第2回 無縁を生きる覚悟と不安
公開日:2019年7月26日 09時00分
更新日:2024年8月13日 13時38分
こちらの記事は下記より転載しました。
沖藤 典子(おきふじ のりこ)
ノンフィクション作家
お淋しいでしょ?といわれなくなった
ひとり暮らしになって、4年になる。この間「お淋しいでしょう?」と言われたことは一度もない。思えば昭和の終わり、日本型福祉社会などが喧伝(けんでん)されていた頃、テレビのレポーターなどが、ひとり暮らしの高齢者によく聞いていた。「お淋しくないですか」と。
そのたびに、余計なお世話だとフンガイしたものである。
その25年前頃は、こういう言説もあった。
「北欧など福祉の進んでいる国は家族が冷たくて、ひとり暮らしが多い。だから年寄りは淋しくて、公園のベンチに座って、鳩に豆をやっていますよ」
ちょうどデンマークに行く機会のあった私。ならば、その年寄りに淋しいかどうか、インタビューをしようと通訳を雇って、コペンハーゲンはチボリ公園に出かけたのである。初夏の晴れやかな日であった。この快晴と私の意気込みにもかかわらず、鳩に豆をやっている年寄りは1人もいなかった。これは、いったいどういうわけだろうか。
いたしかたない、歩いている方に聞いてみようと、3人の方に取材をお願いした。3人ともひとり暮らしで80代女性だった。なぜか、男性は歩いていなかった。
答えは3人とも共通していて、簡単だった。
「淋しい時もありますよ。淋しくない時もありますよ。当然でしょ」
そのうちの1人は、孫と観劇に行く約束で公園を横切っていた。華やかなオレンジ色のコートを着ていて、同色のイヤリング。ブルーのスカーフ。84歳とのこと。ほかの2人は、1人は黒いカーディガン、1人は地味なコート。3人とも元気で、よく喋り、よく笑った。
そこには、"お淋しい"のカケラもなかった。ひとり暮らしが当たり前、そのためのサポートがある社会では、人びとはこのように堂々と老いていくのかと、感心した。
夫は大往生、妻は立ち往生?
以来25年、日本も今や高齢者のひとり暮らしは、当たり前になった。その実態の変化が、「お淋しいでしょう」発言を消去したし、「鳩・豆」伝説もぶっ飛ばした。
実際にひとり暮らしになって以来、彼女たちの言葉を思い出すことが多い。
「淋しい時もある。淋しくない時もある」
その中で思うことは、「今は元気だからいい、しかし問題は、元気でなくなった時、どうするか?」ということ。
いくらピンピン・コロリを願ったところで、やがてノロノロ・ヨタヨタ・ダラリの日が来る。そのために、何をどう用意したらいいのか。ピンピン・コロリ幻想は、敵だ。
私は夫を長い入院の後、自宅に引き取り、自宅で介護した。その時、しみじみと思ったものである。
「夫の時は私がいた。私の時は『私』がいない。夫は大往生したが、私は立ち往生だ」
人間1人あの世に行くには、膨大な実務が発生すると、身に沁みたのである。
私は1人っ子で、親戚はいない。娘は2人いて、長女は米国に住み、次女は近県にいる。多くの人がいうように、私にもまた、「遠くに住む子は優しく、近くに住む子は厳しい」という現実がある。時々、『遠・優』が頼りか、『近・厳』が頼りかなどと考えてしまい、われながら情けない。子がいるがゆえの闇。
しかし、どちらの娘もアテにはできない。もし私が100歳まで生き、ノロノロ・ダラリが本番になった時、彼女たちは70代。母親どころではないのだ。逆縁だってなしとはいえない。介護や医療、遺言や葬儀のことだけの問題ではなく、日常生活の維持、さまざまな関係者との交渉、金銭管理......、それらをどうしたらいいのか、何を用意しておいたらいいものか。淋しくはないが、不安である。
サポート・システムもあるが・・・・・・
そんな私に刺激を与えてくれたのが、S子さんだ。彼女は現在、85歳。若い頃は看護師をしていた。結核で長い療養生活があった。50代はじめ頃、妻と死別した男性と結婚したが、10年ほどで突然に死別した。先妻の子2人との縁も切れた。彼女も1人っ子。天涯孤独の身である。
そんな彼女を支えているのは、あるNPO法人のサポート・システムだ。入院時の身元保証人から、医療や介護の交渉、後々の財産整理、納骨までやってくれる。公正証書遺言もつくった。法人への預け金は100万円程度。それを使いきったら、積み増しをするか、不動産価値があるので、そこから相殺するそうだ。
入会してほどなくエスカレータで転落して、救急車で運ばれた。その時、この会の名前を言ったところ、身元保証人になる女性が、病院にかけつけてくれた。
「迅速・丁寧でした。契約しておいてよかった。最後は遺言の執行。マンションを売って清算をしてもらいます。剰余金が出る計算ですが、それはその法人へ寄付です」
女ひとり、無縁と不安を道連れに
私も加入しようかと思って、知人の行政官に相談したところ、一言のもと「否」だった。倒産したNPO法人もあるとしたうえで、
「問題は、死後の清算が遺言書通りかを、誰がチェックするかですよ。決済機構があるということですが、それもNPO法人。監督官庁が決まっていないのが問題です」
弁護士の知人は、弁護士会への苦情が多いと教えてくれ、私はすっかりひるんでしまった。信頼できるように思えたのだが。やはり成年後見制度に頼むか......。しかしそれも決心できない。
今や日本は「おばあさん大国」。女老いてのひとり暮らしをいかに全うするか、家族全体が老いていくこの現実の中で、何を信じ、どう決断し、どう実行するか、それが問題なのだ。人間1人の身じまいに、これが絶対安心といえる方策があるのか。あれば、教えてほしい。命の残り時間に追われながら、ま、今日1日元気でいようと思っている私である。
著者
- 沖藤 典子(おきふじ のりこ)
- ノンフィクション作家
1938年北海道生まれ。北海道大学文学部卒業。ノンフィクション作家。日本文芸家協会会員。(公財)介護労働安定センター理事。(株)日本リサーチセンター調査研究部、大学非常勤講師などを経て現職。
1979年、女性の社会進出をテーマに書いた『女が職場を去る日』(新潮社)を出版し、執筆活動に入る。以後、女性の生き方や家族の問題、シニア世代の研究、介護問題などに深い関心を寄せ、旺盛な執筆、市民活動を続けている。
著書
『老妻だって介護はつらいよ』(岩波書店)、『それでもわが家から逝きたい』(岩波書店)など多数。
転載元
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