地域福祉で安心まちづくり(森 貞述)
公開日:2024年5月 1日 09時00分
更新日:2024年8月13日 15時17分
こちらの記事は下記より転載しました。
シリーズ第9回長生きを喜べる社会、生きがいある人生をめざして
人生100年時代を迎え、一人ひとりが生きがいを持って暮らし、長生きを喜べる社会の実現に向けて、どのようなことが重要であるかを考える、「長生きを喜べる社会、生きがいある人生をめざして」と題した、各界のキーパーソンと大島伸一・公益財団法人長寿科学振興財団理事長の対談の第9回は、前愛知県高浜市長、日本社会事業大学監事の森貞述氏をお招きしました。
問題解決型で総合的に対処していく
大島:今回の対談には前愛知県高浜市長の森貞述さんにお越しいただきました。森さんは1942年高浜市生まれの81歳。家業のしょうゆ醸造業に従事された後、高浜市議会議員を経て、1989年から2009年まで高浜市長を5期20年務められました。1989年の「高齢者保健福祉推進十カ年戦略(ゴールドプラン)」をきっかけに、「これからは福祉の時代。安心して年をとれる高浜に」と、森さんのリーダーシップの下、高浜市は「福祉のまちづくり」を基盤に次々と改革を進められました。私は2004年に国立長寿医療センターの総長に就任し、当時センターの改革が大きな課題でした。そんな中、森さんが高浜で面白いことをやっていることが伝わってきて、ぜひ森さんに一度話を聞いてみたいと高浜を訪れたのが出会いです。森さんは大学卒業後、市議会議員や市長になられる前に家業に就かれていますね。
森:父も公職をやっていたので、長男の私が家業のしょうゆ醸造業を継ぐことになりました。経営する中で一番に考えたのは、「自分の店の強みは何か」ということでした。商品構成や販売先はどうするか。例えば名古屋地域ではうどん屋が多く、うどんをよく食べますから、うどんの汁用の白しょうゆに重点を置こうと決めました。販売先で力を入れたのは、これから需要が増えるであろう給食です。自分の店で何ができるか、何を伸ばせばいいかを常に考え、仕事を続けてきました。
大島:いわゆる問題解決型の考え方ですね。問題を明確に捉え、問題解決に総合的に対処していく。顧客を満足させながら、いかに業績を伸ばすか。それは、おそらく高浜市長としても実践されてきたことで、だからこそ大胆な改革を行えたのだと思います。高浜は「福祉のまちづくり」として注目されてきましたが、どのような思いで改革を進めてこられたのか伺いたいです。
森:まず1つ「福祉のまちづくり」と皆さんによく言っていただくのですが、実は「福祉でまちづくり」なんです。まちづくりの手段、ツールとしての「福祉」です。
大島:「の」ではなくて「で」ですか。「福祉」は手段、目的は「まちづくり」なんですね。
マイナーリーグからメジャーリーグへ~介護保険をチャンスに~
森:碧南市、刈谷市、安城市、知立市、高浜市は「碧海5市」と呼ばれ、昔から歴史的・経済的に強い結びつきがあります。例えば、財政的に豊かな碧南市には火力発電所、刈谷市と安城市には自動車産業があります。その中で、「高浜の強みは何か」という問題意識を持ちました。高浜市は瓦を中心に窯業が盛んで、「日本三大瓦産地」に数えられる三州瓦の主産地です。これを伸ばしていくことが1つありますが、もともと産炭地が落ち込んだ時に高浜に移住し窯業に就職された経緯がありますので、思うほど人口が増えませんでした。そんな中で、昭和45(1970)年に「市制特例法」が施行されて、5万人以上でなければ市になれなかったのが、条件を満たせば3万人以上で市になれるということで、高浜は町から市になりました。
大島:なるほど。特例で市に移行できたわけですね。
森:市になったものの、財政は厳しく、人口は伸び悩み、産業構造の課題も多い状況でした。財政力指数1.0を上回れば豊かな自治体ですが、当時高浜は0.9~1.0未満。他の碧海4市は財政が豊かで1.0以上。高浜市は他の市が行ったことに後からついていく。私たちはマイナーリーグでメジャーリーグでない。ではメジャーリーグになるにはどうすればよいか。あらゆるものに手を広げるとどうしてもお金が散らばるので、強いところに重点を置き、そこで抜きに出て先頭集団を走ろうと考えました。そこで考えたのが「福祉」を強く意識したまちづくりでした。そのような時にタイミングよくスタートしたのが2000年の地方分権制度と介護保険制度です。職員を鼓舞するためにもいい機会でした。
介護保険は地域経済の活性化につながる
森:介護保険制度は「地方分権の試金石」と言われるくらいインパクトがありました。この新しい制度の中で知恵を出し考え、住民の皆さんのご意見を聞きながら、高浜の一番の強みをつくっていこうと考えました。
大島:介護保険制度は自治体の裁量権や役割が大きいので、居住地域によってサービスに地域格差があるといいますね。それを他の自治体と差別化を図るいいチャンスと捉えたわけですね。介護保険制度導入時、介護保険はどのように受け止められていたのでしょうか。
