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第4回 「人生100年時代」における「延命治療」の功罪2

公開日:2025年1月17日 15時00分
更新日:2025年1月17日 15時00分

小堀 鷗一郎
堀ノ内病院 地域医療センター在宅診療科医師


事例1 101歳女性。老衰。長男夫婦と同居

 長男夫婦と通常の生活を送っていたが、ある夜、突然ベッドに上がることができなくなり訪問診療を開始した。数日後寝たきり状態となって、さらに半月後、急速に食事量が低下、ある日清涼飲料水を100ml飲用後そのまま寝入り2日間目を覚まさなかった。3日目、いったんは在宅看取りの方針であった長男が、患者が息を吐くときに発するかすかな「フッフッ」という音声を「母が可哀想で耐えられない」と急遽入院を要請、堀ノ内病院に救急搬送した。入院後、中心静脈栄養による栄養管理、併発した肺炎に対して気管切開・人工呼吸器装着・褥瘡手術。長男と姉妹3人は最初の1か月こそ頻繁に病床を訪れていたが、次第に足が遠のき、患者はその後9か月余りを暗い集中治療室で一人生き続けた。患者の死亡時刻は夜勤看護師がナースステーションで平坦になっているモニターに気づいた時刻である。

事例2 71歳男性。手術不能の進行胃がん。独居

 生活環境は劣悪で入院時しらみ駆除を必要とした。ホームレスに近い生活を送ってきたせいか、入院生活に馴染めず、自由がほしいので自宅へ帰りたいと強硬に主張。病気が治って帰るわけではないことを繰り返し説明したが、充分に理解したとは思えないまま自主退院。退院4日目、初回訪問。座位もとれぬくらい衰弱しており、現在の時刻もわからない。家にとどまるか、入院するか、意思確認を行ったところ「入院したい」。直ちに入院。夜ベッドサイドに行ったところ安堵の笑顔を見せた。翌日から輸血を始め濃厚治療を72日間継続した後死亡したが、退院直後の3日間の独居生活がよほど心細かったのか、いつベッドサイドへ行っても幸せそうな柔和な表情が印象的であった。最後の半日、半世紀以上も絶縁状態にあった妹が付き添った。

 前回秋号(第3回)と本号には延命治療が、そこで終わるはずの生命の延長をもたらした4事例を提示した。前号の2例はいずれも人工透析が長期間(9年6か月と9年)の生存期間の延長をもたらしたもので、ごく一般的な延命治療であるため、透析治療担当医にとっては2例の成功例に過ぎないであろうが、前号でも紹介した記録映画作家・羽田澄子さんの提起した『「人間の死」についての思想の欠如』に立ち返ると、看過しがたい問題が含まれている。一方の患者の延命期間が俳句に打ち込むことができた幸福な9年6か月、他方が極めて対照的といえる苦しみの9年であったからである。

 本号で提示した2つの事例もそれぞれが論ずるに足る問題を抱えている。

 事例1について言うならば、"本来迎えるはずであった101歳の老衰死"と"現実に迎えることとなった(入院死の名のもとの)孤独死"の較差をこれほどまでに歴然と示した事例は、その後も目にしない。彼女が迎える"望ましい死"とは、家族、主治医、介護関係者に囲まれて、小柄な体を丸めて横たわっていた10か月前の死であったはずである。しかし一方、老衰死寸前の101歳の高齢女性を10か月間にわたり延命を図った病棟主治医の労苦も見逃されるべきではない。肺炎に対処しての気管切開と人工呼吸器の装着、難治性の褥瘡に対する全身麻酔下の手術、いずれも、医師としての使命感と、もの言わぬ患者本人でなく長男の要請に応じての渾身の治療といえる。

 事例2のがん患者は私にとって最終段階に至った末期がん患者が延命治療によって73日間生存するという初めての経験となった。この事例に関しては、がん末期患者の2か月に及ぶ延命治療については費用対効果の面からは評価しがたいとする医療者も存在するかもしれない。ただ、そもそも費用対効果など考えていたら看取りなどはできないという考えも成り立つ。ハイチで30年間にわたって無償医療活動を行い、ノーベル平和賞候補ともいわれたポール・ファーマーはこのように言っている。

「費用対効果がなんだっていうんだ。生涯のうちにひとりの患者の命を救うことができれば、それほど悪くない人生かもしれない。(中略)途方もない数の人間を救うチャンスがあるんだからな。おれはそれに賭けるさ」
(トレーシー・キダー著, 竹迫仁子訳 『国境を越えた医師』 小学館集英社プロダクション, 2004年, p.256)

 患者に9年間の苦しみを与える延命治療に意味があるのか、ないのか。患者の家族が望めば病院死という名のもとの孤独死を遂行すべきなのか、患者の安堵のためなら費用対効果は無視して高額治療を行うべきか。科学(医学)はこれらの難問に回答は与えない。

 長寿が延命治療に負うところが大きいことは自明の理である。しかし、「人間の死」についての思想が欠如した延命治療によって得られた長寿は、論理的に「人間の死についての思想が欠如した長寿」である。しかし、思想が欠如した長寿に意味があるか否かに回答を与えるのは科学でなくて哲学である。すなわち「長寿科学振興」と同時に求められるのは「長寿哲学振興」ではないだろうか。

 16世紀の哲学者モンテーニュは次の言葉をのこしている。

 「哲学、それは死を学ぶことである」

著者

こぼりおういちろう氏の写真。
小堀 鷗一郎(こぼり おういちろう)
 1938年生まれ。東京大学医学部医学科卒業後、東京大学医学部第1外科教室助教授などを経て、国立国際医療センター(現国立国際医療研究センター)外科部長・副院長・病院長。外科医として約40年勤務。定年退職後、2005年より埼玉県新座市の堀ノ内病院で在宅医療に携わる。現在、訪問診療医。母は小堀杏奴、祖父は森鷗外。著書『死を生きた人びと―訪問診療医と355人の患者』(みすず書房)、『死を生きる―訪問診療医がみた709人の生老病死』(朝日新聞出版)など。

公益財団法人長寿科学振興財団発行 機関誌 Aging&Health 2025年 第33巻第4号(PDF:4.5MB)(新しいウィンドウが開きます)

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