今日の長寿社会は先人の努力の上にある(鈴木 礼治)
公開日:2021年7月 9日 09時00分
更新日:2024年8月13日 15時23分
こちらの記事は下記より転載しました。
シリーズ第1回長生きを喜べる社会、生きがいある人生をめざして
人生100年時代を迎え、1人ひとりが生きがいを持って暮らし、長生きを喜べる社会の実現に向けて、どのようなことが重要であるかを考える、「長生きを喜べる社会、生きがいある人生をめざして」と題した、各界のキーパーソンと大島伸一氏・公益財団法人長寿科学振興財団理事長の対談の第1回は、鈴木礼治氏・元愛知県知事をお招きしました。
「あいち健康の森構想」が平成の時代とともに動き出した
大島:2020年7月に祖父江逸郎前理事長より長寿科学振興財団の理事長を引き継ぎまして、今回が初めての対談となります。国立長寿医療センターの開設を含む、「あいち健康の森構想」を推進して、さらにこの財団が設立されたのは鈴木元知事の時代のことです。私は2004年に開所した国立長寿医療センターの初代総長も務めさせていただいた経緯もありますので、第1回目の対談ではぜひ鈴木先生にお話を伺いたいと思い、声をかけさせていただきました。鈴木先生の知事としての在任は何年からでしょうか。
鈴木:1983年に知事に初当選して、1999年2月まで、16年4期にわたって務めました。「あいち健康の森構想」は、人生80年時代を心身ともに健康に生きるために、保健・医療・福祉・生きがいなどの総合拠点施設を建設するというものです。大府市と東浦町にまたがる広い敷地を建設地として、健康ゾーン、運動ゾーン、研究ゾーン、生きがいゾーン、福祉ゾーンなどを計画しました。特に研究ゾーンの国立長寿医療センターの誘致は大きな目玉でした。
大島:あいち健康の森構想の要となって動かれたのは鈴木先生だと伺っています。1985年に現在の国立長寿医療研究センターの前身となる国立療養所中部病院が、老人医療総合センターとして高齢者の病気を扱う医療体制をつくることを明言して、その後、あいち健康の森構想が具体的な形となり動き出したのは1989年のことです(表)。
年月 | できごと |
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1985(昭和60)年 10月 |
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1986(昭和61)年 1月 |
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1986(昭和61)年 6月 |
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1986(昭和61)年 9月 |
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1987(昭和62)年 6月 |
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1987(昭和62)年 9月 |
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1988(昭和63)年 1月 |
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1988(昭和63)年 2月 |
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1989(平成元)年 3月 |
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1989(平成元)年 5月 |
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1989(平成元)年 11月 |
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1989(平成元)年 12月 |
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1990(平成2)年 1月 |
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1990(平成2)年 4月 |
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1994(平成6)年 12月 |
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1995(平成7)年 7月 |
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1997(平成9)年 10月 |
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1997(平成9)年 11月 |
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1998(平成10)年 6月 |
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1998(平成10)年 10月 |
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1999(平成11)年 3月 |
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1999(平成11)年 12月 |
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2000(平成12)年 3月 |
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2001(平成13)年 4月 |
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2004(平成16)年 3月 |
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2005(平成17)年 4月 |
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2007(平成19)年 4月 |
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2010(平成22)年 4月 |
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2011(平成23)年 4月 |
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2015(平成27)年 4月 |
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※赤色:長寿科学振興財団関連
同年1989年、国は長寿科学研究の推進事業として長寿科学研究センター(国立長寿医療センター)の設立と、センターの支援と長寿科学研究の推進機関として長寿科学振興財団の設立の方針を決めました。そして同年12月、当財団が設立されたのです。その後、国立療養所中部病院をナショナルセンター(国立高度専門医療センター)にすると記者発表があったのが1999年で、10年後になるわけです。その間ずいぶんご苦労があったのではないでしょうか。