森:市長会でよく聞かれたのは「介護保険は第二の国保(国民健康保険)になる」という言葉でした。介護保険は国保と同じく自治体が保険者です。財源が足りなければ国保のように一般会計からお金を入れることになるのではないかという声が多かったですね。
大島:介護保険でまた1つ余分な荷物を背負い込んだという声が、他の自治体では圧倒的に多かったということですね。
森:もう1つ、介護保険は「保険あってサービスなし」と言われていて、要するに「地域にサービスがなくて、保険料だけ徴収される」ということです。
大島:確かに2000年当時はそういう面はあったかもしれません。高齢化率は17~18%で、要介護者自体がまだ少ない段階で40歳から保険料を払うという状況でしたから。
森:当時は家族介護の風習がまだ残っていました。そういう中で、高浜は介護サービスに特化しようと1997年にできた福祉自治体ユニットに参加し、職員と共に力をつけていきました。その時、講師の先生に教えていただいたことがあります。「福祉は金食い虫と言われるが、決してそうではない。道路や橋などはコンクリートと鉄があればできるが、お金は本社がある大都市に流れていく。一方、介護保険は地元にお金が落ちる。例えば、ヘルパーさんは給料をもらうと地元の小売店で使う。特養(特別養護老人ホーム)や老健(老人保健施設)があれば、地元の業者から食材を仕入れ、地元が潤う」と。国保のように「財政を圧迫する」と言われていた介護保険は、実は地域にお金を落とし、地域経済を活性化させるという大切なことを教えていただきました。
大島:それは大切な視点ですね。おそらく介護保険が始まる前にそれに気づいていた人は少ないと思います。介護保険が始まってしばらくしてから要介護率がだんだん高くなって、介護保険サービスのありがたみがわかる。それがうまく循環すると、お金が地域へ落ちる。しかし、それが実感できるようになるのは、介護保険ができてから10年~20年先でしょうか。
森:そうですね。高浜ではすぐに介護保険のありがたみを感じてもらえるように、市の介護保険審議会で日本福祉大学の先生に座長をお願いし、住民の皆さんの意見を聞きながら、介護保険導入前に介護サービスの土台をつくりました。「保険あってサービスなし」の状況を何とかしなければいけないと先手を打ったのです。
介護保険導入前に介護サービスの基礎を築いた
森:私が市長に就任した平成の初め1989年から1990年代前半に話は戻りますが、当時、市が抱えていた課題は三河高浜駅前の再開発事業でした。都市計画では駅前に商業施設をつくることになっていましたが、人口5万人を目指すも思うように増えません。そこで商業に区切りをつけ、都市計画を商業系から住宅系に変更しました。その時、もう1つ計画したのが、介護福祉士と作業療法士を養成する専門学校を駅前に誘致することです。誘致には大変な苦労がありましたが、介護人材がこれから必要になることがわかっていましたから、必ず報われると信じて走りました。市長就任から実に7年かかりましたが、1996年日本福祉大学高浜専門学校が開校しました(その後、日本福祉大学に統合され2010年閉校)。同時に県立高浜高等学校の家庭科を福祉科に改組することを県の教育委員会に働きかけ、1995年に実現しました。高浜で人材を養成し、高浜だけでなく全国の福祉の現場で活躍してもらうことで、介護の質を上げ、利用者の幸せにつなげようと考えました。
大島:平成の初めというと、介護保険制度が始まる10年前。高齢化率も12%ほどで「高齢社会」の入り口ですから、先見の明があったということでしょう。
森:ありがとうございます。他には、市が土地を無償で提供して1993年に特養、1998年に老健を開設しました。富山型デイサービスの惣万佳代子さんに倣って子どもと高齢者が一緒に過ごせる宅老所もつくり、ヘルパーや地元の人を雇用する取り組みをしました(1998年)。サービス面では24時間態勢の巡回介護(1996年)や市内の飲食店の協力で365日給食サービス(1996年)も始めました。それらは職員の積極的な発意があり実現しました。
大島:介護保険導入前に高浜では介護サービスの基礎がしっかり築かれていたのですね。介護サービスは国である程度の形をつくっていると思いますが、実際にサービスの内容は自治体によってかなりの差があったのでしょうか。
森:自治体が保険者としてサービス体系に上乗せサービスや横出しサービスを付加するかどうかです。例えば、高浜ではホームヘルパーとデイサービスのどちらを希望するか住民に意識調査をしたところ、土地柄もあってホームヘルパーが自宅へ入ることに抵抗があるという結果でした。それならデイサービスの方が需要があるだろうと、介護保険がスタートしてすぐに次のデイサービス開設に向けて動き始めました。同時に24時間のホームヘルプサービスも始めました。世間体が気になって昼間にヘルパーが入るのは嫌という声を裏返すと、夜間であれば抵抗がないかもしれない。ヘルパーが夜に訪問することは実際に多くないですが、サービスがあるということが大切です。このようにいろいろな手立てを講じてサービス体系をつくっていきました。
