生活者目線で幅広に活躍(木場 弘子)
公開日:2024年7月19日 09時00分
更新日:2024年8月21日 10時33分
こちらの記事は下記より転載しました。
シリーズ第10回長生きを喜べる社会、生きがいある人生をめざして
人生100年時代を迎え、一人ひとりが生きがいを持って暮らし、長生きを喜べる社会の実現に向けて、どのようなことが重要であるかを考える、「長生きを喜べる社会、生きがいある人生をめざして」と題した、各界のキーパーソンと大島伸一・公益財団法人長寿科学振興財団理事長の対談の第10回は、フリーキャスターで千葉大学客員教授の木場弘子氏をお招きしました。
仕事は断らずやってみるがモットー
木場:大島先生とお会いするのは5年ぶりですね。私が2017年から厚生労働省の医道審議会のメンバーになって、その時、大島先生が審議会の会長でした。大体2期で終わりと聞いていたのですが、もう4期7年目に入りました。医道審議会のメンバーには医療や法律の専門家が多く、私のような一般の者はあまりいません。
大島:いえ、一般の方に必ずメンバーに入ってもらうんです。
木場:一般人代表ですね。大島先生には、「専門家は専門家の見方にどっぷり浸かっているところがある。だから一般の目で見て議題をどう捉えるか、新鮮な目で見ていただきたい」と言葉をかけていただきました。たくさんフォローしていただき、感謝いたしております。
大島:医道審議会は、事件や医療過誤を起こした医師等に対する裁判所のようなものです。審議会メンバーには医療者の他に、木場さんのように良識を備えた一般の方の意見が必要です。
木場さんはフリーキャスターとして活躍する一方で、医道審議会をはじめ、国や自治体の審議会に多数参加されていますね。簡単に自己紹介をお願いできますか。
木場:私は1987年にTBSテレビにアナウンサーとして入社しました。TBS初の女性スポーツキャスターです。それまでスポーツキャスターといえば男性でしたが、1986年の男女雇用機会均等法を機に、女性スポーツキャスターを誕生させようという流れになったのだと思います。
大島:女性スポーツキャスターはTBSだけじゃなく、全放送局で初めてですか。
木場:おそらく民放では初めてだと思われます。経歴の中で「初めて」というのが多くて、例えば、千葉大学で客員教授をしていますが、2001年に講師になった時、民放の女性アナウンサーで国立大の講師は初めてと言われました。プライベートでは、プロ野球選手(中日ドラゴンズ前監督・与田剛氏)とアナウンサーの結婚もほぼ初めてです。TBS退職後はフリーキャスターになり、「仕事はお断りしない」をモットーに、とにかく一度やってみようと引き受けていたら、気付けば12の省庁の審議会メンバーを務めていました。現在は7つの省庁の審議会に在籍しています。
大島:全部で20ほどある省庁のうちの12省庁ですから、本当に驚きました。
木場:もう1つの特徴としては、「ヘルメットキャスター」と呼ばれていまして、インフラ施設などへ70か所以上も取材に行っているんです。100か所取材に行くという目標を立てています。
大島:これだけ多くの省庁から声が掛かり、断らず引き受けて、そして続けておられる。私は厚生労働省を中心に役人と付き合いがありますが、声を掛ける側は人をよく見ていると思います。
嘘をつかず正直に、生活者の声を届ける
木場:私には皆さんのように専門知識はありませんが、ただ一番のモットーは「嘘をつかず正直に」です。例えば、以前に国土交通省と経済産業省が声を掛けてくださったのが、自動車の燃費基準を考える委員会。いつも先に申し上げるのは、「女性だからメンバーに入れるという考えはやめてほしい。お役に立てるかどうかが大事」ということです。それから「私は車の免許を持っていませんが、大丈夫でしょうか」と、大切なことですから最初に伝えました。その上で、「木場さんは燃費についてどのような考えをお持ちですか」と聞かれたので、「私も夫の車に乗りますけど、新車販売の時の燃費表示は現実味がない。荷物は載せない、家族も乗せない、エアコンも使わないという最高の状態での数値。あのような生活感のない数値は参考になりません」と話したところ、「そういう意見をどんどん言ってほしいんです」とおっしゃるので、委員会に入って色々発言させていただきました。
大島:確かに現実味のない数値ですね。
木場:今の燃費表示を見ると、市街地モード、郊外モード、高速道路モードの3つの走行モードの数字が表記されるようになりました。私が意見した通りではないけれど、最高の条件での燃費表示はおかしいという意識が内部で出てきて、シチュエーションごとの燃費を記載する流れになったのであれば、多少なりともお役に立ててよかったと思っています。
大島:生活者の目線で臆せず意見を言えるのは素晴らしいです。専門家には気付きにくい点ともいえるし、プライドがあって市民目線で話すことをあえて避けているのかもしれません。
