第2章 総論 認知症の予防とケア 現状と課題
公開月:2019年10月
国立長寿医療研究センター 理事長
鳥羽 研二
1.はじめに
2017年ローマでG7サイエンスアカデミア会議が開かれ、高齢化と認知症を共通項目とする神経変性疾患に関して、討議された。アルツハイマー病、パーキンソン病、筋萎縮性側索硬化症などの神経変性疾患は加齢に伴い増加し死因の10傑を占め、治癒はおろか病気の進行抑制法も見出されていない。アルツハイマーだけでも85歳以上の1/3から1/2に認められ、2015年に4,000万人のアルツハイマー病の人は2050年には1億3,500万人に増加すると予測されている。アルツハイマーに関する社会負担は米国で70兆円、本邦も14兆円であるが、2050年には米国だけでも毎年100兆円に上ると予測されている。これらを踏まえ、各国の首脳への提言を取りまとめた(図1)。
これら対応には、大規模な公的資金の投入による革新的な基礎研究の推進に加え、有能な研究者の糾合や臨床研究の加速のための積極的で国際的な先導的取組が緊急に求められている。
これらは本邦でも、2017年5月11日安倍総理に大西学術会議議長から手渡され(写真1)、ローマで開かれるG7サミットでの議論の俎上に乗せることを要望した。
2.研究の現状
認知症予防の基礎研究の多様化は、近年のアルツハイマー病治療薬が苦戦していることと無縁ではない。
200以上のアルツハイマー病薬治験が効果不十分のため中止となった。現在でも130以上の新薬候補が治験中であるが、31のphase3では1/3がアミロイド関連、半数近くが神経伝達物質関連である。一方68件のphase2では、アミロイド関連18%、タウ関連11%と変化し、さらに糖尿病3薬剤、血管系2薬剤、神経成長因子関連3薬剤、ステムセル関連4薬剤と多様化が顕著である。
繰り返しになるが、アミロイド、タウなど継時的な病理所見を基盤とした創薬の戦略はここ15年以上成功していない。これらが神経細胞脱落に伴う現象であることは疑いもないが、可変的な治療ターゲットであるかについては、パラダイムシフトが起きている。ミクログリア、アストロサイトに関わる血液脳関門を通じた、生活習慣や生活習慣病の関与が次世代の創薬ターゲットとなりつつある。これらの臨床トライアルに共通なことは、より早期に、発症前にトライアルを行うことであるが、症例のリクルートは米国でさえ容易でない。このため国際的なレジストリ構築が求められている。これらに対応する本邦唯一のレジストリがオレンジレジストリである。国内10箇所の介入可能コホートと、データ比較協力のための東北メディカルメガバンク(14万人)、長浜コホート、海外コホート(台湾2箇所)と連携した国際的にも質と量が整った良質なトライアルレディコホートが準備出来ている(図2)。
これらを利用して、効率よく対象者を選定するために、費用対効果を勘案したバイオマーカーが熱望されていたが、本年当センター中村、柳澤らがノーベル賞受賞者田中耕一博士とともに、条件を満足するバイオマーカーを確立した。本年度からオレンジレジストリで実用化を目指した実証研究が広がることになっている。
画期的な創薬に関し、我が国の基礎研究と臨床応用への出口戦略をにらんだ「融合脳」研究では、糖尿病とアミロイド仮説を結ぶ試みや、プリオンのような、シヌクレインやタウの伝播に焦点を当てた研究、タウとオートファジーの研究などが活発に行われている。また、睡眠に着目した研究も始まっている。これらは、未だ臨床トライアルには至っていないが、将来新しい仮説を元に予防、治療に寄与することが期待されている。
3.認知症予防と生活習慣
1.生活習慣/生活習慣病などの危険因子を標的とした予防
2015年3月、WHO(国際保健機構)の認知症に関する保健大臣級会合では、認知症は少なくとも部分的には予防可能であり、Good for Heart, Good for Brainという合い言葉で、危険因子の関与を紹介した(表1)。
表1 環境因子に起因するADの割合
(Bames & Yaffe: Lancet Neurol 2011;10(9):819-28より作成)
- 2% 糖尿病
- 2% 中年期の肥満
- 5% 中年期の高血圧
- 10% うつ
- 13% 身体活動不活発
- 14% 喫煙
- 19% 知的活動少ない、教育歴短い
