最新の「生きがい」ならびに「ikigai」研究の動向~今後の生きがい研究は原点回帰が見込まれる
公開日:2020年5月29日 09時00分
更新日:2021年2月10日 11時24分
長谷川 明弘(はせがわ あきひろ)
東洋英和女学院大学大学院人間科学研究科教授
1.はじめに
2010年代に国内外で注目された書籍のひとつに「The Blue Zones:ブルーゾーン」1)がある。これは長寿者の多い地域を「ブルーゾーン」と呼んで、日本の沖縄やイタリアのサルデーニャ島、アメリカのロマリンダ、中米コスタリカのニコジャ半島に出向いて、現地の100歳を超える高齢者を中心に生活習慣や長寿の秘訣を尋ねた上で9つのルールとしてまとめられている。
長寿の秘訣(9つのルール)
- 適度な運動を続ける
- 腹八分目で摂取カロリーを抑える
- 植物性食品を食べる
- 適度に赤ワインを飲む
- はっきりした目的意識を持つ
- 人生をスローダウンする
- 信仰心を持つ
- 家族を最優先にする
- 人とつながる
日本の沖縄が取材に取り上げられた中で「生きがい」という言葉が出ており、生きがいが海外で注目される一因となっているようである。
生きがいについては、2014年までの高齢者に関する生きがい研究の動向を取り上げた総説が報告されている2,3)。一方で2010年代半ばから海外で生きがいが注目されているようなので裏付けとなるデータを踏まえて、本論では2020年2月時点での生きがい研究の動向と到達点、そして今後の展望を示すことが目的である。
2.研究方法
データベースを活用して1945年以前ならびに第二次世界大戦後の1946年以降から2020年2月まで(75年間)の国内外の生きがい研究の推移を取り上げていく。2020年2月14日時点で米国に本社を置くGoogle社が提供している学術論文検索用エンジンであるikigai"をキーワードとしてそれぞれ指定した。検索条件は、特許と引用部分を含めないで「1945年まで」から始め、第二次世界大戦後「1946年~1950年」から5年毎に指定して16期までとなる「2016年~2020年」までの期間とした。
を用いて発表された時期を指定して発表数を数えた。"生きがい"と"3.結果
時代の推移別に"生きがい"と"ikigai"のヒット数(発表数)と取り上げられた主なテーマを表1に示した。主なテーマはタイトルに基づいて判断したものの「2001-2005」以降は、データ量が多くかつ日本語と英文、さらには英文要約が多数混在しており、示された10本毎に数えて次のページに移るとヒット数が変動するなど正確な値ではない可能性があったので値には若干の誤差があると理解してもらいたい。図1は、"生きがい"と"ikigai"に関する発表数の推移をグラフにした。なお、"ikigai"はテーマ確認時に時代や内容が異なったこと、研究者の姓を含むことが判明した場合に数へ入れなかった。
指定した期間 | 生きがいの数 | 生きがい研究の主なテーマ | |
---|---|---|---|
1 | -1945 | 1 | 女性差別撤廃 |
2 | 1946-1950 | 2 | 哲学、家庭教育 |
3 | 1951-1955 | 4 | 国文学、道徳教育、児童画や表現 |
4 | 1956-1960 | 17 | 国文学、美術教育、個人的体験、女性の社会的地位の変化、人間形成 |
5 | 1961-1965 | 35 | 道徳、老年学、価値観、美術教育、個人体験、文学、青年期 |
6 | 1966-1970 | 79 | 非行、高校生、美術、障害、家庭生活、教育相談 |
7 | 1971-1975 | 約250 | 高齢者、青年期、社会参加、労務管理 |
8 | 1976-1980 | 277 | 労働意欲、個人体験、高齢者、子ども、経営 |
9 | 1981-1985 | 371 | 中学生・高校生、職種と地位、家庭生活、青年、教育、高齢者 |
10 | 1986-1990 | 496 | 高齢者、退職、仕事、大学生 |
11 | 1991-1995 | 817 | 家族、組織、高齢者、高校生、疾病 |
