お年寄りと子どもが雑木林の中でともに暮らす次世代型コミュニティ(愛知県長久手市(ながくてし) ゴジカラ村)
公開日:2019年7月 5日 13時08分
更新日:2024年8月13日 15時08分
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頂上の山から下りていくその麓(ふもと)に私たちがいる
名古屋駅から地下鉄東山線に乗って東に約30分、本郷駅から車で約10分の住宅地に小高い雑木林が広がる。そこに社会福祉法人愛知たいようの杜(もり)が運営するゴジカラ村がある(写真1)。山荘のペンションのような木造の大きな建物が雑木林に点在する。その間から聞こえてくる子どもたちの元気な声。その近くには母親やおじいちゃん、おばあちゃんの姿も見える。
この村は多世代がまざり合いながら暮らす新しいコミュニティの姿を見せている。
社会福祉法人愛知たいようの杜の大須賀豊博理事長は言う(写真2)。「高度経済成長時代の日本は、豊かになるために、まるで山の頂上をめざすように一生懸命に登っていきました。そこで求められるのは同質性、効率性、そして結果を出すという価値観に占められていました。しかし、お年寄りや子どもにとってはそうした価値観はなじみません。今は少子高齢化で麓(ふもと)に下りてこなければならない時代になりました。麓への道はいろいろあります。どういう麓がよいのかと模索が始まっています。そこのひとつに私たちの"村"があります」
訪れた4月初旬、満開の桜の花びらがコナラの多い雑木林に風に舞っていた。
お年寄りが子どもと接して生き生きと輝き出した
ゴジカラ村は今から38年前の1981年、学校法人吉田学園「愛知たいよう幼稚園」が設立されたことから始まる。初代理事長の吉田一平さん(現在は長久手市長2 期目)は、かつて名古屋の商社で全国を営業で駆け回る猛烈サラリーマン生活を送っていた。しかし、30代前半にとうとう体を壊して自宅療養をしていたとき、生まれ育った長久手の田畑や雑木林が住宅開発で次々に変貌していくのを見て心を痛めた。「何とか長久手のふるさとを守りたい」と、先祖代々吉田家に伝わる里山約1万坪の雑木林に幼稚園を開くことを決心した。
この幼稚園の運営は実にユニークだ。一般の幼稚園のように、部屋の中でのお遊戯や絵を描いたりなどのメニューよりも、雑木林での自由な遊びが中心。坂を上ったりすべったり、昆虫を捕まえたり、木陰で休んだり、と子どもは自然の中でのびのびと遊ぶ。
ところが幼稚園の先生から吉田理事長に苦情の声が上がった。「子どもたちが雑木林を自由に走り回るので、見守ることができません。なんとかしてください」
園児30人を先生1人でみるため、6時間の保育時間で計算すると、子ども1人に関わる時間はわずか12分にすぎない。1人で30人をみること自体に無理があった。
そこで町内のお年寄りに「子どもたちと遊んでほしい」とお願いしたところ、喜んで引き受けてくれた。幼稚園のすぐ横に移築した築200年の古民家(写真3)を中心に子どもたちの相手をすることになった。
すると不思議な光景が現れた。単なるお手伝い程度と思っていたおじいちゃん、おばあちゃんが子どもと接すると、実に生き生きと輝き出したのだ。役割を失いかけたお年寄りが自分の役割を持ち、居場所があることがいかに大事なことかを吉田さんは実感した。このことがゴジカラ村の原点となった。
1日1,000人の人口を抱える地域の介護福祉の一大拠点
1986年には社会福祉法人「愛知たいようの杜」を設立し、その1年後には特別養護老人ホームとショートステイを立ち上げた(写真4)。91年にはデイサービスセンター、92年には2つ目の自然幼稚園「もりのようちえん」、託児所「コロポックル」、93年には介護福祉養成学校「愛知福祉学園」(のちに「愛知総合看護福祉専門学校」)、その後、毎年のようにケアハウス、ヘルパーステーション、グループホーム、訪問看護ステーション、在宅介護支援センターなどを設立していき、ゴジカラ村周辺の地域の介護福祉の一大拠点となっていく。
現在のゴジカラ村は、介護保険事業で9つ(事業所16か所)、教育事業では幼稚園2か所、専門学校1か所、学童保育1か所、コミュニティ活動として共同住宅1か所、古民家3か所、託児所2か所(1か所は認可保育園)などを展開している。
特養など介護保険事業の定員は約280人、専門学校は定員160人、幼稚園は1日470人、託児所で1日に預かる子どもは30人、保育園は定員36人、職員は330人、このほかにボランティアが約150人。子どもを出迎える親を加えると1日に約1,000人に上る人口を抱えている。
のんびり、ぼちぼち、ほどほど、だいたい、適当に
ゴジカラ村というまるで"ゴジラ"のような変わった名称の由来は、吉田さんが猛烈サラリーマン時代、成果やノルマに追われながら仕事をこなしていた頃の「時間に追われる生活」ではなく、「5時から」(ゴジカラ)の時間に追われることのない生活を楽しもうというメッセージが込められている。効率主義や結果主義とは反対の「不便で、手間暇かかって、煩わしい」「思いどおりにならない」「ごちゃまぜ」。そのキーワードは、「のんびり、ぼちぼち、ほどほど、だいたい、適当に」だ。
