第1回 老いは新たな冒険の季節
公開日:2019年4月17日 13時47分
更新日:2024年8月13日 13時40分
こちらの記事は下記より転載しました。
沖藤 典子(おきふじ のりこ)
ノンフィクション作家
生涯に見るべき3つのもの
高校2年生の時、世界史と世界史地図を習った。それは北海道の片田舎の高校生にとって、目からうろこが飛び散る衝撃だった。
「この世には世界がある。世界には国家や民族興亡の歴史がある」
この時私は、死ぬまでに見るべき3つのものを決めた。4000年前、2000年前、現代、時代を画する3つの巨大建造物。
「この3つを見るまでは、死んではならない。絶対に見る!」
当時昭和20年代の終わり頃、岡春夫の「あこがれのハワイ航路」の時代だった。貨物船で行く。掃除婦でも皿洗いでも働きながら行こう。
ところが社会は音を立てて変わり、飛行機が普通の移動手段になった。私は簡単にこの3つをクリアした。50代の半ばだった。
「さて、次は、何の3つを見るか」
新たな目標が必要になったのだが、それがなかなか決まらない。
「ま、何も3つと決める必要もないし......」
そんな時、70代も後半になって、友人からネパールへ、エベレストを見に行かないかと誘われた。当然、「行く、行く」と二つ返事。夫が亡くなり、ひとり暮らし暦2年の頃だった。晩年に見るべき3つのもの、その1つをエベレストと決めた。同時に残りの2つも決めた。あとは実行あるのみ。
老いは新たな冒険の季節
私が好きな作家に、米国でフェミニストとしても名高いベテイ・フリーダン(故人)がいる。作品の中に『老いの泉』(西村書店)があり、その中でも18章「老いは新たな冒険の季節」が、一番のお気に入りである。
「老年が私たちに強いるとも解放するともいえる冒険、新しい体験が、子どもの頃から長すぎるほど引きずってきた不要な重圧や重荷、二度と経験したくない青年時代の欲求不満を軽減してくれる」「なんという解放感だろう」
胸に光がぱっと点った。そうなのだ、老いは夢の実現期、冒険の季節なのだ。
67歳の男性は、こういったという。
「男ってものは、ひざまずいて生きるより、立って死ぬものだ。家でおとなしく寝ているなんていやだよ」
70代半ばにある女性は、浴室の床ですべって首の骨を折った。それでも新しい夫と、フランスの赤ワイン賞味の旅行に出るという。
「赤ワインは、医者からもらっている薬よりも、帯状疱疹によく効く」
作者は、またこうも書いている。
「老年そのものが─ 人類のみにみられる独特な現象として、生殖を終えても寿命は終わらない─ 進化の上で重要な役目をおっているに違いない」
この私がどのような役目をおっているのか、それはわからないが、ともかく元気で老いを生きる姿を孫たちにも見せておきたい。
高齢期の冒険は、当然ながら旅行ばかりではない。ある出版社の元編集長は、数々のベストセラーを出した人だが、退職後、大方の予想を裏切って農業学校に入った。以来10年余、農業ボランティアとして各地の農家と契約し、季節ごとの援農に出かける。今は、たくましく日焼けして、まさに冒険者としての面構えである。80歳で詩吟を始め、93歳になった現在も続けている女性もいる。
老いは、若き日の夢の実現期、新しいことを始める時期だ。思い切った方向転換で、たくましい老いを生きている人は少なくない。
必要なのは、前に進む勇気だ。
エベレスト冒険物語
さて、そのエベレスト。それを見るには、ほぼ4,000メートルのところにあるホテルまでヘリコプターで飛ぶ。富士山よりも高い。日本人が建てたものだと、後で知った。
私は若い頃、1,000メートルくらいの山に2、3回登ったことがある程度。友人たちは、「高山病になる」と心配した。事前に、三浦雄一郎先生のラボで低酸素体験をさせてもらったが、山登りを趣味とする近所の「昔山ガール・今山バ(婆)ール」は、いったのである。
「それだけは足りない。国内の2,000メートル級の山に連れて行ってあげる。どちらもロープウェイがあり、バスでも行ける。高いところに宿泊すれば、身体が慣れるんです」
さっそく山岳用品の店に私を連れていき、登山靴から下着まで買物を指南してくれた。
かくなる手ほどきを受けて、私は勇躍約4,000メートルにあるホテルへと飛んだのである。
「ヘリコプターは落ちるわよ」
などといって、私の大腸活動を超過敏にしてくれた人もいたけれど、ヘリコプターから眺める山野は絶景であった。
難敵はやはり酸素だった。着いたその日から頭痛に見舞われ、滞在中はすべての夜を、酸素ボンベにしがみついて過ごした。
エベレストは絶景だった。紺碧の秋空に、全身ダイヤか真珠をまとったような輝き。その拒絶的な無慈悲さ。周辺の高峰も高貴な輝きに満ち、かつ排他的な威貌である。
ホテル付近の村を散策すると、そこは電気もガスもない暮らし。女たちは、昔の日本のようなたらいで洗濯していて、胸が詰まる光景だった。友人によると、いまだに「女の子に教育はいらない」といい、「学校に行きたい」といった子を殴り蹴る父親がいるそうだ。
世界にはまだまだ知らねばならないことがたくさんある、「まことに、老いは新たな冒険の季節だ」と実感した。
無事羽田空港に着陸。そこでタクシー代を惜しんだ私、バスに乗ったのが災難だった。到着したバスを降りて荷物を持とうとした瞬間、転倒した。救急車で運ばれて、即刻入院。第二腰椎の圧迫骨折だった。老いの冒険には危険も伴う。その覚悟も必要。これもあの世の夫へのみやげ話。こんなことではくじけないと、意気込む私である。
ところで、三浦雄一郎先生、86歳でのアコンカグア(6,961m)の登頂を、6,000mで断念した。撤退もまた、老いの冒険だと教えてくれた。
著者
- 沖藤 典子(おきふじ のりこ)
- ノンフィクション作家
1938年北海道生まれ。北海道大学文学部卒業。ノンフィクション作家。日本文芸家協会会員。NPO法人高齢社会をよくする女性の会副理事長。(株)日本リサーチセンター調査研究部、大学非常勤講師などを経て現職。
1979年、女性の社会進出をテーマに書いた『女が職場を去る日』(新潮社)を出版し、執筆活動に入る。以後、女性の生き方や家族の問題、シニア世代の研究、介護問題などに深い関心を寄せ、旺盛な執筆、市民活動を続けている。
著書
『老いてわかった!人生の恵み』(海竜社)、『北のあけぼの』(現代書館)など多数。
転載元
機関誌「Aging&Health」アンケート
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