12 | 1996-2000 | 約1,200 | 大学生、高校生、精神障害、事例研究、中国における都市、支援サービス、高齢者 |
13 | 2001-2005 | 約1,900 | 高齢者、尺度 |
14 | 2006-2010 | 約2,960 | 団塊世代、退職、高齢者、高齢期 |
15 | 2011-2015 | 約3,660 | 高齢者、尺度、社会活動、疾病、女子大学生 |
16 | 2016-2020(2月まで) | 約3,090 |
サラリーマン、高齢者、スポーツ、青年期、仕事 |
指定した期間 | ikigaiの数 | ikigai研究の主なテーマ | |
---|---|---|---|
1 | -1945 | 1 | グリーンランド |
2 | 1946-1950 | 0 | なし |
3 | 1951-1955 | 0 | なし |
4 | 1956-1960 | 0 | なし |
5 | 1961-1965 | 0 | なし |
6 | 1966-1970 | 1 | 独占禁止 |
7 | 1971-1975 | 5 | 結婚における愛の明示、日本の若者文化、価値の変換、生きがいの構造、退職と役割 |
8 | 1976-1980 | 9 | 日本人女性、高齢化、好み、日本サラリーマンの自己認識、専業主婦と女性のキャリア |
9 | 1981-1985 | 9 | 仕事における生きがいの意識と従業員の人格特性、品質管理、日本における精神健康の一般的概念、養介護施設、日本の幼児の愛着対象、産業革命後の計画表と人生行路、日本における看護 |
10 | 1986-1990 | 33 | 高齢者の生きがい感、仕事の意味、日本の母親の美徳、日本人の母性への認識、ストレスに対する生理学的反応、映画と文化、政治的協調組合主義、日本における不登校 |
11 | 1991-1995 | 24 | 尺度評価、高校生、精神健康、日本と米国の価値ある人生の追求、沖縄の高齢者、学生の態度教育、高齢者の健康管理、未知の単語と不確かな音声継起推定認知モデル、医学部1年生における生きがい感、学校から職場への移行、生活の質の測定、園芸、職人のアイデンティティ、高齢者の継続教育、働く女性、日本とカナダの更年期女性、壊れやすい日本の家族、イデオロギー、家族労働、思春期女子、母性、商取引・契約 |
12 | 1996-2000 | 90 | 日本人高齢者、生きがいの異文化比較、日本的自己、地域高齢者、米国と日本人の生きる価値、成人後期における職業行動と退職過程、中国における都市高齢者、地域における流動性、独居高齢者と社会関係と死亡率、地域在住高齢者の障害と健康管理と心理社会条件と死亡率、尿失禁と糞便失禁、地域世帯と死亡率 |
13 | 2001-2005 | 150 | 生きがいと男らしさ、介護と自己理解、高齢者の歩行時間と睡眠時間と死亡率、生きがいの地域差と家族構成と身体能力と認知機能、地域在住高齢者の生きがいの構成要素と生活習慣と生活の質、尺度開発、家族介護者と生きがいと生活の質、高齢者の生きがいの関連要因と文献研究、自己評定による咀嚼力と9年後の死亡率、高齢社会における社会参加と生きがい、生きがい感尺度、生きがい対象尺度 |
14 | 2006-2010 | 208 | 日本での生きがい感と死亡率、中高年の死亡率、シルバー人材センター、若年・成人の統合失調症の気分や状態、障害を持った高齢者への介護者の負担感、男性公務員と心理要因と不眠症、素敵な高齢者になること、マレーシアでの日本人退職者における長期滞在型観光と国際退職移民 |
15 | 2011-2015 | 364 | 前頭葉機能、日本の巨大地震とストレス対処、吃音者の不安軽減、太極拳実践者のフロー体験、首尾一貫感覚、生きがい感とアジア太平洋地域の社会支援、日本の健康増進と医療費削減、運動、バランスの取れた食事、生きがい意識尺度構成 |
16 | 2016-2020(2月まで) | 532 |