この裏付けは、欧州の一部でアルツハイマーの年齢調整発症頻度が下がり始めたこと、認知症の危険性のある正常高齢者に対する、生活習慣病コントロール、身体活動・知的活動賦活、食事など多因子への同時介入によって、トータルの認知機能がコントロール群に比べ改善したFINGER研究1)などを根拠としている。
運動や知的刺激のデュアルタスクが、軽度認知障害(MCI)の脳の萎縮を遅らせ、認知機能低下を防いだという本邦の鈴木らの成績も高く評価されている(図3)2)。
さらに、循環器系の長期縦断研究(コホート研究)で有名なフラミンガム研究で、過去30年以上の認知症発症の年齢調整値によって、認知症全体で半減、アルツハイマーも3割減となり(図4)、アルツハイマーの発症は、高卒以上では15歳遅くなったことが発表され、認知症予防は骨粗鬆症等と同じく、若い時から加齢変化を見据えて予防すべき疾患であると考えられるようになった3)。
しかしながら、この縦断研究は、一番の原因は教育の普及、第二に循環器系に対する危険因子の啓発が進んだため、高血圧や心疾患が減少したことを原因と推察しているが、このコホートでの糖尿病や肥満は増えており、長期介入研究が必要である。さらに、本邦の長期縦断研究の久山町研究では糖尿病の重要性が指摘されており、遺伝的な背景を基盤とした危険因子の重みの人種差も考慮する必要がある。これに対応して、我々は、生活習慣、生活習慣病と認知機能を登録して長期的に観察し、一部では生活習慣/生活習慣病への介入試験を可能とする全国的なレジストリ(疾患登録)研究を開始した(ORANGEプラットフォーム)(図5)。
このレジストリは、予防から、治療、ケア技術までの臨床介入研究を縦断的に可能とする世界で初めての試みである。
4.認知症ケアの現状と課題
昨年、認知症医療介護推進会議では、新オレンンジプランの課題を抽出し、本人参加に基づく医療介護連携、当事者の意見を取り入れた技術開発についてワーキンググループで議論した。当事者団体からは、次の5項目の課題に基づく要望が寄せられた。
- 「本人の意思の尊重」を率先して実行を
- 「本人とともにつくる」医療と介護に
- 偏見を解消して、一人ひとりが自分ごととして
- 問題対処ではなく、よりよく暮らせるための医療・介護に
- 全国どこでも、本人が必要とする医療・相談等に確実につながる流れ(仕組み)を
どれもが重く、また大きな課題である。サービス供給者やアカデミアからの意見を糾合して、厚労省に提言を提出した。
基本的な考え方として、
- 「認知症の人」と「その家族」は、ニーズや要望も異なるそれぞれ別の支援対象者であることを明確にする。
- 認知症の人の視点に立ち、認知症の人の意見を聞きながら、支援や技術革新を進めていく。
- 認知症の人を「被支援者」としてのみとらえるのではなく、本人の能力を活かした地域での共生を目指す。
具体的には、
1.職種や機関間の連携推進については
1)初期段階の相談に応じる専門職の対応力の向上を含めた機能の強化
ケースによってニーズが異なる、認知症の人やその家族が抱える不安や心配を受け止め、解決の糸口を見出す「相談機能」は不十分である。
認知症の人やその家族が初期の相談をする先として、認知症疾患医療センターや病院、診療所、地域包括支援センター、市町村窓口、認知症初期集中支援チーム等があるが、そこで働く専門職が、各々の機関の特色と専門職の役割を踏まえた「相談」を行い、適切な支援の提供につなげ、情報連携を行う体制機能強化を図るべきである。
2)常に認知症の人やその家族を支えるための機関間連携の深化
認知症の人は、医療、介護等のサービスを合わせて利用していることが多く、また、容態に応じて生活の場所や利用するサービスを変更したり、身体疾患等により入院や退院を経験することもある。
認知症の人の生活の場所が変わっても、認知症の人、そして家族のそれぞれが、サービス提供者により適切な支援を受けられることを共通の目標とする。
このために、支援機関から得られるサービス内容は、認知症の人と家族にわかりやすく表示すべきである。連携にあたっては、認知症の人の生活の場所の変更による、サービス内容の変更が適時適切な医療介護の観点から、認知症の人の利便に資することを示し、この情報を連携共有するため、人材育成等による機能強化、連携の質の向上を図るべきである。
提言を実現させるため国、都道府県、市町村においては、以下の取組を実施する。
a.責任主体の明確化
