第4回 「社会的活動寿命」を大切に
公開日:2020年2月14日 09時00分
更新日:2024年8月13日 13時21分
こちらの記事は下記より転載しました。
沖藤 典子(おきふじ のりこ)
ノンフィクション作家
がんを告知されても!
友人のK氏は77歳。長いこと放送関係の仕事をし、大学教授を経て現在はジャーナリスト。現役を張っている。2年前に、肝臓がんを告げられた。ステージⅣ。主治医とは友人関係で、あっさりいわれたそうだ。
「よくて半年。下手すると3月かなあ」
原因は酒らしいが、止めようとはしない。毎夜毎夜とはいわないまでも、かなりの頻度で飲んでいる。妻とは長いこと別居生活。
「肝臓がん、ステージⅣだからといって、生活は変えない。これがオレの生き方だ」
ある大学の治験治療に入れてもらい、月に2回大阪の病院まで行く。費用は製薬会社が持っているので、個人的費用は新幹線代とホテル代のみ。「ラッキーだった」と彼。
転移もなく、痛みもなく、2年が過ぎた。
「でも最近ではね、その治験も限界に来ているんじゃないか。体重も6キロ減った」
彼は、自分のがん体験を語る講演会を開いている。主治医やがん仲間も呼ぶ。会場はレストランで、飲んだり食べたりした後(もちろん本人も飲む)、ギター演奏を聴いて、その後に講演会という趣向。今回も50人くらいが集まっていた。
「がんは、いろんなことを教えてくれる。やっぱり精神的にガクンとくるものもある。身体的なものもある。両方だね......」
楽天を気取ってはいるが、胸のうちは苦しい。それをさらりと語る。
「辛くても笑う。精神力なのか、やけくそなのか、自分でもわからないけど」
よく聞く笑いの効用だ。他にも身に沁みる言葉の数々が飛ぶ。会場発言も相次いだ。
「乳がんの他にもがんがあるけれど、がんになってよかった。人生を深く味わえるから」
社会的活動寿命を伸ばす
最近では、健康寿命を伸ばすことと、長生きリスクのための資産寿命を伸ばすことの大切さが語られている。そのためには、社会とのつながりもまた大切だと思う。
「身体的な運動は大事ですが、社会とのつながり、心の運動、存在の有用感もまた老後をいきいき生きるために大切ではないでしょうか。社会的な活動を続けることです」
私は講演などでこう語り、「社会的活動寿命」と名づけた。地域活動、趣味、アルバイト、学習会、なんであれ自分の活動の場を持っていること。それが、いきいきした晩年を創り出すのではないかと。今の80歳はひと昔前の70歳だと聞いたことがある。本人の性格や健康、家庭の事情などもあるとはいえ、昔の年齢観に負けない社会とのつながりが、老いを救うと......。実際多くの高齢者はいう。
「適度な役割があるのって、ありがたい」
さて、あの彼の今の役割は、自らのがんを多くの人にしゃべり、かつ書くという社会的活動。それが生命の限界を伸ばしていると思う。
「やがて死ぬ日が来る。人間として生まれた以上は当然だ。あんまり覚悟もないけど」
こうも笑い飛ばす。
「最期の晩餐はワインにするか、ビールにするか、悩んでいるよ」
「高齢により......」と会や活動を辞めてしまう人がいるが、私は、1回は引きとめることにしている。とはいえ私自身、長く所属する会で理不尽な暴言を受け、以来10年辞めるか否か葛藤してきた。これもまた老いの修業、継続は力なりとわが身を慰めている。社会的活動寿命の世界も楽園ではないという覚悟も必要、「ならぬ堪忍、するが堪忍」は、一生物なのである。
「他人様(ひとさま)幸せ」に支えられて
いうまでもなく、老いを生きるということは、さまざまな危険をも背負っていくということでもある。未来はいつも明るいとは限らない。時として非常に不安に思うこともある。
万一の不運に見舞われたらどう対するか、私はそんな時、母方の祖父の晩年に学び、励みにしようと思っている。
祖父は江戸末期、南部美作守の家臣の家に生まれた。開成所で学び、西周先生や安井息軒先生に師事したが、明治維新直後、20歳にして北海道に渡った。その後開拓使任命で、小学校の校長職となった。
「開拓には有能な人材が必要だ。そのためには初等教育が大事である」
しかし自由民権運動に関わったがために、公職を解かれ、その後札幌に私立の小学校を建立。やがて歳月が経ち、校舎が狭くなって新築したところ、1年後に全焼し廃校となった。渡道以来30年余の全財産を失い、残ったのは膨大な借金と、老親と7人の子どもたち。
この火事でどん底に落ちた祖父を救ってくれたのが、網走の人たちだった。校長職として招いてくれたのである。その地で彼は仲間に呼びかけ、「日露戦役記念図書縦覧所」(のちの網走市立図書館)を開設して、初代所長となった。地元の人によると、北海道初の図書館であるという。
祖父は間もなく悲嘆のうちに人生を閉じたが、多くの人々に喜ばれる仕事をし、現在に名を残すことになった。そんなことは望んでもおらず、想像もしていなかっただろうが。
「大凶は吉に返る」というが、大凶あればこそ残せた業績だった。「禍転じて福となす」など不運な人間を励ます言葉がたくさんあって、これも先人の知恵だとありがたい。
2018年は明治150年だった。祖父の記念にと評伝「北のあけぼの」(現代書館)を上梓した。
その時知った。どんなに悲惨な状況であっても、優しいまなざし、励ましがあれば、人は再起できると。それが祖父の社会的活動寿命を伸ばしたと。
私は若い頃から、保育や仕事などで多くの他人様に助けられてきた。これを「他人様幸せ」と呼んでいる。これからの晩年も、多くの他人様に助けられることだろう。
K氏のような病、祖父のような悲運、あるいは事故、何が来るかわからないが、人生の終わりまで、周囲の人々への優しいまなざしだけは失うまいと誓っている。
女ひとり晩年を生きる、心意気である。
著者
- 沖藤 典子(おきふじ のりこ)
- ノンフィクション作家
1938年北海道生まれ。北海道大学文学部卒業。ノンフィクション作家。日本文芸家協会会員。共同参画市民スタディ21代表。(株)日本リサーチセンター調査研究部、大学非常勤講師などを経て現職。
1979年、女性の社会進出をテーマに書いた『女が職場を去る日』(新潮社)を出版し、執筆活動に入る。以後、女性の生き方や家族の問題、シニア世代の研究、介護問題などに深い関心を寄せ、旺盛な執筆、市民活動を続けている。
著書
『女50代、人生本番!』(佼成出版社)、『沖藤典子の介護元気で日本あっ晴れ』(医歯薬出版)など多数。
転載元
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