第1回 人は生きてきたように死んでいく
公開日:2021年4月 2日 10時42分
更新日:2022年11月17日 10時31分
柏木 哲夫
淀川キリスト教病院名誉ホスピス長
ホスピスという場で約2,500名の患者さんを看取った。重い仕事である。同時に学ぶことの多い仕事でもある。看取りという仕事を通して学んだ最も大きいことは「人は生きてきたように死んでいく」ということである。
しっかりと生きてきた人はしっかりと死んでいく。周りに感謝して生きてきた人は家族やわれわれスタッフに感謝しながら死んでいく。不平を言いながら生きてきた人は不平を言いながら死んでいく。生き様が死に様に反映するのである。「良き死」を死すためには、「良き生」を生きねばならないと思う。
多くの看取りの中から特に印象に残っている患者さんについて記したいと思う。
死んでも死にきれません
Jさん(47歳、男性)は、腎がんの末期状態でホスピスへ入院してきた。家族と主治医の勧めでホスピスへ入院となった。Jさんは病状をすべて、よく理解していたが、死が近いことは認めたくないという様子であった。Jさんは3人兄弟の長男で、父親は会社の社長で、経済的にも恵まれた家庭に育ち、学校の成績もよく、一流大学の経済学部を卒業し、父親の会社に就職した。その後、結婚し、2人の息子さん(大学生と高校生)がいる。もうすぐ父親の後を継ぎ、社長になる直前の発病であった。
入院時、全身倦怠感が強かったが、ステロイドの投与で、それがやや改善したとき、Jさんはもう一度化学療法に挑戦したいと強く望んだ。泌尿器科医に診察してもらったが、化学療法はしないほうがよいとの意見であった。われわれもそう思い、Jさんに伝えたが、どうしても挑戦したいとの意志が強く、Jさんの希望を尊重して、抗がん剤の点滴を1クール実施したが、効果はなかった。
死を否認するJさんの気持ちに寄り添いながら、死の受容への援助ができればと、スタッフは何度も話し合いを重ねた。「死にたくない」というJさんの思いが、「死んでも死にきれない」という否認の心の源泉になっているようだった。われわれスタッフは話し合いを重ね、Jさんの否認を見守っていくことにした。
Jさんはある日の回診のとき、私に、「先生、こんなに若くて、こんな状態で、死んでも死にきれません。2人の子どももまだ学生ですし、仕事のうえでもやり残したことが山ほどあります」と言った。「死んでも死にきれない」という表現は、Jさんの気持ちを見事に表現していると私は思った。
化学療法が効かなかったJさんは、民間療法を試したいと言い、「鮫の軟骨」を飲みだした。残念ながら効果はなかった。Jさんは最期まで死を否認しながら旅立った。
もう、あきらめています
Wさんは50歳の男性。口数の少ない、おとなしい感じの患者だった。かなり進行した肝がんが発見され、肝動注を受けたが効果なく、末期の状態でホスピスへ入院した。病院嫌いで、自宅でがんばっていたが、痛みが強くなり、仕方なく入院したという感じであった。モルヒネの投与で痛みは落ち着いたが、黄疸が出て、急速に衰弱が進んだ。
3人兄弟の長男として生まれたWさんの人生は、苦労の連続であった。小さな町工場で働いていた父親の稼ぎは少なく、Wさんは高校進学をあきらめて、中学校を卒業してすぐに父親と同じ町工場で働き出した。20歳のとき、父親が脳出血で急死した。Wさんの少ない給料と母親のパート代が一家をやっと支えた。同じ工場で働いていた事務員の女性と職場結婚をし、2人の女の子があった。下の子は発達障害だった。
ある日の回診のとき、「いかがですか?」との私の問いかけに、Wさんはややさびしそうに、「もう、あきらめています」と言った。それから1週間後に、実に静かに旅立った。
あきらめの死
Wさんは、あきらめて死を迎えた。「あきらめる」という言葉からはなんとなく、ネガティブな心の動きを感じがちだが、私はWさんが「もう、あきらめています」と言ったとき、むしろ「さわやかさ」を感じた。
「あきらめる」の語源は「明らかに極める」で、真実を極めて明らかにすることである。すなわち、やるだけやったがダメだったのでしょうがないということなのである
「真実を明らかにしたら、執着心は薄れる」ということである。
小さな死と本当の死
人生には、多くの喪失体験が存在する。恋を失ったり(失恋)、職を失ったり(失職)、家族を失ったり(死別)する。自分の死を本当の死、大きな死とすれば、これらの喪失体験は「小さな死」と呼べるかもしれない。
「小さな死」の解釈をもう少し広げると、手に入れたいものが手に入らなかったことも、「小さな死」と呼べるであろう。たとえば、「行きたい学校に行けなかった」、「儲けたいお金を儲けることができなかった」、「つきたい職業につけなかった」、「つきたい地位につけなかった」などということは「小さな喪失」であり、「小さな死」であると考えられる。その「小さな死」を体験し、いくつも乗り越えながら、やがて自分の「本当の死」を迎える。
私は以前、「庶民の死」という文章を書いたことがある。
「庶民の死」というのは、「あきらめの死」である。庶民とは、今まで「小さな死」という体験をうまく乗り越えてきた人たちである。行きたい学校に行けず、つきたい仕事につけなかった人々である。そのため、本当に大変な「自分の死」を迎えるときになっても、「喪失体験をうまく乗り越える」練習が積まれているので比較的上手に亡くなることができるのである。
Wさんは、まさに、「庶民の死」、「あきらめの死」を遂げた人であった。多くの喪失を体験し、小さな死を乗り越え、大きな死を明らかに極めて亡くなった。
否認の死
「小さな死」を体験せず、「初めての喪失経験が自分の死」であるという人は、本当に大変である。
たとえば、入りたい大学に入り、つきたい職業につき、儲けたいお金を儲け、つきたい地位につくことができ、というように、いわゆるエリートとして生き、「小さな死である喪失経験」をほとんど体験せずにきた人もいる。そのような人が、初めて経験する病気が「死に至る病気」だった、という場合はとても大変である。喪失経験の練習をまったく積まないままに「死」というものを迎えるからである。なかなか「死」を受け入れることができず、死を否認したまま亡くなるということになる。
前述のJさんはその例である。行きたい大学に行き、つきたい仕事につき、結婚したい相手と結婚し、ほしかった子どもが与えられ......と、「小さな死」を体験しない人生の途中で、死に至る病に罹患したのである。
いわば、小さな死を乗り越えるという練習を全然せずに、直接大きな死に直面しなければならなかったわけである。Jさんは死を否認せざるを得なかったのであろう。
著者
- 柏木 哲夫(かしわぎ てつお)
- 淀川キリスト教病院名誉ホスピス長、大阪大学名誉教授。1939年生まれ。1965年大阪大学医学部卒業。同大学精神神経科に勤務後、ワシントン大学に留学。1972年帰国後、淀川キリスト教病院に精神神経科を開設。1984年淀川キリスト教病院ホスピス長、1992年大阪大学人間科学部教授、2004年金城学院大学学長、2013年淀川キリスト教病院理事長を歴任。
著書
『死にゆく人々のケア―末期患者へのチームアプローチ』(医学書院)、『死を看取る医学』(NHK出版)など多数。
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