人材育成や研修事業を行うにあたっては、育成や研修の成果を確認するなど、責任主体を明確にする。
b.地域にある社会資源や人材、データ等の活用
「地域ケア会議」等における認知症の人やその家族のニーズの収集、認知症の人やその家族が実践している工夫や取組の共有などを行い、施策に反映させる。
c.全国で利用できる連携シートの普及
認知症の人の家庭での状況や必要な医療、介護等に関する情報をまとめ、全国の医療・介護保険サービス事業所等で活用できるよう、異なる自治体間でも活用できる連携シートの普及を促進する。
d.認知症の人やその家族を支える連携に対する報酬上の評価
認知症の人や家族を支え、その生活の変化をもたらす連携の重要な要素について再評価し、意思決定支援等必要な所見を整理した上で、診療報酬、介護報酬上の加算を行う。
認知症医療介護推進会議においては、以下の取組を実施する。
a.多職種間の共通認識の醸成、相談対応力向上に向けた認知症の人や家族のニーズの整理
認知症医療介護推進会議における団体が協力し、相談対応の基本となるニーズの整理を行い、共有するとともに、各々の団体の研修や教育プログラム等を通じて実践に活かす。
b.連携の効果測定のための認知症のアウトカム評価の研究
認知症の人とその家族の生活を支えるための連携の効果を科学的に研究し、その成果を連携加算等の算定に活かす。
2.ロボットの開発やICTの活用、創薬等の技術革新について
1)認知症の人の意見を踏まえた個別のニーズに適合的な技術革新
既存技術を活用した対応から本格的な技術の開発まで、認知症の人の視点に立ち、開発の段階から認知症の人の意見を踏まえて技術革新を進めていく。
2)認知症の人やその家族に対する最新技術に関する情報のわかりやすい提供
研究者や開発者は、最新技術に関する、正しい情報を、わかりやすく提供するとともに、情報を得た方の相談や生活・療養の指導体制を整える。
提言を実現させるため、国においては、本人ミーティングや認知症カフェ等も活用し、認知症の人の意見を踏まえた技術革新の仕組みの構築に取り組む。
認知症医療介護推進会議においては、認知症医療介護推進フォーラムにおいて技術革新の現状をわかりやすく伝える公開講座を開催し、所属の団体を通じた情報提供の仕組みの構築、情報提供に伴うアフターケア、フォロー体制の構築に取り組むこととした。
しかしながら、これらの施策をより加速するためには、モデルが必要であり、愛知県が推進するオレンジタウン構想(図6)において、先端技術と認知症になっても暮らしやすい街づくりの具体像を示すこととした。
2018年8月の推進会議では、全国で先駆けて認知症になっても暮らしやすい街造り条例を制定した大府市長が講演し、国立長寿医療研究センターで先行して開かれた関連職種団体が全て集う「オレンジタウン構想おおぶ懇談会」において、本人中心、当事者への意識変容を計った。
認知症ケアはエビデンスが少ない。オレンジレジストリの中にケア班を設け、いいケア(good practice)を登録する試みが開始され、高知大学数井教授が主導する集合知を用いた知恵の輪ネットでは相当数のデータが集積してきている。
当センター(国立長寿医療研究センター)は、東京、仙台、大府の認知症介護研究・研修センターとともに縦断的なケア効果を検証する枠組みを構築しつつある。国レベルでは、介護の科学化がビッグデータの利用と合間って、次回の介護報酬にも反映する動きが急である。いいケアの検証も待ったなしであり、多くの事業者やアカデミアの協力参入が待たれている。
文献
プロフィール
- 鳥羽 研二(とば けんじ)
- 国立長寿医療研究センター 理事長
- 最終学歴
- 1978年 東京大学医学部卒
- 主な職歴
- 1978年 東京大学医学部附属病院医員 1984年 東京大学医学部助教授 1989年 テネシー大学生理学研究員 1996年 フリンダース大学老年医学研究員、東京大学医学部助教授 2000年 杏林大学医学部高齢医学主任教授 2006年 杏林大学病院もの忘れセンター長(兼任) 2010年 国立長寿医療研究センター病院長 2014年 同センター理事長・総長 現職 国立研究開発法人国立長寿医療研究センター理事長
- 専門分野
- 老年医学
※筆者の所属・役職は執筆当時のもの
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