大島:介護サービスがこれだけ充実していると、介護保険料も高かったのではないですか。
森:おっしゃるとおり、サービスを積み上げたら、当時、東海3県で一番高い保険料になりましたが、サービスが充実しているから保険料が高くなっていることを丁寧に説明し、住民の皆さんにご理解いただきました。皆さんによく話したのは「サービスがあることの安心感」です。
介護サービスに差があるから保険料が違う
大島:介護保険の最近の動向についてどう思われますか。導入から24年が経ち、明らかに次のステージに入りました。高齢化率が30%に近づき、少子化も極端に進んでいます。しかもここ最近のインフレです。こういう状況の中で介護保険はどうなるのでしょうか。
森:一時、介護保険料8,000円を超えると言われましたが、介護保険料8,000円は相当インパクトがあったと思います。高齢者が増えれば利用するサービスも増えるので、いずれはその水準に達するかもしれません。もう1つ、最近増えてきたサ高住や住宅型の有料老人ホームはある面では終の棲家になるので、当然保険料に跳ね返ってくると思います。
大島:今、森さんが市長だったらどうされますか。
森:問題なのは、介護サービスが充実していないのにそれを伏せて、保険料だけ徴収することです。「サービスをたくさん用意しました。サービスを利用する方、老健や特養に入所する方、そこで働く職員も皆ハッピーになるために、この保険料が必要です」と皆さんに納得していただく。これしかありません。「サービスに差があるから保険料が違う」ということを理解していただくことです。そのために介護サービスは何を充実させ何に重点おくか、見極めが大切です。直近3年間の我がまちのサービス利用状況を一度分析するといいと思います。
高浜には人材を受け入れ育てる風土がある
大島:森さんは高浜を持続可能なまちにするために何が必要かを誰よりも真剣に考え、高浜を引っ張ってこられたと感じます。改めて市長5期20年を振り返っていかがでしょうか。
森:私がどんどん新しい政策を出すのでついていけないと職員にはよく言われたものです。周回遅れの時代が長かったので、何とかして先頭集団に入りたいという気持ちが強くあったんですね。我慢してついてきてくださった職員の皆さんに改めて感謝しています。
私は高浜には「外から人を受けて人材を育てる」という風土があると思っています。戦前、高浜には海員養成所がありました。他の地域から高浜に移り住んで、船乗りとして巣立っていったという歴史があります。そのことを踏まえて平成の初めの時代、これからの高齢社会を担う介護人材を高浜で養成して巣立ってもらうことを考えて、日本福祉大学高浜専門学校と県立高浜高等学校の福祉科の設置に力を入れました。海員養成所という土壌があったから、高浜で人材を育てることにつながりました。よそから人が入ってくることで賑わいが生まれます。再開発の1つの目的は「まちの賑わいをつくること」ですが、その賑わいは学ぶ人でもいいと思っています。
大島:よそから来た人が起爆剤となって、まちの賑わいをつくるということですね。
森:介護人材が豊富で介護サービスも充実していれば、あのまちに住みたいと介護移住も起こりえます。今、高浜市長さんは将来を展望して子育て・子育ち政策を推進しておられますので、若い世代の移住も増えました。私が市長に就任した頃は人口3万3,000人弱だったのが今4万9,000人強となり、目標だった5万人も目前となっています。
大島:その種を蒔いてきたのは森さんですよね。これからも豊富な知識と経験をもって後進を導いていただければと思います。本日は貴重なお話をありがとうございました。
対談者
- 森 貞述(もり さだのり)
- 前愛知県高浜市長、日本社会事業大学監事
1942年生まれ。1965年慶應義塾大学商学部卒業。愛知県食品工業試験所で醸造学を学ぶ。1966年家業のしょうゆ醸造業に従事。1987年高浜市議会議員に当選。1989~2009年高浜市長。1997年福祉自治体ユニット代表幹事、2001年特定非営利活動法人地域ケア政策ネットワーク監事などを歴任。
- 大島 伸一(おおしま しんいち)
- 公益財団法人長寿科学振興財団理事長
1945年生まれ。1970年名古屋大学医学部卒業、社会保険中京病院泌尿器科、1992年同病院副院長、1997年名古屋大学医学部泌尿器科学講座教授、2002年同附属病院病院長、2004年国立長寿医療センター初代総長、2010年独立行政法人国立長寿医療研究センター理事長・総長、2014年同センター名誉総長。2020年7月より長寿科学振興財団理事長。2023年瑞宝重光章受章。
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