木場:どんな方もみな、市民であるはずなのですが。最初に正直に言わないと、実際に仕事に入ってから「やっぱりできません」ではご迷惑をおかけするので、一番にできないことから言うことにしています。だからといって単に「できません」ではなく、「努力するので教えてください、勉強させてください」という姿勢です。
できないことはきちんと伝え、できることに注力する
木場:今年3月にオーストラリアのパースで講演をしました。私はINPEXというエネルギー開発企業の社外役員をしていて、パースには1,000人以上も社員のいる大きな事業所があります。3月8日の国際女性デーに女性活躍について講演をしてほしいと依頼を受けました。その際、一番に伝えたのは、「全て英語で話すのは難しい」ということです。事務局からは、英語のスピーチを用意して、当日は読み上げる形を提案されました。しかし、スピーチ後の質疑応答にも対応したいし、一番の目的は、100%確実に私のメッセージを伝えることです。しかし、ネイティブではないため、確実に短時間で伝えるためには通訳を置くべきだと言いました。英文を読み上げるだけだと、ライブ感がありませんから。結局は通訳を入れて90分の講演を楽しく、皆さんと和気藹々と行うことができました。でも、懇親会の場では、直接、英語で話したかったので、自分なりに英語の勉強もしました。一昨年から始めたオンライン英会話は今も続けていますし、友人の息子さんに英語の先生をお願いして、渡豪前の3か月間、英会話に付き合ってもらいました。
大島:できないことははっきりと伝えて、できることに注力するということですね。
木場:そこに曖昧さを持たせず、「ここまでなら努力してできるかもしれない」と自分の現在地を伝えないと、相手は判断できませんよね。
選ばれる存在になるために日々研鑽を
大島:その上で、依頼側が求めてくるものにどこまで応えられるかが重要だと思います。木場さんはフリーランスとして仕事をされていて、日々意識していることはありますか。
木場:フリーランスは厳しい世界です。求められる以上のものを出さないと次はありません。各分野のプロ集団は、それぞれ400人ほどいると言います。その中のたった1人として選ばれるために、日々勉強し、経験を積んでいくことです。ニッチな部分でいうと、私の場合は「ヘルメットキャスター」です。現場をたくさん取材しているので、企業の安全大会では安全・安心に関する講演をご依頼いただきます。千葉大学の教員養成課程で講義をしておりましたし、浦安市の教育委員を8年、文科省の中央教育審議会などの経験もあるので、教育に関する講演もいたします。エネルギー関連の仕事も長いですね。選ばれるために、どのように自分に付加価値を付けていくか。それがフリーになって意識していることです。自分を大きく見せるのではなく、正直でありながら、こんな面白いことをやっていますというスタンスです。
大島:「興味を持って面白いからやってみよう」と思うことと、「ちょっときついけれど興味があるから挑戦しよう」と思うことと2種類あると思いますが、どちらが多いでしょうか。
木場:後者だと思います。自ら進んで選択したというよりは、やってみないかと依頼を受けたら断らず、知らない世界を見せていただく。いただいた仕事の中で、「これに向いているかも、面白い」と気付くことが多いです。
大島:それで、これほど多方面で活躍されてきたわけですね。
木場:以前に名古屋に行った時、仕事仲間から「今週の仕事はどんな感じ?」と聞かれたので、「昨日は千葉大で講義、今日は名古屋で化粧品会社のモデルさんとファッショントークショー。これから京都に移動して噺家さんと前立腺の医療シンポジウムで、次はエネルギー最前線の仕事で青森に行って、次は国土交通省で......」と話したら、「あなた、前立腺からファッションまで幅広いね。木場弘子、改め、幅広子(はばひろこ)にしたらどう?」と言われました。
大島:これは一本取られましたね。
木場:それで、私のブログは「
医師にはコミュニケーション力が必要
大島:医道審議会の他ですと、医療関係の審議会には参加されていますか。
木場:文部科学省の医学部定員のあり方の検討会や東北地方に医学部をつくる審査会に参加しました。その時、医学部のカリキュラムの中で要望したのは、コミュニケーション力を付けることです。医学生と医師にはぜひヒヤリング術とインタビュー術を身に付けてもらい、伝える時には専門用語でなく、患者さんにわかりやすい言葉で伝えてほしいです。たまにコンピューターの画面ばかり見て、患者さんの顔を一切見ない医師がいますよね。
大島:木場さんの専門の1つはコミュニケーションでしたね。
木場:はい。医師にコミュニケーション力が重要だということはいつも申し上げています。患者さんの顔を見て症状を聞き出す。さらに、高齢者や幼いお子さんへのヒヤリング術も必要です。病気だけでなく、人に、その人の生活に興味がある、人間味あふれる医師が増えてほしいです。
記録よりも記憶に残る野球選手
大島:ここからご主人の与田剛さんに話題を移したいです。
木場:大島先生は中日ドラゴンズファンでいらっしゃいますよね。
大島:与田さんは1990年ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団した、剛速球の投手でした。
