産官学連携でつくる「長生きを喜べる長寿社会」
公開日:2022年6月23日 09時00分
更新日:2024年8月13日 16時45分
近藤 克則(こんどう かつのり)
千葉大学予防医学センター社会予防医学研究部門教授
国立長寿医療研究センター老年学・社会科学研究センター老年学評価研究部長
こちらの記事は下記より転載しました。
はじめに
公益財団法人長寿科学振興財団が、新しいビジョンとして「長生きを喜べる長寿社会の実現~生きがいのある高齢者を増やす~」を主課題として掲げ、令和4(2022)年度から「長生きを喜べる長寿社会実現研究支援事業」を開始した。これには重要な2つのメッセージが込められていると考えられる。1つは、不健康や不安など「マイナス」「ネガティブ」の側面だけでなく、健康や生きがいなど「プラス」「ポジティブ」な側面に光を当てたこと、もう1つは、実現を目指しているのは「個人」の「長寿」だけでなく「長寿社会」であることである。小論では、この2つメッセージの意味を考え、その実現に向けた産官学連携の必要性を考える。
医学とポジティブ(Positive)心理学と長寿科学
医学・医療の歴史を紐解けば、疾病に代表される病・老・苦などに陥った人たちを救おうとする実学として始まった。まずは不健康や不安など「マイナス」「ネガティブ」の側面に着目し、その原因を探り、緩和し、治療して回復する技術を確立してきた。一方で、治療で完全回復できないことが多いことにも気づき、やがて予防できるものは予防しようとしてきた。しかし、どちらも、マイナスをゼロに戻す、あるいはゼロを保つための科学であった。やがて、プラスを大きくするような、健康増進という考え方がでてきた。
心理学でも、不幸や不安などネガティブな心理的現象から研究が進んできた。しかし、不幸・不安などネガティブな心理の度合いが小さいことは、幸せ・楽しみなどポジティブな心理の度合いが大きいことを必ずしも意味しない。「幸せすぎて不安」もあれば、「うつ傾向・状態だが将来の楽しみはある」という高齢者は19.5%もいる1)。つまり、「ネガティブ」な心理の反対が「ポジティブ」という一軸の関係ではなく、ネガティブとポジティブとが併存しうることに気づいた。そこで従来の「ネガティブ」な側面に着目する心理学に対して、幸福や喜び、生きがいなどポジティブな心理に光を当てるポジティブ心理学が提唱された2)。
従来の老年学や老年医学は、加齢に伴うネガティブな側面に留まらず、ポジティブな側面について、果たして、十分に研究してきたであろうか。長寿科学は、「不健康」「不安・孤独」などのネガティブな側面の研究に留まらず、「健康」「生きがい」など、ポジティブな側面にも光を当てる。そのことが「長生きを喜べる長寿社会の実現~生きがいのある高齢者を増やす~」という財団のビジョンや「長生きを喜べる長寿社会実現研究支援事業」には期待されていると考える。
個人と社会・環境、エコシステム
社会や集団は個人の集合体ではない。だから個人を研究するだけでは、社会・集団のことはわからない。例えば、新型コロナウイルス感染症の流行によって、「集団免疫」という言葉を多くの人が聞くようになった。ワクチンは、接種した人にしか効かないように思えるが、実は違う。人口・集団の7~8割など、多くの人が予防接種をすると、大流行が起きにくくなる。すると、接種していない人まで、感染するリスクが減る。これが「集団免疫」の力である。属する社会や集団の状況・制度によって、同じ個人でも守られてリスクが減ったり、リスクにさらされて生きづらくなったりする。個人は社会・環境から影響を受けている。
1人ひとりがワクチンを接種したかどうかを調べても、その人が属する集団が集団免疫を得ているかどうかはわからない。このように社会や集団については、個人レベルだけでなく社会や集団レベルを分析単位とする生態学的な研究もしなければわからないことはめずらしくない。森は木の集合というだけでなく、その中に暮らす動物・鳥や微生物などの生態系の力によってなりたっている。だから「木(個人)を見て森(社会)を見ない」研究をいくらしても、それだけでは森(社会)のことは十分にはわからないのだ。WHOもHealthy Ageing(健康的な加齢)は、個人の持つ内在的な能力(intrinsic capacity)だけでは決まらず、機能が落ちてくる段階であるほど、まわりの環境の影響を大きく受ける機能的能力(functional ability)によって決まるとしている3)。
つまり、「長寿社会」という<森>を実現するには、「個人」という<木>を対象にした研究だけでは不十分である。<木>も<森>も見て、多様な生き物や植物などが環境との相互作用や依存関係を形成しながら生態を維持する、複雑な関係(エコシステム)を研究し設計しなければ、「長生きを喜べる長寿社会の実現」はできないだろう。
