就業と健康長寿
公開日:2020年3月31日 09時00分
更新日:2024年8月14日 10時52分
小池 高史(こいけ たかし)
九州産業大学地域共創学部 准教授
はじめに
近年、高齢期の就業継続による健康長寿の延伸に注目と期待が集まっている。実際に、就業による社会参加の維持という観点からも、就業の継続が健康長寿につながることを示す研究成果が多く生み出されている1)。しかしながら、就業と健康長寿の関係は、あわせて考えるべきことも多い複雑な問題である。単に「働いて健康で居続けましょう」というだけの話ではない。
第一に、就業は健康のためになるかという観点ではなく、就業のために健康であることが必要だという観点から、就業と健康長寿の関係を考えることができる。とくに経済学では、健康状態の労働供給への影響が研究テーマとなってきた。それらの研究では、ほぼ一貫して健康状態が悪くなると就業をしないことが多くなる傾向が示されている(図1)2)。
第二に、就業は経済状態の変化をもたらす。本人の経済状態(生活にゆとりがあるかどうか)は健康状態に大きく影響することが知られている。そのため、たとえ就業による健康状態の向上がみかけ上みられたとしても、その主要因は経済状態の向上である可能性も考えられる(図2)。
第三に、一口に就業といっても、世の中にある仕事の内容は非常に幅広いものがある。たとえ就業が健康長寿につながるとしても、どのような種類の仕事でもいいのだろうか。健康にいい仕事と悪い仕事がある可能性も考えられる。
以上の3点にくわえて、そもそも「ようやく仕事を辞められて、老後の時間を健康で長生きしたい」という願いが健康長寿を願う気持ちの中心になっている人も多いのではないだろうか。そうすると、仕事を継続しての健康長寿とは、本末転倒の話に受け取られてしまう可能性もある。
社会の期待と高齢者の就業意欲
国の社会保障費の抑制という観点からも高齢者の就業にかかる期待は大きい。生産年齢人口が減少するなか、高齢者が働き手となることで社会保険料を納める社会保障の担い手で居続けてもらえる。また、高齢者が働き続けることで、健康を維持し、医療費や介護費の支出が抑えられる。この2つの面から高齢者の就業が期待されている3)。
そして、高齢者の側にも働き続けたいという意向を持っている人が多いと説明されている。図3は、内閣府による2014年の「平成26年度 高齢者の日常生活に関する意識調査」4)における60歳以上の人の就業希望についての質問の結果と総務省の2017年(平成29年)「就業構造基本調査」5)における60歳以上の人の就業率を比べたものである。
まず、オレンジ色で示されている就業希望率をみると、60歳以上で就業を希望している人は、71.9%となる。さらに65歳~69歳の層で63.4%、70歳~74歳の層で47.6%である。
それにたいして、青で示されているのが実際の就業率である。60歳以上で実際に就業している人は、32.2%となっている。65歳~69歳の層では45.5%、70歳~74歳の層で29.0%である。
2つの結果をくらべると、60歳以上総数では、就業希望と就業率のあいだに40%近くの差があることになる。その差は、65歳~69歳の層で約18%、70歳~74歳の層で約19%となる(図3、表1)。
就業希望率 | 就業率 | |
---|---|---|
60歳以上総数 | 71.9 | 32.2 |
60~64歳 | 79.0 | 67.3 |
65~69歳 | 63.4 | 45.5 |
70~74歳 | 47.6 | 29.0 |
75~79歳 | 35.6 | 16.7 |
80歳以上 | 22.2 | 6.5 |
つまり、高齢者のなかで就業を希望していても、実際には仕事につけていない人が多く存在するということになる。高齢者の就業は社会的にも期待されており、高齢者の就業意欲も高い。誰にとってもいいことであるから、高齢者の就業促進を進めていくべきだというストーリーになっているのである。
しかしながら、就業意欲があるといってもやはりどんな仕事でもいいという人ばかりではないだろう。個々人にとって就きたい仕事と就きたくない仕事があるのは当然のことである。また、働き続けたいという意向は、あくまで「今の職場で」働き続けたいということである人も多いのではないだろうか。今の職場の人間関係から離れたくない、今所属している集団から離脱したくないという気持ちと、純粋に働き続けたいという気持ちをはっきりと分けることは難しいだろう。
高齢者の就業と健康状態
高齢期の就業と健康長寿に関する以上の前提を踏まえたうえで、高齢期の就業が健康状態に与える影響についての近年の研究の知見をみていこう。
海外の研究では、性別に関係なく70歳まで働いていることが健康度や日常生活の自立度の向上につながること6)や仕事を続けることが高齢者の身体障害や抑うつ症状を防ぐ作用をもたらすこと7)が報告されている。
一方で、ボランティア、就業、育児などの生産的活動とフレイル(虚弱)との関連を調べた研究では、有給の仕事や育児よりもボランティア活動がフレイル(虚弱)の予防につながることが示されている。この研究を行った研究者たちは、その要因として、有給の仕事や育児よりもボランティア活動が裁量の大きい活動であるからではないかと予想している8)。つまり、有給の仕事や育児は、本人たちが好んで行うことばかりではなく、仕方なく従事していることもあり、その場合には健康状態にあまりいい影響をもたらさないのではないかということである。就業も、本人が望んで従事することが健康につながるポイントといえるかもしれない。
また、健康と高齢期の退職の関係についての11の研究を比較検討した研究では、退職は高齢者の精神的な健康にいい影響がみられることが多く、反対に身体的な健康には悪い影響がみられることもあると述べられている9)。
日本における近年の研究では、高齢期の退職が精神的な健康と日常生活の自立度を悪化させるが、フルタイムの仕事からパートタイムの仕事に変わることでは悪化しないこと10)や男性高齢者の場合には就業が日常生活の自立度低下の防止につながるが、女性の場合にはつながらないこと11)、男性では高齢期の退職が抑うつ症状につながりやすいが、女性の場合には関連がみられないこと12)が報告されている。
