第1回 これからの住まいは狭いほうが暮らしやすい
公開日:2018年5月24日 11時16分
更新日:2020年2月26日 14時03分
天野 彰(あまの あきら)
建築家
住まいは"せまい"と読む?
住まいの問題点は"狭い"ことである。私は「都市の住すまいは"せまい"と読む!」といっている。広くすればコストは嵩かさみ、経済的に狭くなる。広さを求めて遠くのそのまた遠くへ引っ越せば、通勤通学に時間がかかり、付き合いがなくなり、世間が狭くなる。老いて広ければ暖房費が嵩み、何より寂しい。まさに現代社会の住まいは"せまい"でいいのである。ましてや老いて掃除のために人生を費やしてもいけない。家の手入れに貴重な老後資金を食われてもいけない。つまり家にかけがいのない人生を拘束されてはいけないのである。
利便性が高いIT時代の住まいは、かつてほどスペースを必要としない。食料を多く買い込む必要もない。テレビも薄く、パソコンもパッド1枚で済む。蔵書も思い出のアルバム以外は必要としない。住む場所の無駄なスペース、無駄な空間を"空ける"ことである。
その「空間」とは"空"の"間"のことである。もともと日本の住まいの思想には、この"間"が重要で、それは"空"をつくるための柱と柱の間である。つまりその柱の間は何もない"空"なのだ。これこそが真の意味のspaceで、私たち日本人はこの仕切りのない屋根だけの「傘の家」の"空"を自在に操って暮らしてきた。
近年、急激に西欧化が進み、分厚い壁に囲まれた「箱の家」と化し、その壁に囲まれた空間はまさしく「部屋」となり、それぞれ特定の用途のあるroomとなった。その部屋が連続する家は、家族が育ち出ていって、その後はまるで抜け殻のような家に老いて暮らすことになる。
なにやらむずかしそうな話になったが・・・、なんてことはない。私たちが生まれ育ったほんのこの間の家を思い出せばいいのである。それは"人"が何かをする"場と所"が優先で、それを「間取り」と称していた。その原点はあくまで「人のすること」「活きていくこと」で、そこが炊事場であり風呂場であり、さらには寝所に便所であった。
今、広く使いにくくなった家に住む人は、自分のために"活きるため"の"場と所"を考え、家をリフォームすることが何よりも得策だ。といっても何も大袈裟なことではなく、壁や間仕切りを取り払って開放し、最小限のわが"場と所"をつくればいい。余ったスペースは下宿やアパートとして人に貸すなり、子ども家族が使える場として残しておいてもいい。戸建てなら一部を壊して貸ガレージにするなり、半分を売ってコンパクトに建て替えてもいい。この先に何が起ころうとも身軽に柔軟に活きていくのだ。
このコンパクトな家とは、囲いのないワンルームをイメージすればいい。ひところ投機目的の一部屋マンションがあったが、ここでいうワンルームとは隔てのない自在に暮らせる家をいう。プライバシーが必要な時、いずこから仕切りや目隠しが現れ、仕切られる"時"を優先した豊かな空間となる。まさしく「食う寝るところ住む処」の熊さん八っつぁんの、あの九尺二間の江戸の裏長屋の暮らしで、家族に"時"があった頃の家の再現となる。この"時"の"間"こそ「時間」で、個になりたい時、日常的の時、病気や来客の非日常の時、さらには家族の変化、老いて不自由になった時など、ライフサイクルにも柔軟に適応する。なんと江戸の裏長屋では枕屏風1つで見事に演じられていたのである。それを今は襖や障子などで自在に仕切ればいい。これこそわが国で固有に培われた住まいの本質である。
減築で「狭楽しく」住む
狭さ広さの感覚であるが、私はこの忘れかけられた先人たちの偉大な設計手法をおおいに参考にさせてもらっている。あの竜安寺の石庭の"遠近法"による空間拡大の錯視(さくし)は見事なもので、その平面計画と視覚心理は、まさにトリックともいえる。玄関から庭が見える位置から長辺の塀、そして突き当たりの短辺の塀の高さがコーナーに向かって徐々に低くなっている(写真)。そのため、互いの辺の距離は遠くに感じられ、囲まれた石庭は実際より広く感じられる。
そればかりか庭と客人の位置関係がダイアゴナル、すなわち対角線の位置にある。塀の高さの立体的な遠近手法に加え、辺より√2倍の奥行きを感じさせるダイアゴナル平面手法を用いてもいる。私の「ダイアゴナル平面計画手法」(図1)もこの庭から生まれたものだ。
冒頭の都市の住(せ)まいを考えると、どこも誰にとっても狭い。しかも狭"苦"しい。しかし、広い家は経済的に狭く、郊外に越せば世間が狭くなる。この"三つ巴の狭さ"からは永遠に逃れることはできない。ならば、この狭苦しさの"苦"さえ取り除けば"楽"になる。さらにはもっと"楽しく"すればよい。これが「狭楽しさ」の発想となった。
この手法は、さっそくある都市の家の増改築に用いた。敷地いっぱいに建つ家をさらに増築をしようという。見ると家の北側に物置同然の部屋がいくつもあり、閉塞状態の家で風通しも悪い。そこで提案は、増築どころか「北の真ん中の部屋を取り除きましょう」というものだ。結果、中庭ができて風も光も入り、残された部屋がみんな生き返った。まさに「減築」 の手法は、この「狭楽しさ」の発想から生まれたのである(図2)。
さあ、今、元気に動ける間に、思い切って広すぎる「箱の家」 の壁を空け、部屋を空け、スケルトンにして、改めて自分が活きていくための自在な「場」と、這ってでも行ける「所」をつくろうではありませんか!!
筆者
- 天野 彰(あまの あきら)
- 建築家。一級建築士事務所アトリエ4A主宰。建築家集団「日本住改善委員会」を組織し、生活に密着した住まいづくりやリフォーム、医療・老人施設までを手がける。設計の傍らTV、講演、雑誌と多方面で活躍。
著書
『六十歳から家を建てる』(新潮選書)、『脳が若返る家づくり 部屋づくり』(廣済堂)など多数
転載元
公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌 Aging&Health No.73