今デジタル技術でかなりカバーできます。若年性認知症当事者の丹野智文さんはタブレットを利用してご自身の行動予定を管理しているそうです。タブレットに予定を入力しておくと、その時間になると警告音で知らせてくれます。丹野さんも仕事を続けていらっしゃるし、デジタルでカバーできることが多いみたいです。すごい時代になりましたね。
井口:今は医学的に表情で認知症を判断できる時代です。
大島:昔は認知症のことを「童(わらし)がえり」と言っていました。大家族の中で、おばあちゃんが子どもにかえったと、ごく自然に生活していたといいます。
加賀美:童がえりだから、周りもおばあちゃんを大事にするでしょうし、いいですね。言葉は本当に大事ですね。
自分で悩み考えて歩んだ道のりが今の自分をつくっている
大島:最後に、われわれの世代が若い世代に何を伝えられるか、残したいことを改めて伺います。
袖井:成功体験よりも負の体験、失敗体験を伝えて、同じような失敗を繰り返さないように伝えたいと思います。
大島:袖井先生は若い世代と接する中で、交流や絆を深められた経験はありますか。
袖井:私は大学の老年学の授業で、「お年寄りの話を聞く」という課題を20年近く出しています。その結果、話をする高齢者も喜ぶし、学生もそんな話は初めて聞いたと感激しています。学生の両親は戦争を経験していないし、親から戦争の話を聞いていない。しかし、おじいさん、曾おじいさんと世代をこえると戦争体験を話すらしいです。話した高齢者が大変に喜んで私に手紙をくださる方もいます。
大島:加賀美さんはどうですか。
加賀美:やはり年代の実体験は必ず伝えたいと思います。混乱の時代をどう乗り越えてきたか、人任せにせずどう生きるかというメッセージを伝えていくのが、私たちの世代の役割だと思います。そして、伝えるだけでなく自分たちもしっかり生きなければ意味がないです。頑張って生きてきたからこそ、私たちの生き方は若い世代へのメッセージとなると思います。
井口:最近、分子生物学分野が進歩してきて、若い人が高齢者になる時代には老化に対するイメージがだいぶ変わってくると思います。今は100歳以上の人はそう多くないですが、50~60年後には当たり前となって120歳まで生きる人も出てくるでしょう。そのときにわれわれの今の考え方は通用しないと思います。若い世代が彼らなりにその時代をどう乗り切るか、今から蓄えておく必要があります。そのためには今回のコロナがいいきっかけになるし、「生きるとは何か」ということを考えてほしい。
大島:時代が変わっても変えてはいけないものもあるというのが、今日の話の底流にありました。その底流にあるものを具体的に言うと何でしょうか。
井口:哲学や文学、人としての優しさ。それを伝えるのはとてもむずかしいことです。私たちの青春時代は生きることが苦しく、苦しいがために必死で文学を読みました。
加賀美:今もある意味、苦しく厳しい時代です。コロナ時代をどう生きるかで、この先が問われてくると思います。
袖井:哲学に触れることで、悩んだり深く考えたりできますよね。今はすぐに解答を求めがちですが、デジタルですぐに答えを導き出す流れを変えていく必要があると思います。
大島:これがよいのだという結論は出せませんが、70歳になってみないとわからないことがある一方、90歳、100歳のことはわかりません。しかし、先人の知恵や先輩たちの考え方や行動を見て学び悩み考えて歩んできたという道のりが、今の自分をつくっていることは間違いありません。
井口:「人間は考える葦」であるから。
大島:人間は「考える」という働きがあるから偉大です。だからこそ若い世代にはしっかり考えてほしいと思います。本日は貴重なお話をありがとうございました。
(2022年1月発行エイジングアンドヘルスNo.100より転載)
出席者
- 大島 伸一(おおしま しんいち)
- 公益財団法人長寿科学振興財団理事長、国立長寿医療研究センター名誉総長
1945年生まれ。1970年名古屋大学医学部卒業、社会保険中京病院泌尿器科、1992年同病院副院長、1997年名古屋大学医学部泌尿器科学講座教授、2002年同附属病院病院長、2004年国立長寿医療センター初代総長、2010年独立行政法人国立長寿医療研究センター理事長・総長、2014年同センター名誉総長。2020年7月より長寿科学振興財団理事長。主な著書に『老後を生き抜く方法』(宝島社)、『長寿の国を診る』(風媒社)など
- 井口 昭久(いぐち あきひさ)
- 財団理事、愛知淑徳大学健康医療科学部教授
1943年生まれ。1970年名古屋大学医学部卒業後、名古屋大学医学部第三内科入局、1978年ニューヨーク医科大学留学。1993年名古屋大学医学部老年科教授。名古屋大学医学部附属病院長を経て、2007年より愛知淑徳大学健康医療科学部教授、名古屋大学名誉教授。第32回日本老年学会会長。主な著書に『これからの老年学』(名古屋大学出版会)、『〈老い〉という贈り物』(風媒社)など。健康長寿ネットでエッセイ「老いをみるまなざし」を連載中。
- 加賀美 幸子(かがみ さちこ)
- 財団理事、千葉市男女共同参画センター名誉館長
1940年生まれ。1963年NHK入局、アナウンサーとして「夜7時のテレビニュース」「日曜美術館」「NHKアーカイブス」、短歌・俳句の番組、ドキュメンタリーなど報道から古典まで、さまざまなジャンルの番組を担当。1997年には理事待遇エグゼクティブアナウンサーに就任。2000年の定年退職後も「古典講読」「漢詩をよむ」その他NHKを中心に活動する。現在、千葉市男女共同参画センター名誉館長、NPO日本朗読文化協会名誉会長なども務める。主な著書に『こころを動かす言葉』(海竜社のち幻冬舎文庫)、『ことばの心・言葉の力』(小学館文庫)など
- 袖井 孝子(そでい たかこ)
- 財団評議員、お茶の水女子大学名誉教授、東京家政学院大学客員教授
1938年生まれ。1970年東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程修了、淑徳短期大学専任講師、東京都老人総合研究所を経て、1975年よりお茶の水女子大学家政学部助教授、1990年同学部教授、1992年同大学生活科学部教授を務め、同大名誉教授。東京家政学院大学客員教授。一般社団法人コミュニティネットワーク協会会長、一般社団法人シニア社会学会会長、NPO法人高齢社会をよくする女性の会副理事長を務める。主な著書に『高齢者は社会的弱者なのか』(ミネルヴァ書房)、『女の活路 男の末路』(中央法規出版)など
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