一方で、高齢者の就業と3年後の健康寿命の関係を検討した研究では、就業が健康寿命に直接は影響しないことが示されている。この研究ではむしろ、健康状態や経済的な要因が高齢期の就業状態を規定するとされている13)。
海外においても日本においても、高齢期の就業が健康状態に与える影響についての研究では、その効果をどう評価するかにばらつきがみられる。限定的な影響しか認められないこともある。その背景には、国や地域によって高齢期の就業環境が異なることや、性別役割分業など高齢期の就業に限らない一般的な仕事についての社会的背景が異なることも影響しているだろう。当然、どういった仕事なのか、望んで従事しているのか、不本意なのか、どのように退職したのか(望んでの退職か不本意なものか)といったことで、就業の健康状態への影響の仕方も異なってくると考えられる。
おわりに
就業と健康長寿の関係は、あわせて考えるべきことの多い複雑な問題なため、単純に働き続ければ健康で居続けられるとはいえないのであるが、これまでの研究が示しているのは、本人の望むかたちでの就業はおおむね健康維持につながるということだといえるだろう。
近年、幸福な老いのために生命寿命(通常の意味での寿命)と健康寿命とともに資産寿命という言葉が注目されるようになってきた(図4)。資産寿命とは資金面の制約なく生活できる期間を意味するが、高齢期の就業は健康寿命だけでなく資産寿命にも資するものである。あらためて経済的な側面からも高齢期就業の重要性が増しているといえるだろう。
文献
- 南潮・藤原佳典:高齢者就労に関する先行研究 その1 高齢者の就労が健康に与える影響.公衆衛生 2015;79,555-558
- 小川浩:高齢者の労働供給.清家篤編:高齢者の働きかた.初版,ミネルヴァ書房,京都,2009,101
- 小池高史:働き続けることが社会を助ける.藤原佳典・小池高史編:高齢期の就業と健康 何歳まで働くべきか? 初版,社会保険出版社,東京,2016,56
- Hammerman-Rozenberg R, Maaravi Y, Cohen A, et al: Working late: the impact of work after 70 on longevity, health and function. Aging Clinical and Experimental Research 2005; 17, 508-513
- Wickrama K, O'Neal CW, Kwag KH, et al: Is working later in life good or bad for health? an investigation of multiple health outcomes. Journal of Gerontology: Psychological Sciences and Social Sciences 2013; 68B: 807-815
- Jung Y, Gruenewald TL, Seeman TE, et al: Productive activities and development of frailty in older adults. Journal of Gerontology: Psychological Sciences and Social Sciences 2010; 65B: 256-261
- van der Heide I, van Rijn RM, Robroek SJW, et al: Is retirement good for your health? a systematic review of longitudinal studies. BMC Public Health 2013; 13: 1180
- Minami U, Nishi M, Fukaya T, et al: Effects of the change in working status on the health of older people in Japan. PLoS One 2015; 10: e0144069
- Fujiwara Y, Shinkai S, Kobayashi E, et al: Engagement in paid work as a protective predictor of basic activities of daily living disability in Japanese urban and rural community-dwelling elderly residents: an 8-year prospective study. Geriatrics & Gerontology International 2016; 16: 126-134
- Sugihara Y, Sugisawa H, Shibata H, et al: Productive roles, gender, and depressive symptoms: evidence from a national longitudinal study of late-middle-aged Japanese. Journal of Gerontology: Psychological Sciences 2008; 63B: 227-234
- 渡部月子・藤井暢弥・櫻井尚子ほか:都市郊外在宅高齢者における就労と3年後の健康寿命との関連構造.社会医学研究 2014;31,131-140
筆者
- 小池 高史(こいけ たかし)
- 九州産業大学地域共創学部 准教授
- 略歴
- 2012年 横浜国立大学大学院環境情報学府博士課程修了、2012年 東京都健康長寿医療センター研究所 非常勤研究員、2013年 日本大学文理学部社会学科 助手、2016年 九州産業大学国際文化学部 講師、2018年 九州産業大学地域共創学部 講師、2019年 同 准教授(現職)。
- 専門分野
- 社会学、社会老年学