第3回 生命を宿した絵
公開日:2018年10月18日 09時44分
更新日:2024年8月13日 13時50分
こちらの記事は下記より転載しました。
河鍋 楠美(かわなべ くすみ)
蕨眼科院長、公益財団法人河鍋暁斎記念美術館理事長・館長
NHKのラジオ第一放送で、毎日放送されている「NHKマイあさラジオ」に、「きょうは何の日」というコーナーがある。2017年の放送によると、横浜の馬車道でガス灯が点灯されたのが明治5年(1872年)9月29日(新暦10月31日)であることから、10月31日を「ガス記念日」とすることを、昭和47年(1972年)に日本ガス協会が制定したという。
そこで本稿では、文明開化の象徴のひとつともいえるガス灯を描いた暁斎画を紹介しよう。
東京小平市にある東京ガスガスミュージアム(がす資料館)所蔵の暁斎の絵(図)は、現在では大事に保管されているが、私が初めて調査に訪れた当時は「作者不詳」として、西日が直接当たる壁面にさらされていた作品である。
また、開化風俗が描かれているからか、「鹿鳴館(ろくめいかん)」と名づけられ、近年まで中・高校生の参考書に掲載されていた。不幸にも作者・画題ともに長らく解明されずにいたのである。
ところが、この絵を描く前に下書きとして描いた「下絵」が当家に伝わっていたため、平成3年(1991年)に半紙大の和紙十数枚に分かれていた下絵を持参して調査したところ、この絵は河竹黙阿弥作の芝居『漂流奇譚西洋劇(かぶき)』の「パリス劇場 表掛りの場」を描いた行灯(あんどん)絵であり、夕刻に幕を開ける芝居茶屋に実際に掲げられて明かりを灯(とも)したものであることが判明した。この絵は当初、芝居の宣伝のために描かれ、通常は捨てられるところを、美術的価値が見出されて残ったものの、持ち主が変わるうちに「作者不詳」とされ、近年まで開化風俗画として位置づけられていたのだった。
それを作者・内容ともに明らかにすることができたのは、当館が暁斎の下絵の保存・修復に努めてきたからこその成果であるともいえる。この絵の数奇な運命を想像すると、この絵の中の暁斎の画力がこの絵に生命を与え、捨てられずにこの世に留まり続け、私を引き寄せたように思われてならない。
ただ美しいだけでなく、不思議な生命力を感じさせる作品である。
著者
河鍋 楠美(かわなべ くすみ)
蕨眼科院長、公益財団法人河鍋暁斎記念美術館理事長・館長
河鍋暁斎のひ孫。東京大学医学部医学博士。1977年、河鍋暁斎記念美術館を開館。
転載元
機関誌「Aging&Health」アンケート
機関誌「Aging&Health」のよりよい誌面作りのため、ご意見・ご感想・ご要望をお聞かせください。
お手数ではございますが、是非ともご協力いただきますようお願いいたします。