鈴木:当時は県をあげて、大府・東浦に健康のテーマパークをつくり、大きな医療構想の中に高齢者医療を中心とした施設をつくり上げていこうと気運が高まっていました。中部病院の存在は非常に大きいものでしたし、当時の愛知県医師会長の中村道太郎さんなども強く後押ししてくださって、いろいろと教えを受けました。大勢の方が賛同してくれたから、知事としては楽でしたね。
大島:当時の名古屋大学総長の飯島宗一先生もこの構想に関わったと聞いていますが。
鈴木:そうですね。本当に大勢の方が賛同してくれて、実にやりがいのある仕事でした。資金面に関しても、県は惜しみなく認めてくれましたから、非常にやりやすかったです。
6番目のナショナルセンターとして国立長寿医療センターが開設
大島:国立長寿医療センター(現・国立長寿医療研究センター)は6番目のナショナルセンターとして2004年に開設しました。一番新しいナショナルセンターです。構想ができた当時、ナショナルセンターは東京の国立がんセンターと大阪の国立循環器病センターの2つしかなくて、その後いくつか開設して、今は6か所のナショナルセンターがあります。
長寿医療のナショナルセンターの誘致を希望する自治体は20以上もあり、最終的に愛知県、滋賀県、京都府の3か所に絞られました。センター誘致に関して、愛知県が積極的に国に働きかけていたのと同時に、京都府と滋賀県もかなり熱心だったという話を聞きましたが、いかがでしょうか。
鈴木:そんな話があったようですが、愛知県には県をあげての盛り上がりがあったので、当時は心配しておりませんでした。愛知県は誘致に関して、立地条件も資金も気運も何もかもそろっていましたから。苦労もありましたが、当然やるべき責務がありましたからね。楽観しているというよりも安心して突き進むことができました。
大島:そうでしたか。私は国立長寿医療センターの総長として赴任したあと、ナショナルセンターを大府の地につくるために鈴木先生がどれほど骨を折られたかという話を多方面から聞きました。そうすると、大きな意味で県も医師会も他の医療団体もこぞって協力してくれたということですね。そういう事実はきちんと記録に残しておきたいですね。
財団とセンターはともに長寿科学の発展に進む
大島:国立長寿医療センターの設立の支援と長寿科学研究の推進団体として、1989年に長寿科学振興財団ができて、その後、2004年に国立長寿医療センターが開設しました。2010年には国立長寿医療センターは独立行政法人化され、また長寿科学振興財団も2011年に公益財団法人に移行し、法律上は財団とセンターは切り離された形ではありますが、長寿科学研究の発展と振興に向けて互いに協力して進んでいくべきと考えています。
財団の設立にあたっては、県から21億円もの大きな資金を提供いただき、また、昭和天皇一周年祭には、天皇・皇太后両陛下より、昭和天皇のご遺産から御下賜金も贈られ、多方面から手厚い支援をいただいて今の財団があります。
鈴木:県をあげての事業でしたから、それくらいの支援は当然のことですね。
大島:2004年に国立長寿医療センターの開設記念式典が常陸宮殿下と妃殿下をお迎えして行われました。そのときは次の知事に代わっていたこともあり、鈴木先生のご出席がありませんでした。当時私はセンターに赴任したばかりで、式典の内容に関与することがなかったのですが、何年か経ってあとでセンター開設の経緯を知り、開設記念日の式典に鈴木先生のご出席がなかったことは、これはいかんと痛切に感じました。
鈴木:それはありがとうございます。いつもマスコミには大きく取り上げていただいて、一言で言えば恵まれておりましたね。
先人の努力に感謝する気持ちを忘れずに
大島:鈴木先生の話を聞くと、「恵まれていた」という言葉が多く幸せだったという思いが伝わってきます。鈴木先生は今年92歳、十分にご高齢という年齢となられますが、年を重ねていくということはどんな感じでしょうか。私は今75歳で、とても90の域には達していませんが、それでも年を取っていくことに対していろいろな考えがあります。
鈴木:年を取ることは、なかなかしんどいですね。私の場合は、圧迫骨折などがありますから。
大島:年を重ねると、肉体的にはいろいろな病気や衰えは避けられないですね。しかし、肉体的な衰えと一緒に心も弱っていくのかというと、また話が違うようです。100歳以上の方に話を聞くと、今が一番幸せだと言う方が多いそうです。
鈴木:そうですか。それは人によるのでしょうか?
大島:そうですよね。私もそうなのかと思って話を伺っているのですが、そんな心境になるかならないかは、100歳まで生きてみないとわからないですね。
鈴木:100歳まで元気に生きることは、なかなかむずかしいことだと思います。私としては、たくさんの協力を得て事を成し遂げるべく進んでいくときがやはり一番幸せですね。
大島:鈴木先生はずっと行政畑を歩んでこられて、知事として動き始めたのが50代でした。50代は体も動くし、頭も働くし、トップとして理想の実現に向けて邁進されてきたのですね。
今は本当に長寿時代です。鈴木先生の若いころの平均寿命50歳の時代から今は80歳を超えて、90歳、100歳もめずらしくなくなりました。こういう時代に入り、これまでの長い人生から見て、若い人たちへのアドバイスがあれば伺いたいです。
鈴木:それほど偉そうなことを言える立場ではないですし、まだ92歳でたいした年齢でもありませんが、「馬齢を重ねる」という言葉がありますね。まったくその通りで、振り返ってみたら、死なずに生きておったということです。私が若いころは、長生きすることは本当に大変でむずかしいことでした。
若い世代にひとつ言えることは、長生きするのが当たり前だと思ってはいけないということです。みんなの総合戦力で今日の長寿社会を迎えているわけです。先人の努力が今日の社会を形づくっているのですから、それをおろそかにはできませんぞ、ということです。先人の努力に感謝する気持ちを忘れずに持っていれば、社会がうまく進んでいくのではないでしょうか。
大島先生には財団の理事長として、理想の長寿社会の実現に向けてぜひとも事業を発展させていただきたいです。
大島:私もずいぶん年ですが、鈴木先生のような大先輩を前にしてもうやれないなんて言えません。まだまだ動けるうちは頑張っていきたいです。本日はありがとうございました。
(2021年7月発行エイジングアンドヘルスNo.98より転載)
対談者
- 鈴木 礼治(すずき れいじ)
- 元愛知県知事、愛知県社会福祉協議会名誉会長、愛知県国際交流協会顧問
1928年生まれ。名古屋大学経済学部卒業。自治省に入省。愛知県教育長、同県副知事を歴任する。1983年愛知県知事に初当選、1999年2月まで16年4期にわたって知事を務めた。2000年勲一等瑞宝章を受章。2011年名誉愛知県民章を受章
編集部:鈴木礼治さんは、2022年8月15日に老衰のためご逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。
- 大島 伸一(おおしま しんいち)
- 公益財団法人長寿科学振興財団理事長、国立長寿医療研究センター名誉総長
1945年生まれ。1970年名古屋大学医学部卒業、社会保険中京病院泌尿器科、1992年同病院副院長、1997年名古屋大学医学部泌尿器科学講座教授、2002年同附属病院病院長、2004年国立長寿医療センター初代総長、2010年独立行政法人国立長寿医療研究センター理事長・総長、2014年同センター名誉総長。2020年7月より長寿科学振興財団理事長
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