木場:ありがとうございます。当時157キロは日本最速記録でした。
大島:与田さんのデビューはすごかった。その代わり、あっという間に肩を壊してしまいました。
木場:私はその後の結婚なので、一緒に辛い時期も過ごしてきました。今は、ストッパー(抑え投手)は1イニング限定が多いですが、与田の場合は3イニングを超えることもありました。
大島:しかも連投でしたね。
木場:星野仙一監督から「お前しかいない」と言われると、3イニングも投げてしまうわけです。意気に感じて投げてしまう性分ですし、今ほど管理野球ではなかったですしね。
大島:存在感のあるすごい投手が入って、我々中日ファンにとって感動的でした。
木場:皆さんに鮮烈なデビューを覚えてもらって、こうやって157キロの剛速球と、「記録より記憶に残る選手」と言ってもらえることは彼にとって幸せだと思います。
大島:与田さんは新人王もセーブ王も取りましたね。
木場:光の時代もあれば影の時代もあります。プロ野球の歴史の中で、ドラフト1位の選手や新人王がテスト入団を受けたのは与田が初めてです。プライドがないのかと叩かれましたね。与田は「自分が叩かれることによって、後輩がテストを受けやすくなるならいいじゃないか」と言って、その2、3年後にトライアウトが制度化しました。与田も私も似たところがあって、やらずに諦めるより、やって駄目なら諦めようと。中日で無理をさせられて怪我をしたと心配してくださる方もいますが、私たちからすれば、星野さんのおかげで皆さんの記憶に残ることができたと感謝しています。その後、長きにわたってNHK解説者をさせていただいたり、WBCのピッチングコーチを2度もさせてもらったり、中日の監督になれたのも野球人生のスタートで多くのチャンスをもらえたお陰です。
大島:星野さんの面倒見のよさは定評があったといいますね。
木場:そう思います。引退後も星野さんは色々と気に掛けてくださって、楽天イーグルスのシニアアドバイザーだった時に楽天のピッチングコーチに推薦してくださり、現場経験を積むことができました。与田は楽天で3年間コーチを経験した後、中日の監督をさせていただきました。ただ残念なことに、楽天3年目の時に星野さんはお亡くなりになって、監督になった姿を見てもらっていないんです。彼にとってはそれが心残りだったことでしょう。
大島:外の人間は、与田さんの華々しい活躍や、木場さんにしてもキャスターとして輝いている姿を見ていて、裏にある苦労話はほとんど知らないと思います。
木場:それまでNHK解説者はエリートしかいませんでしたが、そこに与田が入った意義は幅の広さだと思っています。いい経験も、逆境も、故障も知っています。私も幅広子と呼んでいただきましたが、与田も肩幅同様、幅広な経験をさせていただけました。与田も私もフリーランスですから、人から選ばれるために常に努力が必要だとお互いに話しています。「人生は運と縁とタイミング」と言いますが、年齢を重ねて思い返すと、あの時にあの人に出会っていなければ、あのタイミングであのプロジェクトを任されていなかったらとか、人生はそういうことの積み重ねですね。そんな素敵な出会いやコミュニケーションの大切さについてまとめた本を6月に出版いたしました(『次につながる対話力~「伝える」のプロがフリーランスで30年間やってきたこと~』SDP出版,2024年)。よろしかったらお読みいただければと思います。
大島:今回、木場さんのお話を伺って、いわゆる普通のエリートとひと味もふた味も違う、生活者の視点を持った、バランス感覚のある方だと感じました。これからも国の会議などで市民の目線から大いに意見をいただきたいです。本当に楽しいお話をありがとうございました。
対談者
- 木場 弘子(きば ひろこ)
- フリーキャスター、千葉大学客員教授
千葉大学教育学部を卒業後、1987年TBSテレビにアナウンサーとして入社。同局初の女性スポーツキャスターに。1992年プロ野球選手・与田剛氏(中日ドラゴンズ前監督)との結婚を機にフリーランスに。テレビ出演、コメンテーター、モデレーター、講演など多方面で活躍。教育や環境・エネルギーに関わる活動が多い。これまで参加した国の会議は12省庁に及ぶ。千葉大学客員教授。JR東海社外取締役。(株)INPEX社外監査役。 、 。近著に『次につながる対話力~「伝える」のプロがフリーランスで30年間やってきたこと~』(SDP出版)。
- 大島 伸一(おおしま しんいち)
- 公益財団法人長寿科学振興財団理事長
1945年生まれ。1970年名古屋大学医学部卒業、社会保険中京病院泌尿器科、1992年同病院副院長、1997年名古屋大学医学部泌尿器科学講座教授、2002年同附属病院病院長、2004年国立長寿医療センター初代総長、2010年独立行政法人国立長寿医療研究センター理事長・総長、2014年同センター名誉総長。2020年より長寿科学振興財団理事長。2023年瑞宝重光章受章。
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