何時でもYESと前向きに
公開日:2019年8月30日 09時08分
更新日:2019年8月30日 09時08分
林 泰史(はやし やすふみ)
原宿リハビリテーション病院 名誉院長
人生100年時代の足音が聞こえて参りましたが、私が整形外科医になって5年目の昭和45年には日本の高齢者人口の割合が7%を超えて高齢化社会が到来していたことについて、多くの医師は身近な課題として考えていませんでした。当時の整形外科医は先天性股関節脱臼の治療など小児整形外科や手指損傷の手術など外傷医療に関心を寄せ、高齢者医療は「治りにくい」、「患者が治っても社会に貢献しない」などの理由で関心が薄く、大腿骨頸部骨折に対しては手術療法が未確立なこともあって「マッハトロス(無力である)」と項垂(うなだ)れるばかりでした。しかし、喫煙率からの肺がんの発生率や血圧値からの脳卒中の発生率を予測するよりも国民の年齢が5年後、10年後には1日の誤差もなく5歳、10歳高くなることによる人口の高齢化率の予測は確実であり、ミニマムに推計しても25年後、50年後には高齢社会、超高齢社会になることは分かっていました。
その頃、大学構内で敬愛する先輩内科医師が「高齢社会の到来に備えて東京都知事が建設している高齢者専門病院で共に働かないか」と誘って下さったのに対して「YES」と前向きに返事をして今日に至っています。「何時でもYESと前向きに」を信条とはしていたわけではありませんでしたが、思い返しますと高齢者整形外科の選択だけでなく、歯学部の受験に失敗して医学部に進んだ際や、憧れていた外科学を諦めて信頼していた先輩の勧めで整形外科学を選んだ際、整形外科からリハビリテーション科に転科した際、臨床医から東京都の行政医に移った際、公務員畑から一般社団法人の原宿リハビリテーション病院へ勤務した際、これら全てにおいてYESと前向きに返事してきました。その結果、医師になる、整形外科医になる、高齢者専門の整形外科医になる、の3つの選択で現在の日本社会が求めるニーズに的確に応えられていると考えています。リハビリテーション医・行政医になる、といった2つの選択で医師としての視野・守備範囲が拡大し、原宿リハビリテーション病院(写真)への勤務で公立病院とは違った民間活力や柔軟性を経験することが出来ました。
他人からの依頼やお誘いについてYESかNOかの選択場面で何時でも、YESと返事をして来た選択肢が自分の人生に与えた影響を単純には評価出来ませんが、自分自身の判断では発想・決断・実行できない弱い性格を凌駕(りょうが)してマルチ分野に関われた事は間違いがありません。医学の1分野で頂点を極められなかった点が「人生100年時代の私の生き方―何時でもYESと返事して前向きに」歩んだことのデメリットでしたが、多くの高齢整形外科患者を診療する際にリハビリテーション医学や行政知識の味付けで指導・治療が出来た点はメリットでした。オレオレ詐欺が流行っていますが、何時でもYESと返事して騙されて落とし穴に嵌(はま)る事が無かったのは幸いでしたが、多くの場合、YESとの返事を返した時から困難や心の葛藤が生じたのは事実です。NOの返事を返した場合は今まで通りに安定して過ごし続けられるでしょうが、YESの返事後の課題解決に努力する過程で医学・医療に対する知識が広がり深まりました。
今までの人生60年時代では1分野について努力を重ねて、その分野で成功を納めると周囲からの敬意が集まり祝福されたまま天寿を全うすることが出来ました。しかし、人生100年時代には自分の志向を貫いて成功を納めても、1分野での敬意の有効期限は定年とされる60歳前後までの約40年間です。その後60歳から100歳までの後期人生40年間も周囲から忘れ去られずに充実して過ごせれば、生涯にわたって住み慣れたところで自分らしい暮らしを続けられることに繋がります。人生60年時代のように定年退職までがサクセスフルな長寿ではなく、余生の40年間も充実した成功人生を歩むには健康的な長寿に加えて、柔軟性のあるマルチ能力を発揮して社会貢献する必要があります。自分自身の努力で多少は勝ち取れる健康に加えて、多くの凡人にとって自分自身での選択が難しいマルチ能力の獲得は、他人の助言に対して「何時でもYESと返事をして前向きに」対応し、その後の困難や心の葛藤に真摯に向かい合い努力して解決することが「人生100年時代の生き方」であると考えます。
著者
- 林 泰史(はやし やすふみ)
- 1939年生まれ。1964年京都府立医科大学卒業、1965年東京大学整形外科学教室入局、1972年(現)東京都健康長寿医療センター入職、1996年東京都衛生局技監、2002年(現)東京都健康長寿医療センター院長 東京都老人総合研究所所長(兼務)、2006年東京都リハビリテーション病院院長、2015年原宿リハビリテーション病院名誉院長、日本リハビリテーション学会功労会員