第2回 寿命遺伝子
公開日:2023年7月14日 09時00分
更新日:2024年8月13日 11時29分
森 望
福岡国際医療福祉大学医療学部教授、長崎大学名誉教授
大義:どうする大府
東海道新幹線で西へ、名古屋の手前、三河安城を過ぎたあたりで左手のたおやかな丘陵地の先に四角い建物が小さくみえてくる。国立長寿医療研究センターだ。今は国のナショナルセンターになっているが、私がいた頃はまだ国立療養所中部病院の一部で、昔の結核療養所の名残があった。ここは大府市だが、東浦町緒川に隣接している。徳川家康の母、於大の方(のちの伝通院)の出生地である。尾張国知多郡の水野忠政の娘で、松平広忠の正室となり、岡崎城内で広忠の長男、竹千代(のちの徳川家康)を産んだ。私はその大府の研究所で分子遺伝学研究部(のちの老化制御研究部)を立ち上げた。そこで何をどうするか?狙い目はいろいろあったが、要は分子レベルでの老化制御研究。看板どおり「分子遺伝学」から攻める。すると自然に「寿命遺伝子」が気になった。
武将:寿命遺伝子ハンターたち
寿命を制御する遺伝子を総じて「寿命遺伝子」というが、私たちは老化脳がらみで神経制御の重要な遺伝子を捉えていた。それに似た兄弟分の遺伝子について、ある年の暮れにイタリアから不可解なニュースが飛び込んできた。細胞の情報伝達にかかわる、もともとはがん遺伝子だった「シック」遺伝子の亜型が、マウスの寿命を変える。p66シックがないとマウスは長寿になる。線虫などの下等生物ではよくあることだが、高等なマウスでも単一遺伝子の変異で寿命が変わる。これには驚いた。私たちの手中にあったのはそのシックの神経版だったのである。
1980年代からの30年は寿命遺伝子の競争でとても熾烈な時代だった。ここにはそれを詳述できないが、拙著『寿命遺伝子』(講談社ブルーバックス)には、その発見物語を「老化・寿命・遺伝・疾患・悩脳・神経・時間・情報・受容・修飾・代謝・進化・百寿」の視点から記述した。この本を出したころ、書店には別の本が平積みしてあった。『LIFESPAN:老いなき世界』(東洋経済新報社)だ。それはハーバード大学のデビッド・A・シンクレアのサーチュイン遺伝子についてのものだが、こちらの『寿命遺伝子』は世界中で見つかった十数種の主要な遺伝子の発見物語を綴っている。巻末には寿命遺伝子ハンターたちを地図上に紹介したが、その中のレオナルド・ガランテがシンクレアの学生時代のボスだった。
合戦:日米伊の巴戦
私たちの手にあった神経のシック遺伝子、その兄弟遺伝子が寿命遺伝子になる。それはイタリアのがん研究の大御所のペリッチの研究所からの大ニュースだった。私は国の老化研究機関にいながら、その発見を逃した。ショックだった。「シックでショック」、これは冗談ではない。
実は、同様のことがもう一度起こった。脳でのシック遺伝子、それを神経特異的にしている転写因子は、私が米国のロサンゼルスの研究所で見出したマスター因子NRSFだった。当時、私たちはそれがどのように遺伝子をオフにするか、その仕組みを解明した。クロマチンの構造変換による神経分化の根源のトリックを明らかにした。それはよかった。だが後年、米国のハーバード大学から、その同じ遺伝子が寿命を変える。線虫の寿命をヒトの遺伝子でも制御できる。しかも、アルツハイマー病のような症状を抑えて、ヒトの老化脳を保護するという論文が出た。ちょうど、日本中がSTAP細胞の小保方問題で揺れた時だった。私たちは、その遺伝子をNRSFと呼んだが、ハーバードのグループはそれをレスト(REST)と呼んだ。世間的にはこちらのほうが呼びやすいからか、今では誰もがレストという。NRSFは隅に追いやられてしまった。勝馬になるには、名前にも気を配らないといけない。とにかく、そんなこんなで、私たちは伊国と米国にしてやられた。自分の走りは、一馬身、足りなかった。
二刀流:レスト遺伝子は二度「おいしい」
とはいえ、「神経発生」におけるNRSFは、マウスでもヒトでも神経分化のマスター遺伝子としての重要性は揺るぎない。その発端となった神経選択的サイレンサーの発見とNRSFによる遺伝子オフのメカニズム。米国ロサンゼルスの大学から京阪奈を経て大府の研究所で奮闘した私どもの貢献はそれなりに意味がある。一方で、ハーバード大学のヤンクナーたちによる「老化脳」を保護するマスター遺伝子かつ寿命遺伝子でもあるという発見、それもすごい。NRSF/REST(レスト)は、人生の初期と後期、発生と老化で、別の指揮者のように振る舞う二刀流のマスター遺伝子だった。かくして、レストは二度おいしい。科学者人生の中でレストに出会えたこと、それはとてもありがたいことだった。
白昼夢:寿命遺伝子の源流へ
もう戦いは終わった。実は科学研究に終わりはないのだが、私自身はもう一線を退いた。今の心境は「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」(松尾芭蕉)である。歳をとって、戦場を退いて、いつかやってみたいことがある。寿命遺伝子ハンターたちの主戦場、ペリッチのミラノや、ヤンクナーやガランテやシンクレアのいるボストン、そしていわゆるインスリンシグナル経路の発端となった線虫の寿命遺伝子エイジ1、その最初の発見の大元のコロラド大学のトム・ジョンソンのいたロッキー山脈の麓の町、ボルダーなど、寿命遺伝子研究の「聖地」巡りをしてみたい。老化研究者の巡礼の旅、「夢の跡」を追うお遍路みたいなものだ。時空を飛ぶが、徳川家康も晩年はそんな境地だったと偲ばれる。
嬉(うれし)やと再び覚めて一眠り 浮世の夢は暁の空
(徳川家康辞世の句 享年73)
著者
- 森 望(もり のぞむ)
- 1953年生まれ。福岡国際医療福祉大学医療学部教授、長崎大学名誉教授。1976年東京大学薬学部卒業、薬学博士。1979年東邦大学薬学部助手、1984年米国COH研究所、1986年カリフォルニア工科大学研究員、1990年米国南カリフォルニア大学(USC)・アンドラス老年学研究所助教授、1996年国立長寿医療研究センター分子遺伝学研究部長、2004年長崎大学医学部第一解剖教授、2019年より現職。『寿命遺伝子』(講談社ブルーバックス)、『老いと健康の文化史(翻訳)』(原書房)、『Aging Mechanisms Ⅱ(編著)』(Springer)など著書多数。
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