自立と共生を求めて
公開日:2019年11月29日 09時00分
更新日:2019年12月 4日 15時51分
栁澤 信夫(やなぎさわ のぶお)
一般財団法人全日本労働福祉協会 会長
「人生100年時代」は、私にとって非現実的な言葉ではありません。今年の"亥年"で私は7回目の年男になりました。84歳です。幸いに"有病息災"という状態で、日常生活・社会生活に制限はなく、医師という立場で健康に留意しながら"自立した生活"を楽しんでいます。
「人生100年時代」は、リンダ・グラットンとアンドリュー・スコットという2人の英国経済学者が表わした「LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略」(The 100-Year Life)(2016年)という著書からとられた言葉で、この本は日本の長寿をもとに、これからの生き方を種々な観点から論じた好著です。「健康長寿ネット」にこの題でエッセイを書くように依頼され、「自立と共生」というテーマで自分の人生を振り返ってみました。
医師になろうと決めたのは高校の半ば頃で、自分の意志で仕事が決められる(自立)というのが主な理由でした。幸い浪人もせずに医学部を卒業し、学生時代に興味をもった脳の病気を対象とする「神経内科」を専門に診療や研究に従事しました。幸い上司の教授達からは、自分の好きな仕事を伸ばす教育をしていただき、自分自身も国立大学医学部の内科教室で助教授・教授を25年間勤め、弟子の諸君に教育をし、共同研究をするという「自立と共生」の期間を過ごしました。この期間(1973-97年)が私の職業人生の中心として振り返ることが出来、今でも同窓会と忘年会には必ず出席し旧交を温めています。
但しこの間にも難しい決断を迫られた事件がいくつかありました。一つは1989年6月、北京で国際学会を開催するにあたり、国際学会の代表をしていた立場で、天安門の状況を配慮して会議の開催か中止かの決断を迫られ、北京の学者達の強い要望を受け入れて開催を決めて、6月3日(天安門事件の前日)に日本、欧州、アジアの代表が北京に集まりました。なお米国の学者は参加を拒否しました。6月4日早朝、天安門での軍の介入と衝突が発生し、学会の会長(女性の教授)の息女が一時天安門広場で行方不明になるという緊迫した状況で学会を開催しました。しかし1日半で学会を中止して、バスをチャーターして他国の代表達と一緒に空港へたどりつき、羽田からの救援機で一人の支障もなく脱出したことがありました。
また1994年松本、95年東京の2回にわたるオウム真理教信者によるサリン中毒事件では、信州大学の付属病院長かつ神経毒の専門家として、医療対策の実施や情報提供の責任者としての仕事をしました。
これらの事件では、いずれもその場で当然行わなければいけないと判断したことを実施したまでで、先の予測などは何もしませんでした。しかしやるべき事だという判断には迷いはなかったと記憶しています。
表は、長年勤めた信州大学を定年前に去る事情が出来、学生や医学部教員を対象とした「最終講義」において、研究において大切なこととして挙げた項目です。
医学研究においても、競争はあっても研究の自立と競争相手には建設的な態度で接する共生が大切です。この表はやや専門的かも知れませんが、とくに"上品な研究"については弟子達から今でもしばしば引用されます。この表に示した内容は、20年以上経った今も、人を生かすという点で適切と考えます。
医師や大学教員にとっては、研究業績や適性を見込まれて他の大学や病院に異動することは通常の行為です。私も足かけ25年の間、記憶するだけで5回、そのような声がけを経験しました。そのほとんどは私の昇進にかかわるものであり、その時点での教室員との深いかかわりから、深刻に考慮することもなく断わりました。振り返ってみますと、そのような行為は仕事の上で保守的だったのかなと考えます。
しかし最後に、大学定年まで4年を残して高齢社会の長寿医療・科学に関する国立研究センター設立の仕事に誘われた時は、断わることができませんでした。その結果、自分の仕事の領域としては、老年学、ヨーロッパの老人介護の実情など新しい分野が拡がりました。さらに行政改革により、国立長寿医療研究センターの設立前に院長を辞任し、その後は勤労者医療、大学の医療職養成学部設立、勤労者の健康診断や有害作業環境測定などを行う労働衛生機関など、異なる組織の仕事にかかわり現在に至りました。
現在一般財団法人の会長職を、非常勤ながら本務として勤めています。部下の皆さんには、自立した活動の心がけと、各種健康診断における職種間の共生をうながし、経済産業省が顕彰する健康経営優良法人のホワイト500の認定を受け、さらに職員一同が一層健康になれるように努力を重ねています。
一生の仕事と決めた信州大学から、かなりの決心で長寿医療研究センター作りに移り、そこを予想より早く定年退職せざるを得ない状況になってからは、自分が真に求められるものは何かを考えながら仕事を選んできました。これはリンダ・グラットン等の人生100年時代における「変身資産」(100年ライフを生きるためには、大きな変化を経験し、多くの変身を遂げるための資産)、そのものによると考えます。
たしかに、教育・仕事・引退の3ステージ・ワンパターンの時代ではないでしょう。これからの超高齢社会では、わが国の完璧な医療保険制度はあくまでも積極的に生きる人々をサポートするものであり、受け身の高齢者を養うものではないでしょう。リンダ・グラットン等による「オンディーヌの呪い」の逸話に表わされている高齢者の立場を自覚する必要があると思います。私自身仕事以外にも、生活の幅を拡げるために縁があって入会したロータリークラブでは、異業種の高齢者とのお付き合いも増え、マルチステージで人生を楽しんでいるのが現状です。
著者
- 栁澤 信夫(やなぎさわ のぶお)
- 1935年 東京生れ 1960年 東京大学医学部卒 1969年 米国ハーバード大学医学部 研究員 1980年 信州大学医学部内科学教授 1993年 信州大学医学部附属病院長 1996年 信州大学医学部長 1997年 国立療養所中部病院・長寿医療研究センター院長 2001年 労働福祉事業団 関東労災病院長 2008年 東京工科大学教授・(2010年)同医療保健学部長 同年 一般財団法人全日本労働福祉協会会長(非常勤)
- 専門分野
- 神経内科(運動障害、脳の発達と老化、認知症)