高齢者世帯の家計収支の動向
公開日:2019年12月27日 09時00分
更新日:2024年8月14日 11時12分
渡辺 久里子(わたなべ くりこ)
国立社会保障・人口問題研究所 研究員
1.高齢者世帯の家計の把握
本稿では、総務省「全国消費実態調査」を用いて、高齢者世帯の家計収支と消費水準の関係について考察を行う。2019年6月に金融庁の審議会「市場ワーキング・グループ」で報告書(以下、「金融庁レポート」という)が公表され、老後に平均2,000万円の資産が必要となることから、現役時代からの資産形成の重要性が指摘された。また同年8月に厚生労働省から「2019(令和元)年財政検証」が公表され、長期的に公的年金の所得代替率が低下する可能性が確認された。これらの報告書は、世間の耳目を集め、さらに政府においても高齢期の所得保障の在り方について議論が続けられている。
経済学においては、個人は現役期の収入の一部を貯蓄することで、現役期から高齢期への異時点間の所得移転を行い、高齢期の消費を維持できるように行動するという、ライフサイクル仮説がある。そのため、高齢者世帯が現在の収入以上の消費を享受し、家計収支差が「赤字」であったとしても、それは現役期からの所得移転が進められた結果であり、ただちに問題となるわけではない。
しかしながら、現役期の収入が不十分であり、異時点間の所得移転が達成できなかった場合には、高齢期に現在の収入以上の消費は行えず、家計収支差がゼロもしくはわずかな「黒字」であっても、困窮している可能性がある。特に、現役期の収入が低いことは、公的年金給付が相対的に低くなることを意味するため、高齢期の生活水準が最低限度を維持できない可能性がある。
以上のことから、高齢者世帯の家計を観察するうえでは、単に「赤字」「黒字」という収支差に着目するだけではなく、どの程度の消費水準を達成できているのかも分析する必要がある。そこで本稿では、総務省「全国消費実態調査」の個票データを用いて、高齢者世帯の収支差と消費水準の推移について、分析を行った。
2.分析方法
本稿では、1994年、1999年、2004年、2009年の総務省「全国消費実態調査」(以下、「全消」という)の個票データを用いる。「全消」は、世帯の消費・所得・資産の把握を行っている総合的な調査であり、5年ごとに実施される。また調査対象世帯が大規模であり、2009年調査のサンプルサイズは、約57,000世帯(うち単身世帯は約4,400世帯)である。
分析に用いた指標は、1.赤字率と、2.消費支出が最低生活費を上回っているかを示す最低生活費率である。最低生活費は、生活保護基準(=生活扶助(冬季加算および期末一時扶助を含む)+住宅扶助(特別基準)+医療扶助※1)を用いた。ただし、1994年~2009年に行われた生活保護基準改定の影響を除くため、1994年の基準に固定化させて、最低生活費率を算出した。
3.分析結果
図1は、65歳以上の高齢単身世帯における可処分所得※2と消費支出の推移を示している。2009年でみると、可処分所得は約18万円/月、消費支出は約16万円/月、収支差は約2万円/月となっている。1994年~2009年での推移をみても、収支差が黒字であることに変わりはなく、可処分所得、消費支出ともに大きな変動はないことが分かる。
図2は、夫婦ともに65歳以上の高齢夫婦世帯における推移である。2009年時点で、可処分所得は約32万円/月、消費支出は約25万円/月、収支差は約7万円/月となっている※3。時系列での推移をみると、可処分所得が低下した一方で、消費支出が増加した結果、収支差の黒字額がわずかに低下している。
高齢の単身世帯であっても、夫婦世帯であっても、平均的には収支差が黒字であることは共通しているが、単身世帯の可処分所得は、夫婦世帯のおよそ半分である一方で、消費支出は夫婦世帯の約60%であることから、黒字割合は単身世帯のほうが小さくなっている。
※1:医療扶助は必要に応じて現物給付されることから、保険適用される医療費(医科、歯科、その他入院費、医薬品等)を「全消」から算出し、最低生活費として計上した。