高齢者と機能障害、余暇の役割、日本における幸福の概念としての生きがい、日本の大学生、生きている価値、高等教育、留学、ミレニアル世代、生きがい意識尺度の英国サンプル、心疾患死亡率とコホート研究、日本人高齢者の人的資本の変化と社会関係資本の変化の縦断研究、生きがいとしての痛み、日本人都市高齢者における社会的孤立の2年間の前向きコホート研究、主観的な幸福感と死亡率の米国男女の14年間前向きコホート研究、ストレスと心疾患とうつ病 |
4.考察
4.1.生きがいとikigaiの研究の動向
高度経済成長の過程で物質的な豊かさに注目するよりも、心や精神面の豊かさに注目が集まる中で生きがいと関連づけて、女性の社会進出を取り上げたり、哲学や家庭教育、文学との関連した研究が行われたりしている。1966年に出版された神谷美恵子による「生きがいについて」4)を契機として生きがいを取り上げる研究が増えたことが伺える。また高齢者だけでなく、青年期や子ども、勤労者といった成人と幅広い世代を取り上げている。2000年頃までに高齢化社会を見据えて高齢者を対象とした研究が目立つようになり、生きがいと類似の概念とされる「人生満足度」「モラール尺度」や「主観的幸福感」といった海外の類似した概念に注目した研究が行われている2)。21世紀となっても生きがい研究の対象に高齢者が多く取り上げられている3)。
ikigaiは、結婚と愛、仕事と生活という文脈で取り上げられたり、女性の自立を取り上げたりしている。また2010年代半ば以降になると日本人が執筆した成書5,6)で生きがいの概念が海外でikigaiとして知られたりして、日本の生きがいの概念が海外へ紹介されつつある7)。一方で、海外とくに西洋では、生きがいの概念に関して、人生を成功するための目標(purpose)、愛(love)、使命(mission)、情熱(passion)、専門性(profession)、天職(vocation)といった要素から構成されている8)として誤解されているという指摘がある9)。
4.2.生きがい研究の到達点
神谷4)は、「生きがいの源泉」あるいは「生きがいの対象」と「生きがいを感じている精神状態」があることを指摘しており、生きがいには具体的で生活的な含みがあると捉えて、個人差が大きく、「生活充実感」「変化」「未来性」「反響」「自由」「自己実現」「意味と価値」に向かう欲求が備わっていると論じていた。
神谷4)の考えを参考にした生きがい研究が多数報告されている。例えば、生きがいを「今ここに生きているという実感、生きていく動機となる個人の意識」と定義して10)、「"生きがい対象"と"伴う感情(生きがい感)"を統合した自己の心の働きである」2)としていたり、生きがいを日常語とした上で「あなたの生きがいは何か」と尋ねられた時に、その人が過去の経験、現在の出来事、未来のイメージといった「(生きがいの)対象」を心に思い浮かべ、同時に伴って湧いてくる自己実現と意欲、生活充実感、生きる意欲、存在感、主動感といった種々の感情、つまり「(生きがいの対象に)伴う感情」を統合した自己の心の働きであると生きがいの構成要素(生きがい構造モデル)を示して2)(図2)、データに基づいて生きがい構造モデルの適合度を実証した10)研究があった。
生きがいを測定するための尺度が構成されている。例えば、生きがい感尺度11)や生きがい対象尺度12)、生きがい意識尺度13)などが他の生きがい研究で用いられてきた。生きがいの関連要因として、健康度自己評価や知的能動性との関連が強いことが報告されている2,3)ことから、健康であると高く評価する状態や様々な生きがい対象に対して知的な好奇心を持って日々を生活することが重要であるようである。生きがいと生存率については、生きがい対象としての運動やスポーツをするといった身体を動かすことと、仕事が生存日数維持との間に有意な関連を認め、生きがい対象がサークル活動と自然に触れるといった緑に関する場合に有意傾向を示す要因であった14)。つまり生きがい対象を複数持ち、肯定的な感情(生きがい感)が湧いてくることは生存を維持する上で重要な条件となるように思われる。
4.3.生きがい研究の今後の展望-まとめに代えて-
