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オンコジンとO(オウ)リング

公開日:2019年11月29日 09時00分
更新日:2019年12月 4日 15時49分

下田 智久(しもだ ともひさ)
公益財団法人日本健康・栄養食品協会 理事長


 今、DNAを知らない人は居ないだろう。医学生だった50年以上前は、染色体の遺伝情報が、4種類の塩基から成るDNAに蓄えられて居る事、DNAは二重らせん構造である事をアメリカのワトソンらが発見したばかりの頃だった。その後の遺伝子工学の進歩は目覚ましい。70年代には、遺伝子を自由に切断、別の部位に接合し、新しい機能を附与する「遺伝子組み換え技術」が確立された。大腸菌にヒト遺伝子を組み込むバイオテクノロジーは、成長ホルモンやインシュリンの製造方法を一変させた。

 当時成長ホルモンはヒトの脳下垂体をすり潰して製造していたが、献体に頼っていた為、小人症に悩む患者に十分量のホルモンが確保できず、完治できないケースが多かった。人の脳下垂体から成長ホルモンを製造する遺伝子を取り出し、大腸菌の遺伝子に組み込む。組み込まれた大腸菌は大量のヒト成長ホルモンを生成するようになり、小人症に悩む患者は激減した。糖尿病治療に不可欠のインシュリンは、豚の膵臓から抽出して製造していた。長く使うと異種動物に対するアレルギーが生じて、使用出来なくなる問題があった。ヒトの膵臓から取り出した遺伝子を大腸菌に組み込んでインシュリンを製造、この問題も解決した。遺伝子組み換え技術は、製薬技術に革命をもたらしたと言えよう。

 ヒト遺伝子の全塩基配列を解読したのは、2004年で約23,000と分かった。4種の塩基が構成する遺伝子は、顔貌、身長、目の色などの身体的形質は勿論、性格、知能、運動能力等を子孫に伝えている。同時に、ハンチントン病などの遺伝病、がん、癲癇(てんかん)、認知症等の原因遺伝子も見つかり、発病メカニズムの解明にも役立っている。がんは、放射線や魚の焼け焦げなどが原因ではないかと言われていたが、がん遺伝子(オンコジン)の発見は世界を驚かせた。がん遺伝子は今まで沢山見つかっているが、がんが遺伝子だけの作用で発生するわけではない。タバコやウィルス、化学物質、放射線などの環境因子と密接に絡み合って発病する。

 「胃がんですね」内視鏡検査が終了し、ファイバーを引き抜きながらの医者の一言。麻酔薬の影響もあったがショックで何も言えない。とうとう来たか。父は60歳、母は65歳で胃がんの手術を受けた。また田舎の開業医だった祖父は、40歳代に胃がんで死亡しているし、母方の祖母も若くして胃がんで死んでいる。ナポレオン顔負けの胃がん家系である。ここから私の胃がんとの戦いが始まるのだが、その間面白い体験をした。それがOリングである。

 Oリングは、ニューヨーク心臓研究所の所長であった大村先生が創始した診断法で、アメリカで特許を取得されている。検査法は簡単で、二人の検査者が器具を使うことなく検査し、診断を下すもの。一人の検査者が親指と人差し指でアルファベットのOを作る。リングを作った反対の手指で被験者(患者)の診断する部位を押さえる。別の検査者にこのリングを引っ張ってもらう。お試しいただければ判るが、このリングはいくら頑張っても開くものではないほど強い。ところが、がんなどの異常部位を押さえると簡単に開くというもの。理論の詳細は理解できないが、生体自らをセンサーとして、指の筋力の変化によって検知する検査法だという。

 この検査法でがんが発見されたという報告は多くある。国会議員に信奉者がいて、労働者の健康診断にOリングが使えないかと紹介された。手技が簡単、レントゲンのような大型の機械も要らず、費用も殆どかからず、がん等の検査が出来ると言うのだ。信頼できる検査法か半信半疑だったので、Oリングの専門家のお話を伺うことにした。いろいろ説明を伺った後、「論より証拠、実際にやってみましょう、だれか被験者を」と言われ、私を含め5人が志願した。

 その結果私だけが異常ありとなり、詳細なOリング検査を受けた。マジックペンで体幹を細かく分割し、前記の手法で何回も検査された。異常部位に病理スライドを使えば、病理診断も可能との事だった。

 最終診断は、「右上肺野の扁平上皮癌」。5人の中で私だけが、肺がんと診断されたのだから大ショックである。「胃のほうは大丈夫ですか」と聞いてみた。実は、人間ドックで要精検となり、数日後国立がんセンターで胃カメラを受ける事になっていた。答えは、「胃は心配ない。肺の精検を急ぐべし」であった。結論を言うと、肺がんは無く、胃がんが有り、手術を受け10年経った。

 では、Oリングは信頼出来ないのか。5人の被験者のうち、残りの4人にはこの10年の間、何らかのがんに罹患した話は聞かない。5人のうち私だけが何らかの異常な生理状態であったことは間違いないだろう。部位を間違えたとはいえ、異常な生理状態を知らせてくれたOリング検査法をどう評価すべきか。EBM(Evidence Based Medicine)が強く求められている昨今、科学的なデータ処理がなされておらず、残念ながら健康診断に採用することは難しい。

著者

著者:下田智久先生
下田 智久(しもだ ともひさ)
1944年 埼玉県生まれ、1969年 熊本大学医学部卒、1969年 厚生労働省入省、1975年 埼玉県本庄保健所長、1977年 厚生省公衆衛生局栄養課長補佐、1988年 茨城県衛生部長、1990年 労働省労働衛生課長、1992年 厚生省老人保健課長、1994年 厚生省保険局医療課長、1996年 厚生省官房厚生科学課長、1998年 労働省安全衛生部長、2001年 厚生労働省科学技術総括審議官、同年 厚生労働省健康局長、2002年 社会福祉医療事業団 理事、2004年 予防接種リサーチセンター 理事長・(財)ヒューマンサイエンス振興財団 理事長、2010年 (公財)日本健康・栄養食品協会 理事長 現在に至る。

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