※2:可処分所得は、年間収入から税・社会保険料を除いたものであり、税・社会保険料は田中他(2013)1)のとおり推計した。
※3:「金融庁レポート」では、総務省「家計調査」の家計簿を用いた分析に基づき、高齢夫婦無職世帯における収支差は、約5万円/月の赤字としている。一方で、「全消」の年収票を用いた本稿では、高齢夫婦世帯における収支差は約2万円/月の黒字となっている。これは、1.家計簿における月額収入と年収票における年間収入が異なっていること、2.「家計調査」と「全消」のデータの相違、が理由として考えられる。中澤他(2018)2)では、公的統計における高齢者世帯の収入・支出について、詳細な分析を行っている。
それでは、家計の収支が黒字であったとしても、高齢者世帯の消費水準は、最低生活を維持できているのであろうか。表1と表2は、家計の赤字率と最低生活費率をクロス集計したものである。まず表1から、高齢単身世帯の状況をみると、2009年時点において、最低生活費未満の世帯が約27%、家計収支が赤字である世帯が約37%いることが分かる。しかしながら、消費支出が最低生活費未満である世帯と家計収支が赤字である世帯がオーバーラップしている割合は小さく、赤字であっても最低生活費以上の消費が行えている世帯が全体の約31%いる一方で、黒字であっても最低生活費未満の消費である世帯が約22%いる。1994年と比較しても、これらの割合に大きな変化はみられない。
表2から、高齢夫婦世帯の状況をみると、2009年時点で最低生活費未満の世帯が約17%、家計収支が赤字である世帯が約23%となっている。時系列推移では、赤字率が1994年の約19%から4%ポイント上昇しているが、全体的な傾向は変わらない。単身世帯と比較すると、図1・2でみたように、夫婦世帯のほうが黒字幅が大きいこともあり、赤字率は単身世帯よりも低く、また最低生活費率も低くなっていることがみて取れる。
4.おわりに
以上みてきたように、家計収支が黒字であっても消費支出が最低生活費未満となっている世帯が単身では約22%、夫婦で約16%いる。これらの世帯は、異時点間の所得移転、つまり現役期での資産形成が不十分で、資産を取り崩しながら生活水準を維持することが困難となっている可能性がある。
一方で、現役期からの異時点間の所得移転が達成できている高齢者世帯においては、現在の収入を上回る消費が可能であり、また最低生活費以上の消費を享受できている世帯も多いことが分かる。ただし、現在の消費支出が維持できるかどうかは、どの程度資産形成できていたかに依存する。金融資産高が小さく、取り崩し額が大きければ、最低生活費以上の支出を今後維持できなくなる可能性はある。
高齢者世帯の家計収支については、所得、消費だけではなく資産も含めた、さらなる分析が必要である。
本稿は、令和元年度厚生労働行政推進調査事業費補助金(政策科学総合研究事業(政策科学推進研究事業))「高齢期を中心とした生活・就労の実態調査」(H30-政策-指定-008)(研究代表者:山田篤裕)の助成により実施された。また、総務省「全国消費実態調査」の調査票情報の提供を受け、独自集計したものである。調査票情報の提供においてご協力頂いた関係者各位に深く御礼申し上げます。なお、本稿は、筆者の所属機関の見解を示すものではなく、また全ての誤りは筆者に帰する。
文献
- 田中聡一郎、四方理人、駒村康平: 高齢者の税・社会保障負担の分析-『全国消費実態調査』の個票データを用いて-. フィナンシャル・レビュー 2013; Vol. 115: pp. 117-133.
- 中澤正彦、菊田和晃、米田泰隆: 高齢者の貯蓄の実態-『全国消費実態調査』の個票による分析―. フィナンシャル・レビュー 2018; Vol. 134: pp. 133-166.
筆者
- 渡辺 久里子(わたなべ くりこ)
- 国立社会保障・人口問題研究所 研究員
- 最終学歴
- 2014年 慶應義塾大学大学院経済学研究科後期博士課程単位取得退学
- 略歴
- 2011年~2014年 日本学術振興会特別研究員DC1、2014年4月より、 国立社会保障・人口問題研究所 研究員。
- 専門分野
- 社会保障論