ゴジカラ村には癒し系のゆるゆる名称があふれている。そこには異なった要素と要素とを、"媒介"を入れることによってつないでいく知恵と工夫がある。たとえばお年寄りのいる古民家に子どもが来るように仕向けても、子どもはすぐに飽きてしまう。そこでヤギ、犬、ウサギ、ニワトリなどを飼って、「子どもに餌をやろうね」と誘うと喜んでやってくる。
古民家での「子育て支援」を行政に申請したところ、「それは無認可保育です」と却下されそうになったが、それならとお年寄りの「生きがい支援」に子どもが訪問するという逆の申請をすると、すんなりと許可された。
特養をつくろうと計画した時期、吉田さんは各地の特養を見て回った。どこも郊外の山あいに大きな要塞のような建物だった。特養の入口を入ると受付があって、その裏に事務所があって、同じ椅子と机、近くにエレベーター。そこで感じたのは、「これはまるで会社のようだ」。
中を歩くと、コンクリートにビニールを敷いたまっすぐな廊下と無機質な壁、その両側には4人部屋、6人部屋が並んでいた。そこでも感じたのは、「これはまるで病院のようだ」。
幼稚園に続いて特養らしくない特養をつくる
そこで吉田さんの同級生だった建築家と「特養らしくない特養をつくろう」と議論を繰り返した。最初にアドバルーンの風船を上げて、雑木林の木々よりも高くならないようにして建物が雑木林になじむようにした。廊下は木の素材を活かした無垢のフローリング、しかもまっすぐにせずにカーブをつけ、階段の段差もある(写真5)。したがって遠くを見渡せないため、介護職員は頻繁に顔を出して入所者と接するようになった。そして大きな窓からは子どもたちが元気に遊ぶ姿が見えるようにした。
ここでもお年寄りが介護職員と直接関われる時間を計算したところ、24時間の内わずか2時間にすぎないことがわかった。そうすると残りの22時間は孤独に寂しく過ごしていることになる。人生の最終段階の場所で寂しい思いをさせてはならないと、子どもたちの声や姿に動物たちが加わった。
特養「愛知たいようの杜」は、定員56名のハモリー館と、定員40名の杜っと館の2つからなっている。ハモリー館は1階が託児所と事務所、2・3階が特養の居室。杜っと館は1・2階が居室。居室には家族が看取りのときに泊まれる畳の部屋もある(写真6)。
2つの特養の間には、ボランティアグループ「きねづかシェアリング」が集まる木造の小屋がある。「きねづか」というのは「昔とった杵柄(きねづか)」の意味で、定年退職した高齢者が、それぞれ得意なことをボランティアで活かしている(写真7、8)。送迎バスの運転、受付、清掃など1日3時間ほど働く。世話人数名と登録者20名で構成されていて、全員男性だ。これは有償ボランティアで、たとえば1万円の仕事を3名ですると、3名で1万円を分けるという仕組みだ。
ゴジカラ村の周辺にも広がるコミュニティづくり
1981年の幼稚園に始まるゴジカラ村の38年の歩みは、まさに気づきと創意工夫の連続だ。たとえば特養の建物を毎日スケッチしに来る建築を学ぶ学生のエピソードがある。
毎日やってくるので、特養の空きの一室に居候(いそうろう)させた。男子学生だったので、友人と深夜まで酒を飲んで、バカ騒ぎしながら夜遅く帰ってきた。その騒音に居住者たちは目を覚まし、その男子学生に「うるさい! 今何時だと思っているんだ!」と怒った。
その怒るお年寄り姿が実に生き生きとしていることから気がついた。これが多世代同居の構想となる。多世代同居となればいいことばかりではなく、当然、摩擦や軋轢(あつれき)は起こる。それを規則や監視で管理するのではなく、曖昧のまま緩やかに暮らしを支えていくという考え方がゴジカラ流だ。
こうした気づきからゴジカラ村から車で10分くらいの「ぼちぼち長屋」というユニークな建物が生まれた。木造2階建てのアパートが3棟並んでいる。1階には介護が必要なお年寄りが13人、2階にはキッチン・バス・トイレ付きの個室が4部屋と家族用の部屋が1つある。
家賃はお年寄りは15万5,000円(共益費・食費込み)、OLやファミリーは6万円だが、OLやファミリーには"チャボまし料"として月3万円が支払われる。したがって家賃は実質3万円となり、周辺の相場の半分になる。その代わり、OLやファミリーはお年寄りに「行ってきます」「ただいま」と声をかけ、休日には一緒に食事をとったり、話相手をする。名称の"チャボまし料"というのは、ゴジカラ村で放し飼いのチャボは話すことができないから、"チャボよりまし"という意味だ。
多世代同居のコミュニティづくりは政府が進めている「共生型」モデルにもなって、地方創生担当大臣も二代続けて見学に訪れた。
大須賀理事長は「私たちはずっと同じことをしてきたのですが、生産年齢人口よりもそうでない人口のほうが多くなりつつある日本は、ようやく変化してきたのでしょう」と目を輝かせた。
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