第3回 がんサバイバーを支援しよう
公開日:2020年10月30日 09時00分
更新日:2024年9月 9日 16時00分
こちらの記事は下記より転載しました。
垣添 忠生(かきぞえ ただお)
公益財団法人日本対がん協会会長
がんと診断を受けたその日から「がんサバイバー」
がんは一般に高齢者がなる病気である。わが国では超高齢社会の到来とともに、がんは一生のうち2人に1人がなる病気となり、毎年100万人超の人々ががんになっている。
一方で診断・治療技術の進歩とともに治療成績は向上し、5年生存率はかつて40%以下だったものが、今や66%を超えた。がんは治る病気に変わってきたのだ。がんを乗り越え、または、がんと共に歩む人が増えている。
ところが、実際にがんと診断されると、多くの人が「なぜ自分だけがんになったのか」と嘆き、強い疎外感や孤立感に苦しむ。治療中も、治療後もいつ再発・転移するかと恐怖に怯える。
日本対がん協会では一度でもがんを経験した人のことを「がんサバイバー」と呼んできた。米国対がん協会では、がんと診断されたその日から、がんサバイバーと呼び、その支援に全力をあげてきた。
がん患者、がんサバイバーを孤立させてはいけないと、日本対がん協会本部の中に「がんサバイバー・クラブ(GSC)」を設立し、2017年6月から活動を始めた。
GSCでは国立がん研究センターと連携して、正しく信頼できるがん情報の提供や、全国がん患者会情報の提供、ウェブサイトとSNSではほぼ毎日、スタッフが厳選したがんに関する注目ニュースを届ける。あるいは抗がん剤治療に疲れた患者には美しい映像を提供する癒しの空間、さらに最近では「がんサバイバーキッチン」、「がんサバイバーネット」など新しいネット上の活動も始めている。
日本対がん協会が以前から行ってきたがんに関する電話相談「がん相談ホットライン」に、がん治療を受けながら働きたいという要望に応えるため、社会保険労務士にも加わってもらった。ネットのみならず、電話相談、あるいは私自身も月に1回行っている面談による「がん相談」など多面的にサバイバー支援を展開してきた。
GSCの活動は、会の趣旨に賛同する個人・法人会員の寄附によって成り立っているので、会員数の増加がカギとなる。個人会員は現在約1,000人だが、10年後には100万人をめざしている。実現できれば、がんサバイバー支援は文字通り国民運動になるだろう。
3,500kmに及ぶ全国縦断がんサバイバー支援ウォーク
残念なことに、がんサバイバーという言葉、そしてGSCの存在自体が、まだ一般にはあまり知られていない。そこで、GSCの存在を訴え、会員の増加を図り、全国のがんサバイバーや医療関係者の声に耳を傾ける機会をつくりたいと考えた。
私は、日本のがん治療をリードしている全国がんセンター協議会に加盟する32の病院を一筆描きのように、できる限り歩いて訪問して、サバイバー支援を訴えようと決意した。
2018年2月5日の九州がんセンター(福岡市)訪問をスタートとして、約半年がかりで日本列島を北上し、7月23日、北海道がんセンター(札幌市)に無事到着した。総移動距離3,500km、地球の直径の約4分の1に相当する「旅」を終えた。
私自身、大腸がん、腎がんのサバイバーである。また、妻をがんで亡くした遺族でもある。国立がんセンターの中央病院長10年、総長を5年務め、退官後も日本対がん協会の会長として約10年、つまり25年以上がんと深く向き合ってきた。
その立場で全国各地のがんサバイバー交流会に参加すると、患者や家族の方々は率直に悩みを語ってくれた。
治療が長くなり、多額の治療費が重くのしかかり苦労されている方がいた。各所でこの悩みを耳にした。一方、がん治療の最前線に立つ医師からは、地方で医師不足が深刻だとの嘆きも聞かれた。
歩行中もウォークに関する地元の新聞やテレビの報道を見て、あるいは、私が手にしていたノボリを見て話しかけてくる人も多く、たくさんのミニ交流会があった。生の声を多く聞き、がんサバイバーを取り巻く課題を改めて突きつけられた。
支援ウォーク中、私はGSCへの参加と寄附をお願いした。がんは誰でもなりうる病気であり、「がん=死」という時代ではもはやない。10年先には、「がんは誰でもかかり得るごく普通の病気の1つ」とイメージを変え、がんに対する偏見や差別をなくそう、と訴え続けた。さらに予防のための禁煙と、早期発見につながるがん検診の大切さも訴え続けたのである。
スタート地点である九州がんセンター訪問時は、大寒波襲来で豪雪となった。関東地区では体調を崩し、若干、車での移動も余儀なくされた。
行程中、すでに入っていた予定をこなすため、ウォークを中断して東京に戻り、終わったら、中断した地点から再開するという形で歩いた。7月23日、札幌市の北海道がんセンターにゴールした。高橋はるみ北海道知事(当時)から花束をいただき、「北海道のがん対策を進める約束」をいただいた。最後に加藤病院長から「垣添先生はゴールされたが、がんサバイバー支援活動は今後も続く」という強いメッセージをいただいた。
このウォークの途中、7月11日にはフランスのリヨンに招かれ、国際予防調査研究所で特別講義した。フランス語でなく英語で。また、11月には米国のメイヨー・クリニックでも講演した。ということからも、がんサバイバー支援は全世界的な課題であることを痛感した。
身体的にはつらいが、精神的には超贅沢な時間に浸っていたように思う。
季節の移ろい、景観や人情の地域差、困難な時の思いがけない支援の手、多くの経験からこの国は捨てたものではないと感じた半年だった。
わが国にがんサバイバー支援が定着すれば、人々が互いに支え合う社会が生まれ、人々のがんに対するイメージも変わるだろう。生まれてきてよかったと感じることができる国をめざして努力を続けたい。
著者
- 垣添 忠生(かきぞえ ただお)
- 1941年生れ。1967年東京大学医学部卒業。東大医学部泌尿器科助手などを経て1975年から国立がんセンター病院に勤務。同センター手術部長、病院長、中央病院長などを務め、2002年総長、2007年名誉総長。専門は泌尿器科学。公財)日本対がん協会会長。
著書
『妻を看取る日』『悲しみの中にいる、あなたへの処方箋』(新潮社)『新版 前立腺がんで死なないために』(読売新聞社)など著書多数。
転載元
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