日本老年学的評価研究(JAGES)の知見から
「ネガティブ」な側面だけでなく、「ポジティブ」な側面に光を当てる研究が期待されていること、「個人」レベルだけでなく「社会」レベルのエコシステムの研究や実現が期待されていることを述べた。
われわれが取り組む日本老年学的評価研究(Japan Gerontological Evaluation Study: JAGES)の成果からうつや幸福感を用いた研究事例を挙げてみよう。まず、うつというネガティブな側面と、幸福感というポジティブな側面の関連について、次に社会レベルの環境が重要であることについて、WHOが「高齢者に優しいまち」(Age Friendly Communities: AFC)4)で重要とする8分野の中から「屋外スペース」「社会参加」「コミュニケーションと情報」の3分野の例を取り上げる。
1. うつとポジティブな心理
JAGES2006年度調査に参加した高齢者15,726人を対象に、高齢者うつ尺度Geriatric Depression Scale(GDS)15項目版で5点以上であったうつ傾向と「将来の楽しみ」の有無と所得が健診受診率とどのように関連するのかを分析した。その結果、うつ傾向3,655人のうち「将来の楽しみ」ありは1,561人で42.7%であった。うつと「将来の楽しみ」の両変数間に多重共線性がないことを確認し、モデルに同時投入して男女別にロジスティック回帰分析をすると、うつは有意でなく、「将来の楽しみ」ありの者で、ない者より健診受診が1.45倍多いという統計学的に有意な関連を示した1)。つまりネガティブな心理である「うつ」があることは、必ずしもポジティブな心理の1つである「将来の楽しみ」がないことを意味せず、独立した関連を示した。
JAGES2019-20年度調査に参加した66市町村の要介護認定を受けていない高齢者約25万人を対象に、うつ傾向の者の割合を横軸に示した(図)。一方、縦軸には「あなたは、現在どの程度幸せですか」と尋ね、「とても幸せ」を10点、「とても不幸」を0点として回答してもらい、8点以上と回答した人の割合を示した。幸福感が8点以上の者の割合は、前期高齢者で34~54%、後期高齢者で39~57%と、市町村間には18~20%ポイントの差が見られる。両者が一軸の正反対にあたるのであれば、相関係数はマイナス1となるはずである。しかし相関係数は、前期高齢者で-0.764、後期高齢者で-0.696となり、決定係数はその二乗だから0.58~0.48となる。つまり幸福感がある者の割合は、うつありの割合で5~6割は説明できるが、残りの4~5割は説明できず、両者は一軸でなく異なる側面がある(および測定誤差がある)ことがわかる。
2. 屋外スペース~歩きやすいまち
次に社会レベルの環境が重要である例を3つ挙げる。1つ目の「屋外スペース」などの環境要因の中では、緑が多い、歩道があるなどのウォーカビリティ(歩きやすさ)が重要であることを示唆する報告が増えている。例えば、全国41市町881近隣地区在住の高齢者126,878人を対象に、居住地域内の緑地の多さとうつとの関連をマルチレベル分析した結果、緑地が多い地域に暮らす高齢者ではうつが10%少なかった5)。もっとも科学的妥当性が高いとされるシステマティックレビュー6)においても、ウォーカビリティが高齢者の身体活動量の多さと関連を示すことが報告されている。
3. 社会参加
2つ目の「社会参加」については、JAGESが全国23市町と共同実施した調査で要介護認定を受けていない65歳以上高齢者90,889人にその種類や数を尋ねた。日常生活動作に制限がない高齢者に限定して約3年間追跡し、要介護認定発生との関連を検証した結果、参加グループの種類の数が増えるにつれて、男性で26~40%、女性で16~33%と要介護リスクが低いことが明らかになった。さらに、狭義・広義の通いの場を含む14種類の社会参加先では、男性で8種類、女性で11種類の介護予防を目的としない就労や地域行事を含む社会参加で要介護リスクが低いという関連がみられた7)。
また、JAGES2013、2016、2019年度調査に参加した延べ289市区町村に居住する442,079人のデータを用いて、個人レベルと地域レベルの7要因の関連を調整(考慮)して分析した。その結果、スポーツや趣味の会などへの参加者割合が多い市区町村で、10点満点の幸福感尺度で8点以上の幸福感が高い人が多かった8)。
つまり、社会参加している人ほど健康を保ち、参加者が多いまちには幸福な人が多い。参加は個人の要因として捉えることもできるが、例えば趣味の会や就労機会がその地域になければ、参加することは難しいので、参加者割合は地域環境として捉えることもできる。
4. コミュニケーションと情報
