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第2回 睡眠負債の健康リスクと社会への影響

公開日:2022年7月 8日 09時00分
更新日:2024年8月13日 11時37分

白川 修一郎
睡眠評価研究機構代表


 連載の第1回で、日本はOECD(経済協力開発機構)加盟国中第1位の睡眠負債大国であることを伝えた。本稿では、睡眠負債の健康リスクと社会への影響について述べる。睡眠負債を溜め込まないことで、以下の多くの健康被害のリスクや社会への影響を減らせることになる。

睡眠負債による認知症発症リスク

 厚生労働省の発表によると、日本の認知症患者は2040年には800万人に達すると推定されている。神経変性疾患であるアルツハイマー型認知症が65%以上を占め、レビー小体型認知症が約5%、脳血管性認知症が約19%とされている。レビー小体型認知症の主要な神経変性原因物質はαシヌクレインと推定されており、これはレム睡眠行動障害の原因物質でもある。アルツハイマー型認知症の神経変性原因物質の1つは、アミロイドβタンパクである。アミロイドβタンパクの脳内蓄積は、アルツハイマー型認知症発症の20~30年前から始まる。脳には老廃物を排出するシステム(glymphatic systemなど)があり、睡眠が安定し交感神経系活動が低下していると、老廃物が効率的に排出される。睡眠が質的に悪化していると、アミロイドβタンパクの蓄積は5倍以上になる。

 アルツハイマー型認知症の発症リスクと睡眠との関連について、これまで発表された信頼できる論文をメタ・アナリシスで解析した報告がある。睡眠が良好な人と比べて問題がある人では、アルツハイマー型認知症の発症率は1.55倍、認知機能の悪化は1.65倍、前臨床症状は3.78倍になる(Bubu OM, et al., 2017)。70歳以上の男性に限定した他の疫学研究では、睡眠に問題があると認知症全体の発症リスクは2.14倍、アルツハイマー型認知症の発症リスクは2.92倍と指摘されている(Benedict C, et al., 2015)。執筆中の2022年4月現在、アルツハイマー型認知症を確実に予防する治療薬の開発には成功していない。良好な睡眠を確保し睡眠負債の蓄積を避けられれば、アルツハイマー型認知症の発症リスクをかなり軽減できる可能性は高い。

うつ症状発症リスクと免疫系への影響

 うつ症状の発症リスクも睡眠負債により上昇する。20歳以上の男女1,395名の睡眠状態とうつ症状を、約7年半の間を空けて前後2回測定した研究がある(Fernandez-Mendoza J, et al., 2012)。前後ともに睡眠に問題がなかった対象者で、2回目の測定でうつ症状を示した人は6.3%に対し、前後ともに睡眠に問題があった人の36.6%がうつ症状を呈していた。他のメタ・アナリシスのレポートでも睡眠障害がうつ発症リスクを2.3倍まで上昇させると報告している。

 睡眠は免疫系の強化とも密接な関係がある。鼻風邪のウイルスであるライノウイルスでの研究であるが、過去1週間の睡眠が7時間以上の人と比べ、6時間未満の人の感染後発症率は4倍を超える(Prather AA, et al.,2015)。さらに睡眠の質が悪いと発症率は5倍以上になる。良質で適切な時間の睡眠により自然免疫系が強化されるためと考えられている。また、新型コロナウイルス感染症でも、睡眠が良好だと入院リスクや死亡率が軽減するとの報告もある(Li P, et al., 2021)。

生活習慣病への影響

 特定健診の対象となっている生活習慣病についても睡眠が大きく影響する。40~100歳の男女5,927名を対象とした疫学研究で、睡眠時間が7時間台の人と比べて、6時間未満の人の高血圧の発症リスクは1.66倍になる(Gottlieb DJ, et al.,2006)。日本人の糖尿病のほぼ95%を占める2型糖尿病の発症リスクにも睡眠時間が関係している。メタ・アナリシスの結果では、7時間台の睡眠での発症リスクが最も低く、5時間台ではほぼ1.25倍にリスクが上昇する(Shan Z, et al., 2015)。高血圧や2型糖尿病の発症リスクへの睡眠の関与には、睡眠と食が密接な関係にあることがその背景となっている。睡眠時間が短いと食欲が過度に増進し、肥満のリスクが大幅に上昇するからである。

睡眠負債の社会への影響

 睡眠には脳の休息と機能回復の役割がある。睡眠負債が交通事故を含むヒューマンエラーやパフォーマンス低下に多大の影響を及ぼすことは、これまでの多くの睡眠研究から明らかとなっている。米国交通安全協会が7,000人以上のドライバーの事故のサンプルを解析して、次のような調査結果を公開している。過去24時間の睡眠時間が7時間以上のドライバーと比較して、睡眠が5時間台のドライバーの交通事故リスクは1.9倍、4時間台では4.3倍、4時間未満では11.5倍になる。睡眠負債は交通事故やヒューマンエラーの大きな原因の1つである。

 ランド研究所ヨーロッパが、睡眠時間が6時間未満の人が7時間の睡眠を取るようになれば、経済的な社会損失が年間でどのくらい改善するかを推計し、2016年に5か国についてレポートを公表した。GDPでは、日本が2.92%(1,380億ドル)、次いで米国が2.28%、イギリスが1.86%、ドイツが1.56%、カナダが1.35%であった。このレポートでは、日本の6時間未満の睡眠時間の国民は16%としていた。現在の日本では、20歳以上の国民の30%以上が6時間未満の睡眠しかとれていない。睡眠負債による日本の経済的な社会損失が相当な金額になっている可能性があり、社会的影響は甚大である。

著者

しらかわしゅういちろう氏の写真
白川 修一郎(しらかわ しゅういちろう)
 睡眠評価研究機構代表、日本睡眠改善協議会理事長、国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所客員研究員。医学博士。専門は睡眠とメンタルヘルス。1977年東京都神経科学総合研究所研究員、1991年国立精神・神経センター精神保健研究所老人精神保健研究室長、2012年より睡眠評価研究機構代表、2016年より日本睡眠改善協議会理事長。主な著書に『ビジネスパーソンのための快眠読本』(ウェッジ)、『命を縮める「睡眠負債」を解消する』(祥伝社)などがある。

転載元

公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌 Aging&Health No.102(PDF:6.0MB)(新しいウィンドウが開きます)

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