今後の生きがい研究の展開は、高齢者だけでなく、全世代を調査対象とした様々な事柄(スポーツ、仕事、障害、哲学、生き方、自己探索など)を対象として取り上げることができる研究テーマになってくると考えられる。いわゆる原点回帰が生きがい研究の中で起こるであろう。その背景には、インターネット環境の整備により、物理的な距離ではなく、国際間の心理的な垣根が低くなり、個人レベルの交流では心理的な距離を感じにくくなりつつあることが考えられる。この変化の上に立って、日本国内だけでなく、海外へも研究成果を積極的に発信して3)共有していくことが求められてくるであろう。"生きがい"="ikigai"が世界で適確に通じる言葉になることを期待したい。
文献
- ダン・ビュイトナー(仙名 紀 訳):世界の100歳人に学ぶ健康と長寿のルール ディスカヴァー・トゥエンティワン 2010 (Dan Buettner. The Blue Zones: Lessons for Living Longer From the People Who've Lived the Longest. National Geographic 2010)
- 長谷川明弘,藤原佳典,星旦二:高齢者の「生きがい」とその関連要因についての文献的考察:生きがい・幸福感との関連を中心に.総合都市研究 2001;75:147-170.
- 長谷川明弘,藤原佳典,星旦二:2000年から2014年までの我が国における生きがい研究の動向:生きがい研究の「ルネッサンス」.生きがい研究 2015;21:60-143.
- 神谷美恵子:生きがいについて:神谷美恵子コレクション.みすず書房 1966/2004.
- Yukari Mitsuhashi :Ikigai: Giving every day meaning and joy. Flexibound 2017.
- Ken Mogi :The Little Book of Ikigai: The Essential Japanese Way to Finding Your Purpose In Life Quercus 2017.
- Hector Garcia: Francesc Miralles: IKIGAI -The Japanese Secret to a Long and Happy Life-. Hutchinson, LONDON, 2017 (originally published in 2016).
- 長谷川明弘,藤原佳典,星旦二:「生きがい」の構造:「生きがい」の対象と伴う感情の共分散構造分析.日本ケアマネージャー学会誌 2003;2:65-79.
- 近藤勉,鎌田次郎:高齢者向け生きがい感スケール(K-I式)の作成および生きがい感の定義.社会福祉学 2003;43(2): 93-101.
- 長谷川明弘,宮崎隆穂,飯森洋史,星旦二,川村則行:高齢者のための生きがい対象尺度の開発と信頼性・妥当性の検討:生きがい対象と生きがいの型の測定.日本心療内科学会誌 2007;11(1):5-10.
- 今井忠則,長田久雄,西村芳貢:生きがい意識尺度(Ikigai-9)の信頼性と妥当性の検討.日本公衆衛生雑誌 2012;59(7): 433-439.
- 星旦二:都市在宅高齢者における楽しみと生きがいの実態とその三年後の累積生存率との関連.生きがい研究 2014 25-36.
筆者
- 長谷川 明弘(はせがわ あきひろ)
- 東洋英和女学院大学人間科学部人間科学科教授
- 略歴
- 1995年 愛知学院大学文学部心理学科卒業、1997年 新潟大学大学院教育学研究科修了、修士(教育学)、三島病院(臨床心理士)、2003年 東京都立大学大学院都市科学研究科修了、博士(都市科学)、2003年 金沢工業大学(学生相談室カウンセラー)、2004年 金沢工業大学 講師(カウンセラー兼務)、2013年 東洋英和女学院大学准教授(大学院准教授を兼務)、飯森クリニック(臨床心理士)、2020年4月より現職。臨床心理士、公認心理師、指導催眠士、臨床動作士。
- 専門分野
- 臨床心理学、コミュニティ心理学、発達臨床心理学、生涯発達心理学