3つ目の「コミュニケーションと情報」については、月に数回以上ネットやメールを使っているかを尋ねると、利用者は年々増えており、2019年には、前期高齢者で72.7%、後期高齢者で46.5%が使っていると回答した。2016年のネット利用の有無で、3年後の2019年の健康状態に差があるのかを縦断分析した。その結果、うつでなかった高齢者に分析対象を限定しても、ネット利用あり群では、なし群に比べ、うつ発症は34%も少なかった9)。健康に関連する34指標で分析しても、社会参加を始める人が多いなど、複数の健康関連指標でよい結果が得られた10)。つまり、ネット利用しやすい環境づくりは、そこに暮らしネット利用する高齢者を増やすことを通じて、社会参加や健康の保持につながると考えられる。
研究から社会実装へ:産官学連携の必要性
「長生きを喜べる長寿社会の実現」には、以上のような研究から「屋外スペース」「社会参加」「コミュニケーションと情報」が高齢者の健康保持や幸福感に寄与するという知見を得るだけでは不十分である。それらを社会に実装しなければならない。となると、個人やボランティア、行政など単独の主体だけでは難しい。これらの社会環境はエコシステムだからである。
具体的には、緑豊かな歩きやすいまちをつくる不動産開発事業者や、ゴルフやフィットネスクラブをはじめとするスポーツ産業、カラオケやカルチャークラブなどいろいろな趣味を体験できるサービス事業者、高齢者でも使いやすいネット環境をつくる通信事業者やスマホ、アプリ開発事業者など、多様なサービス・商品を提供している民間事業者・産業界抜きには、そのような環境づくりはできない。
一方で、まるで効果があるかのような紛らわしい宣伝がなされないように規制したり、あるいは個人情報を保護したうえで効果検証にデータ利用が可能な環境づくりをしたりなど、行政・官でなければできないことも多い。
さらに商品開発の元になる知見・技術の確立や効果検証においてアカデミア・学が果たすべき役割もある。
産・官・学それぞれが得意であったり、それぞれでなければできなかったりすることがある。そう考えると、産官学連携に代表される複数の団体等が連携した取り組みが今まで以上に進まなければ、「長生きを喜べる長寿社会の実現」は困難であろう。
「長生きを喜べる長寿社会」づくりに向けて
「年齢を重ね若い頃に比べれば機能は落ちたが、生きがいがあり幸せ」という高齢者を増やし長寿社会を実現するには、「ネガティブ」の側面だけでなく、健康や生きがい、幸せなど「ポジティブ」な側面に光を当てること、「個人」に着目するだけでなく「社会」を設計することが課題となる。その実現には産官学連携などエコシステムの設計が不可欠で、いっそうの推進が必要である。その実現に向けて、産官学連携を後押しするのが「長生きを喜べる長寿社会実現研究支援事業」のねらいだと考える。
文献
- (2022年6月15日閲覧)
- マーティン・セリグマン: ポジティブ心理学の挑戦 ―"幸福"から"持続的幸福"へ. ディスカヴァー・トゥエンティワン, 2014.
- (2022年6月15日閲覧)
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- (2022年6月15日閲覧)
- (2022年6月15日閲覧)
- 東馬場要, 井手一茂, 渡邉良太, 飯塚玄明, 近藤克則: 高齢者の社会参加の種類・数と要介護認定発生の関連―JAGES2013-2016縦断研究. 総合リハ2021; 49(9): 897-904.
- (2022年6月15日閲覧)
- 古賀千絵, 近藤克則, 近藤尚己: 高齢者のインターネット利用と健康―JAGES縦断研究の結果より. 社会保険旬報 2021; 2836: 14-22.
- (2022年6月15日閲覧)
筆者
- 近藤 克則(こんどう かつのり)
- 千葉大学予防医学センター社会予防医学研究部門教授
国立長寿医療研究センター老年学・社会科学研究センター老年学評価研究部長 - 略歴
- 1983年:千葉大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院リハビリテーション部医員、船橋二和病院リハビリテーション科科長などを経て、1997年:日本福祉大学助教授。2000年:University of Kent at Canterbury(イギリス)客員研究員、2003年:日本福祉大学社会福祉学部教授、2014年より千葉大学予防医学センター教授、2016年より国立長寿医療研究センター老年学・社会科学研究センター老年学評価研究部長(併任)、2018年より一般社団法人日本老年学的評価研究機構代表理事(併任)。2020年:日本医師会医学賞受賞
- 専門分野
- 社会疫学、医療と介護の政策科学、医療・福祉マネジメント
- 過去の掲載記事
転載元
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